棋士と干支を分析する

今年は申年。

申年生まれの棋士は、生年月日順で、二上達也九段、賀集正三七段、瀬戸博晴七段、杉本昌隆七段、小倉久史七段、中川大輔八段、横山泰明六段、佐々木慎六段、松尾歩八段、島本亮五段、黒沢怜生四段、石井健太郎四段、菅井竜也七段、永瀬拓矢六段。

ふと、申年生まれの棋士が少ないような感じがしたので、棋士番号のある棋士(物故棋士も含め303人)について干支を調べてみた。

集計結果は次の通り。

子年 26
丑年 28
寅年 29
卯年 28
辰年 27
巳年 25
午年 15
未年 23
申年 22
酉年 28
戌年 25
亥年 27

303人を12で割った平均が約25人。25人より多ければ棋士の多い干支、少なければ棋士の少ない干支と言うことができるだろう。

申年は22人で11番目。たしかに少ないが、平均値から3人少ないだけなので、目立って少ないということでもなさそうだ。

それよりも目を引くのは午年生まれの15人で、かなり少ない。

丙午(ひのえうま…丙午の年には八百屋お七に代表されるような気性の超激しい女性が生まれるという迷信があった)の影響があるのだろうか?

そこで、総務省の2014年の統計(干支別人口)を見てみると、そもそも午年生まれの人が少ないことが判明した。干支別人口の多い順に並びかえてみると、次のようになった。

干支 人口(万人) 棋士の人数
丑年 1,133 28
子年 1,115 26
巳年 1,114 25
辰年 1,105 27
亥年 1,102 27
寅年 1,099 29
卯年 1,083 28
未年 1,017 23
戌年 1,012 25
申年 1,011 22
酉年 971 28
午年 958 15

総務省の解析結果でも午年生まれの人口が少ないのは丙午(直近では1966年)の影響が大きいとされている。

とは言え、午年生まれの棋士の人数は割合的に見ても少ない。

午年生まれは、古くは升田幸三実力制第四代名人、南口繁一九段、新しくは豊島将之七段。

丙午生まれの棋士は、北島忠雄七段、日浦市郎八段、森下卓九段と3人おり、特に少ない年というわけでもなく、また、1954年生まれは5人と多い。

午年の棋士が少ないのは、1942年生まれが1人もいないこと、1978年生まれの棋士が2人だけであったこと(近辺の年は4~5人)、1990年生まれの棋士が豊島七段1人であること、などが影響しているのだと考えられる。

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逆に、人口が少ないにもかかわらず棋士の人数が多いのが酉年。

1957年生まれ6人、1969年生まれ6人、1981年生まれ5人、1993年生まれ4人と、コンスタントに棋士が誕生している。

村山聖九段と山崎隆之八段と片上大輔六段、森信雄七段門下の1981年以前に生まれた広島県出身の棋士がみな酉年というのも何か印象的だ。