加藤一二三十段(当時)「こんな強敵が目の前に現れるとは思わなかったな」

将棋世界1982年5月号、加藤十段の駒落道場・角落の巻〔加藤一二三十段-小池重明アマ名人〕「鬼をねじ伏せた神様」より。観戦記はS太さん。

 小池重明氏―この人が今日本で一番強いアマチュア棋士であることは衆目の一致するところであろう。その小池さんが加藤十段に角落ちで挑戦すると聞いて”こいつはすごい!”と思わずうなった。

 加藤十段の角落ちは日本一といわれている。同じプロ棋士仲間でも十段の角落ちは一味違うらしい。攻守どちらに回っても苦にしない棋風に加えて深く正確な読み。そして”秒読みの神様”といわれるほどの秒読みに対する強さ、これが持ち時間の短いアマとの将棋では絶対的な強さを発揮する。これまでのその豪腕に泣かされたアマチュア強豪は数知れず。”プロ相手でも角なら自信がある”というアマ強豪も”加藤十段が相手ではどうも……”という人が多いという。

 一方、小池さんの棋歴というのも並ではない。小池さんが昨年史上二人目という2年連続のアマ名人に輝いたのは記憶に新しいが、それよりもその名を世間にとどろかせたのは各種雑誌誌上で行われたアマプロ平手戦で次々に若手のプロ棋士を破ったことによる。論より証拠、これまでに行われた小池さんとプロ棋士の対戦成績をご覧いただこう。

(中略)

対プロ平手通算7勝4敗

対プロ角落ち通算3勝3敗

 プロの四、五段の棋士と9番指して6勝3敗という成績はすごい。この数字は将棋界にとっていろんな意味でショッキングだった。

 小池さんが初めてプロ棋士を負かした時のことは忘れられない。54年1月号の本誌のアマプロオープン戦で小池さんは飯野四段に勝った。こういった公式の対局でプロがアマに負けるのは初めてのことだった。プロ敗勢の終盤から投了目前となった時、対局室全体が愴然とした空気につつまれたのを覚えている。投了後の重苦しい雰囲気の中で観戦していた石田八段の”飯野君なぜあそこで……”という声が悲鳴のように聞こえた。

 その後小池さんはいろんな対局でプロ棋士を破り、2年連続でアマ名人にもなりアマ最強の名をほしいままにしている。

(中略)

 約束の15分ほど前に応接の美馬和夫さんといっしょに対局室に現れた小池さん、観戦子に向かって「いやー実はほんの3日前に升田先生に角落ちで教えてもらったんですが、将棋で負かされてその後の酒の席でもやりこめられてまったくひどい目にあいました」と苦笑い。引退された升田九段が朝日ソノラマから創刊される「リトル・レビュー」という雑誌で小池さんと対局したのだそうだ。

 やや遅れて加藤十段も登場―。これから対局開始までのやりとりが面白かった。

加藤「いや今日の対戦相手が小池さんだったとは今初めて聞いたんですよ。こんな強敵が目の前に現れるとは思わなかったな。小池さんが相手と聞いていたら作戦を練ってくるんだったよ。編集部もだまってるとはいけないじゃないですか。今度から強敵の時は前もって教えてくださいよ(笑)」

 小池さんが3日前に升田九段と対局したことを聞いた加藤十段「エーッ!あっそう。ヘー。升田先生が勝ったの、フーン。升田先生も相手が強いから相当力をいれたんだろうね。でも升田先生の将棋が久し振りに見られるというのは楽しみですねェ。そりゃ升田先生ごきげんだったでしょ」

小池「ええ大変なごきげんでした(笑)升田先生にひどい目にあわされたから今日は加藤先生に八つ当たりしようと思ってきたんですよ(笑)」

加藤「いやーこれは大変だ」

 話がはずんで対局開始が予定の1時より少々遅れた。加藤十段は「さてどうしようかな」とつぶやきながらピシリと飛車先の歩を突く。にぎやかだった対局室が急に静かになってみるみる真剣な空気が流れ込んできた。

 小池さんは角落ちの下手の時はいつもこれという中飛車。

(中略)

 両者とも速い攻めがなく、中盤戦の長い将棋となった。小池さんが▲8五桂から▲9三桂成で端の強行突破をはかったのに対して加藤十段は馬をクルクルと使って巧みに香を取り上げた。

 小池さんは▲9三歩成から▲9一飛で待望の飛打ち。▲9一飛には△9七香成とでも逃げるのかしらと見ていたら△6五馬。これで竜を召し上げてしまう構想だが、小池さんはわかっていてもその網に入っていく他はなかった。十段は「△8二銀と竜を殺してはっきりよくなったと思いました」と局後の感想。

(中略)

 重量級同士の迫力ある熱戦もようやく終局に近づいてきた。最後まで粘って”さすがにタフだなー”という思いを盤側にいだかせた小池さんも十段に何発もパンチをくらい、矢折れ刀尽きた形で投了となった。

(中略)

 盤側には最初から最後まで両者の気迫がピリピリと伝わってきたし、加藤十段にこれだけの迫力を出させること自体さすがに小池さんという印象を受けた。

 小池さんの力を封じ込めてしまったことで改めて加藤十段の強さを認識させられた思いだが、これは決して失礼な表現ではないと思う。まさに神様の加藤十段が鬼の小池さんをねじ伏せた一局だった。

 最後に加藤十段の後日の感想―

「あの将棋の序盤の急戦はやっぱり角落ちの下手としては損なわかれだったと思います。今度もし小池さんと対局する機会があればもっとじっくりこられるんじゃないかな。小池さんがよくプロの四、五段に勝っていることは知ってますが、今回私が小池さんに勝ったということでじゃあ私がプロの四、五段の人に角で勝負できるかというと、それはとてもそうはいきませんよ。若手棋士に”加藤先生相手じゃあ角でも勝てませんね”なんていわれたこともありますけどそれは冗談ですからね。四、五段の棋士に角じゃあ100パーセント勝てないと思ってます。もし将棋世界で加藤十段と○○四段の角落ち戦なんて企画を立てても私は逃げますよ(笑)。でもアマチュアの強豪の人なら角は勝負だと思っています。もちろん簡単に勝てるとは思ってはいませんが。ところが小池さんは小池さんでプロの四段なら自信がある。この辺が面白いところでねえ結局アマの人は平手なら経験も情報も豊富で十分力を出すことができるけれども、駒落ちに関しては未だしってことなんじゃないかな。そういうことだと思いますね」

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加藤一二三十段(当時)の会話が楽しそうで面白い。

グラビアでは、

「オヤッ、あなたは……」対局室で相手の顔を見た加藤十段はびっくり。小池重明アマ名人ではないか。

加藤「小池さんと指すと事前に教えてくれなかった編集部はひどいなァ」小池「そう嫌わないで下さいよ」

と書かれている。

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加藤一二三十段にアマチュアが挑戦する「加藤十段の駒落ち道場」がこの頃の将棋世界で連載されていた。

それにしても、「加藤一二三九段」は見慣れているけれども、「加藤一二三十段」はビジュアル的な迫力がある。

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この対局の3日前の升田幸三九段-小池重明戦(角落ち)は、升田九段の棒玉が出た一局。

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鬼のようなアマ強豪も、平手と駒落ち上手の経験は豊富だが、たしかに駒落ち下手の経験は少ない。

平手よりも駒落ち下手の方が有利なのに、なかなかそうはいかないところが将棋の奥深いところ。