不吉な冗談

今日はAとBの話。

将棋世界1983年11月号、米長邦雄王将(当時)の近況報告より。

 将棋J誌11月号に棋士の血液型の話が載っていた。なかなかおもしろいエピソードも語られていたが、私の血液型に関しては間違っている。

 文中ではB型となっていたが、これは20代の話。22歳の時に盲腸の手術をした折は確かにB型であった。しかるに30になって献血運動に協力した処、あなたはAB型ですと言われ、何度確かめてもその通りである。

 小生愚考するに、Aクラスに昇級したから血液型も変わったのだろうか。いずれかの時にはB型に戻るのかもしれない。

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将棋世界1984年3月号、中平邦彦さんの「神戸だより」より。

1月3日

 寝正月を決めこんでいたら、夜の11時になって淡路仁茂八段から電話。「内藤先生と一緒に今から行く」という。

 朝から神戸の将棋まつりに出席し、夕方から内藤、淡路に若松政和五段、小阪昇五段らと正月に祝い酒。すでに相当出来上がっていて飲み直しである。

 それからまた車を呼んで内藤の地元苦楽園へ行くことになり、一緒にエレベータに乗った。わがアパートは1階がBの表示で、Bを押すと、内藤「あっ、Bはいかんで。なあ淡路君」とニヤニヤ笑う。淡路も負けておらず「ええやないですか。一緒に降りましょ」と言う。名人挑戦リーグからの降級を言っている。図太いというか、きつい冗談を他人事みたいにいうのは関西流だ。

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子供の頃に調べた血液型と大人になってから調べた血液型が違うということは稀にあるようで、林葉直子さんはA型だと思っていたら実はB型だったり、湯川博士・恵子さんのご長男はO型だったはずなのにある時A型であることが判明したりという事例もある。

20代か30代で、本当は違う血液型だと知らされたら、結構人生観が変わってしまう場合もあるかもしれない。

少なくとも、林葉直子さんは、冗談ぽくそのようなことを話していたことがある。

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この頃、内藤國雄九段と淡路仁茂八段(当時)は二人とも順位戦A級。ところがこの期、共にA級から陥落してしまうことになる。

エレベータは2階で降りてそこからは階段で1階まで歩く、という手もあったろうが、なかなか難しいものだ。