「羽生君が上がってきそうだってね。まだ14歳だろ、やだねえ」

将棋世界1985年12月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会報告」より。

 期待の羽生がようやくエンジン全開となったようで10勝4敗。残り3連勝で四段、というところまでやって来た。

 後期の例会で連勝して「王手」をかけるか、とドキドキしながら取材にかけつけてみたら、羽生は来なかった。進級にかかわる重大な試験と重なってしまったということだ。拍子抜けである。

 所要のついでか(まさかわざわざ見にきたわけではなかろう)、若手棋士が何人かあいついでやって来て手合表をのぞいていく。

「羽生君はちゃんと勝った?」と決まったことを言い、「なあんだ、休みなの。余裕だねえ」と言い残して去って行ってしまう。筆者と同じ気持ちだったのだと思う。

 羽生っていうのは強いらしい、という風評は上の方にもかなり伝わっているようだ。こんな会話を耳にした。

C2某「羽生君が上がってきそうだってね。まだ14歳だろ、やだねえ」

C1某「大丈夫、大丈夫。僕らが気付かないうちにサーッと上へ通り抜けて行くさ。君には影響ない」

 もちろん冗談も半分だが、本音の部分もかなり含まれていると見た。羽生から自然に放たれている大物感を、多くの人がキャッチしだしたようである。

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三段リーグのなかったこの時代、四段に昇段する条件は、

9連勝、13勝4敗、8連勝2回、12勝4敗2回(ただし12勝4敗者が昇段の一番を負けた後3連勝すれば昇段)

というものだった。

羽生善治三段(当時)は、10勝4敗で11月上を迎えるが、その初戦で敗れてしまう。

●◯◯◯◯◯●●◯●◯●◯◯◯ (10月まで)
●                      (11月上第1戦)

この時点で、5勝3敗あるいは4勝2敗あるいは3勝1敗のカウントに戻ってしまう。

その後、羽生三段は8勝1敗で戦績の赤の部分が適用となり13勝4敗で四段に昇段。

●◯◯◯◯◯●●◯●◯●◯◯◯ (10月まで)

●◯◯◯◯◯◯●◯◯ (11月~12月)

もうすぐ四段に手が届きそうと思っても、カウント上の5敗目を喫してしまうと、精神的にはゼロクリアになったような気分になったとしても不思議ではない。

三段リーグも厳しいが、この頃の方式もなかなか厳しい。

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羽生善治名人の奨励会時代の昇級・昇段スピードは次の通り。

6級→5級 2ヵ月
5級→4級 1ヵ月3週間
4級→3級 1ヵ月2週間
3級→2級 2ヵ月
2級→1級 1ヵ月2週間
1級→初段 4ヵ月2週間
初段→二段 8ヵ月
二段→三段 7ヵ月2週間
三段→四段 7ヵ月3週間

1982年12月2日に奨励会に入会し、四段になったのがそれからほぼ3年後、1985年12月18日のことだった。

羽生善治三段(当時)の四段昇段の一局