近代将棋1989年1月号、故・横田稔さんの第12回若獅子戦〔中田功四段-屋敷伸之四段〕観戦記「”お化け屋敷”初登場」より。
おもわず吹き出しそうになった。本局が中盤戦たけなわといった頃のことである。部屋に入って、この将棋をはさんで立ったまま観ていた森雞二王位と石田和雄八段がふたりの頭の上で”感想戦”を始めたのである。何日か前の将棋のことらしい。
「森先生、おわっちゃった将棋をいってもしょうがないけれど、どうしたらいいんですかねえ」
「ふふふ、早逃げしたところで飛車切ればいいでしょう」
「角成りを受けないで」
「そうそれで飛車回ったとき、歩がうまい手でね。千日手か、ふふふ」
「角とび出しといて、受けるの?」
「まあしょうがないね、こちらも間違えてるからね。だからぼくの方も端突くんでしたね、端を」
……石田八段は中田四段の後ろ、森王位は屋敷四段の後ろという位置だから3メートルぐらいへだてている。必然的に声は大きい。
この日の対局室は、4局が同時に行われていた。8人全員が羽生五段をはじめとして、10代20代の若者ばかりである。この空中感想戦の間、みな一様に盤をにらんだままだった。
あとで両対局者に聞いた。先輩に気をつかって知らんふりしてたの。
「全然気がつきませんでした」
頭の上であんなに大きな声で、やりとりしていたのに、どうやら本当らしい。たいした集中力である。
(中略)
通称”お化け屋敷”。屋敷伸之新四段は北海道出身の16歳、もちろん現役最年少棋士である。中学2年でのプロ入りはそう目立って早い方ではないが、奨励会を僅か2年10ヵ月で駆け抜けてしまった。
何を聞いても、「ええ」とか「はい」としか答えない無口な性格通り(そのかわり満面に笑みを浮かべているのだが)序盤から派手にリードする将棋ではない。終盤のしぶとさが持ち味で、勝負強い将棋という定評である。そりゃあそうだ、勝負強くなければ奨励会をこんな短期間で卒業できるはずがない。三段リーグも新参加で1期で抜け出してしまった。
あれよあれよというそんな勝ちっぷりが”お化け”と名付けられたゆえんなのだろう。顔はお化けというよりは、むしろ藤子不二雄描くところの「悪魔くん」である。
奨励会入会前に第7回全国番付戦(日本アマチュア将棋連盟主催)の東京代表になっていて、このときのことはよく覚えている。
なにしろ初日を終えた晩、この可愛らしい悪魔は、同じ中2で北海道代表の後藤義広君と朝まで徹夜で将棋を指し続け、睡眠2時間で2日目に臨み、その日の3局を全勝して通算4勝1敗で5位入賞をはたしてしまったのだった。
将棋が好きで好きでたまらないという童顔の屋敷君に、残念ながら、このときにはお化け屋敷という秀逸なニックネームはおもいつかず、『将棋ジャーナル』では「恐るべき子供たち」のタイトルをつけた。おもえば、羽生五段をはじめとする「恐るべき10代」の活躍はこの少し後のこと。元祖恐るべき子ども屋敷四段がこうしていま、恐るべき10代の仲間入りを果たしたわけである。
「お願いします」
頭が盤面に触れんばかりに深々と下げられて対局が始まった。
すでにデビュー戦を白星で飾り本局が第2戦である。
(中略)
学生服姿の屋敷四段と対してしまうと、まだ21歳の中田四段もりっぱにベテランにみえてしまう。180センチの長身をスリーピースで包んでお茶を飲むにも、扇子を開くにもゆっくり静かである。
(中略)
中田は四段に上がるまで、近代将棋社の一室で寝泊まりしていた。いわば、近代将棋の内弟子。この透きとおるような白い顔をしたおとなしそうな青年のどこが、と思うのだが相当な猛者だったらしい。朝帰りもしばしばで「だいぶ手を焼かせました」と自分でも言っている。体の細さと神経の太さは反比例しているようだ。
(中略)
新顔の戦いぶりと、同じ部屋で指している羽生五段を気にしてか、別室で順位戦を戦っているB1のベテラン棋士たちがかわるがわる覗きにくる。冒頭でご紹介した森王位、石田八段に、二上、大内の両九段、田中棋聖、さらにはA級順位戦を対局中の真部八段…・・・。
そんな周りの動きがまったく目に入らないふうに前のめりになって考える屋敷四段、握りしめたハンカチがもうくしゃくしゃになっている。
(中略)
「負けました」
開局のときと同じように、前髪が盤面に触れんばかりに頭を下げた屋敷四段。デビュー2連勝ならず。
「かたき役が勝っちゃったか」
田中棋聖が声を掛ける。中田四段には申し訳ないが、16歳を前にしては誰が出てきたってかたき役といわれてもしかたない。この上は優勝まで一気に駆け登って、かたき役に凝された恨みを晴らしてもらいたいものである。
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昭和の頃の対局室。
森雞二王位(当時)と石田和雄八段(当時)の二人のキャラクター全開の会話が絶妙だ。
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さまざまな文献を読むと、棋士は対局中、小さな物音でもその正体がわからない時には気にするが、何なのかわかっている場合には気にならないことが多いようだ。(終盤を除く)
また、対局室に知らない人が入ってくると、その人がどんなに静かにしていても、棋士は気配を感じてしまうという。
そのようなことからも、森王位と石田八段の空中感想戦は、棋士の本能から考えれば、棋士同士の会話であるし全く気にならないことだったのだろう。
空中感想戦をやっている二人も、それを十分に承知していたのだと思う。
別室で対局している棋士達が対局を覗きに来る光景も、昭和らしくて味わい深い。