近代将棋2005年2月号、鈴木宏彦さんの「将棋指し なくて七癖」より。
1局で3キロ減る
「将棋は体力」。昭和63年、まだ47歳の若さで急逝した板谷進九段はよく色紙にそう書いた。
バイタリティのかたまりのような人だった板谷九段は十代後半の奨励会入会という遅いスタートながら、持ち前の頑張り精神でA級まで上がり、将棋連盟杯優勝などの実績を残した。本業以外の活躍がまたすごい。理事として将棋連盟の運営に当たると同時に、地元の名古屋で将棋道場を経営、さらに棋具販売や関連商品の開発まで手がけた。趣味は将棋史研究と古棋書蒐集。晩年は名古屋に将棋会館を建てる夢を持ち、誰と会っても1日24時間将棋の話をした。
昭和60年頃のタイトル戦。私が観戦記担当で板谷九段が立会人。板谷九段は3日続けて午前2時、3時まで酒を飲み、翌朝は6時に起きて朝から3杯飯を食べていた。
その行動力を見ても体力には人一倍の自信があったはずだ。だが、意外な若さでクモ膜下出血で倒れたのは、その自信が裏目に出た結果だったのかもしれない。
実際、将棋は体力を使うゲームである。ゲームならどんなゲームでも頭と一緒に体力を使うのは当たり前だが、中でも将棋は特に体力を消耗するような気がする。例えば、お隣の囲碁界と比べると、それははっきりするのではないか。
囲碁の棋士は対局中、食べる量が非常に少ない。夜の11時、12時までかかる対局の場合でも、昼は軽くそばを流し込み、夜は抜きというパターンが多い。そうした棋士たちも、普段は普通に食べているのである。
数人の囲碁棋士に、「なんで対局中は食べないんですか」と聞いたことがある。答えは決まって、「対局に集中しているから、食事なんか食べる気にならない」だ。
もちろん、将棋の棋士だって対局には集中している。集中はしているが、対局中の食事は昼も夜もしっかり食べる。将棋の棋士に言わせると、「食べなきゃ身が持たない」のである。
そうした棋士たちを見ていて、「囲碁は神経を使うゲームであり、将棋は体力を使うゲームである」と思うようになった。将棋は囲碁に比べて人間の力で読むことのできる部分が多い。読めるから必死に手を読み、そこで体力を使う。若い頃の羽生二冠は、「1局指すと3キロ体重が減る」と言っていた。もちろん、食事は普通に食べていて、である。それだけ脳の消費カロリーがすごいのだ。
阪田三吉の食事は難しかった
ご存知のように、プロの将棋の勝負は長い。これが持ち時間1時間や2時間の対局ばかりだったら、「体力戦」などという言葉も生まれなかっただろう。持ち時間5時間や6時間の対局は終局が深夜に及ぶ。タイトル戦の中には2日間にわたって行われるものもある。そうした長い勝負のつきものとして、昔から対局中の食事が話題になることは多い。
昭和12年、木村義雄と阪田三吉の間で行われた「南禅寺の決戦」は持ち時間が実に30時間で7日間にわたって行われた。
「それから食事だ。南禅寺の境内に(と言ってもちょっと離れているが)京都でも有名な瓢亭があるので、そこを煩わすことにした。一休禅師以来の瓢亭の料理はよく巨匠の舌を慰めてくれるものと信じる。…が、阪田氏の食事は難しかった。よく腹を痛められるというので、独特の調理法を必要とした。幸い同氏の知人が自ら買ってこの役を引き受けて呉れたのでお願いすることにした」
この南禅寺の決戦の実現に奔走した読売新聞の観戦記者・菅谷北斗星は、対局設営に当たっての苦労の一端を上のように書いている。当時、阪田は68歳。木村は33歳。昭和12年の68歳は現代の68歳とは比較にならないほどの老齢である。その対局で1手6時間!あまりの長考をした阪田は「2時間も考えたかと思ったら6時間とは驚いた。この分ならあと1手位5、6時間の手が出るでしょう」と元気に語ったという。その体力と気合はけた違いというほかはない。
(中略)
ドリアを頼んだ挑戦者
今度の竜王戦七番勝負でも、食にまつわるちょっとしたエピソードがあった。第3局の福岡対局で、挑戦者の渡辺明六段が昼食に「ドリア」を注文したのだ。ドリアとは、ご飯にホワイトソースをかけてオーブンで焼いた料理。観戦記担当の西條記者が、「昼食にドリアを頼んだ棋士は初めて見た」と言っていたが、なるほど私も聞いたことがない。
その竜王戦。下呂温泉で行われた第4局には私も観戦記担当で行ってきたが、渡辺六段のよく食べる姿が印象的だった。朝食のバイキングは山盛りの料理を2度選んで平らげていたし、指しかけの夜に出た飛騨牛のしゃぶしゃぶもお代わりをしていた。渡辺といえば、顔が大山十五世名人に似ていることで有名だが、その食べっぷりも偉大な先輩に似ているようである。
——–
「瓢亭」は京都の老舗高級料亭で、400年ほどの歴史を持つ。
「瓢亭玉子」という料理があって、これはゆで卵の黄身と白身が逆転したもの、と大学生の頃に本で読んだ記憶があるのだが、調べてみるとそのようなゆで卵ではなく、半熟固茹で卵のようだ。
本が間違っていたのか、私の頭が間違っていたのか、どちらにしても、白身は固茹で、黄身は半熟という、絶妙の瓢亭玉子。
——–
いろいろと調べてみると、ドリアは昭和の初期に、横浜のホテルニューグランドの初代総料理長、サリー・ワイルが創作した料理であるという。
ホテルに宿泊していた欧州の銀行家が体調を崩し、料理長に何か喉に通りのよいものを作ってほしい、とリクエストして作られたのがドリアだった。
——–
私はホワイトソースやグラタン、ご飯も大好きだが、ドリアはあまり能動的に食べたいとは思わない料理だ。
美味しいとは思うのだが、何かが私の心の中で注文することを思いとどまらせる。
いろいろと考えた結果、理由がわかった。
ドリアとグラタンは似てはいるけれども基本的に異なる料理。しかし、ドリアを見て比較してしまうのはグラタン。
グラタンは皿の中が全てグラタンであるが、ドリアは皿の中に結構な量のご飯が埋め込まれている。
好きな料理を食べる時には、好きな料理を可能な限り楽しみたい。
グラタンであれば100%グラタンを味わえたような達成感を得られるが、ドリアの場合はライスがそれを薄めているような感じがして、達成感が50%位になってしまうのだ。
ビーフシチューの皿の底にライスが敷き詰められていたなら、かなりな興醒めだと思う。それと同じことのような感じと言って良いだろう。
——–
とはいえ、ビーフシチューとライスが別々に出てきてくれれば、これは大歓迎なわけで、私の感じ方が変だという可能性も大いにある……