炎上を闘志に変えた田中寅彦八段(当時)

将棋世界1984年5月号、田中寅彦八段(当時)の「昇級者よろこびの声(B級1組→A級) スタートラインに立った」より。

”負ける”ことは全く考えず12戦全勝するつもりでいたのは当然ですが、今期のリーグ戦を振り返ってみると”幸運”の一語につきます。いい将棋を負けたこともあったんですが、逆に悪い将棋をひろった方が断然多かった。特に佐藤大五郎八段との将棋はひどく、もし勝敗が入れ替わっていたとしたら…。

 これはきっと将棋の神様が、ぼくに”田中お前、八段でどれぐらい戦えるかやってみろ”と言ってくれたんじゃないかと思っています。

 それと、八段に昇れたのもファンの皆様の暖かい声援と、いろいろな激励の手紙やら電話のおかげと大変感謝しています。

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 八段に昇ったのは予定通りなんですが、私より上に歳下の男がいると思うと悔しい。あっ こんなことを書くと、また激励の手紙がくるかな?

<編註:…田中に「あいかわらず葉書がくるかい」と訊いた。田中が谷川名人のことを「あのくらい!?で名人になる男がいる」と書いたら、「なにをいうか」といった文体の投書がびっくりするほどきた、と聞いたからである。

「きます、きます、女房があきれるくらい。あの負けた日(プロトーナメント戦決勝第3局)が2月3日だったでしょう。節分に引っかけて、鬼は外!いい気味だ、というのもありましたよ」

「そりゃあおもしろい」

 とみんなで大笑いしたが、

「投書ぐらいでくじけないでくれよ、君はあやまったことをしたのではないのだから」

 と米長ともども励ましたのだった。…

 将棋マガジン5月号「対局日誌」より抜粋>

 

 でも、投書は私にとっては本当にありがたいんです。「なにくそ!」という反発心と、「負けてたまるか!」という闘争心がフツフツと湧いてきますからね。またお願いしたいものです。

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 たたかれるのは覚悟の上で今期の名人戦を予想してみましょう。2人と戦った感じで言えば、将棋は森安さんの方が強いような気がします。

 タイトル戦やいろんな大勝負の経験豊富な森安さんが有利なんですが、結局は谷川名人が防衛しそうな気がします。

 ぼくはどうも自分の意見をおもてに出しすぎるきらいがあって、いろいろな方から忠告を受けるのですが、どうもこの性格だけは直りそうもないですね。

 2年前に「あと3年で名人になる」って言ったんですが今年度が、そのタイムリミット。

 もちろん、今でもそのつもりでいます。

 あっそう、そう。ぼくのこの発言に対して当時、今期名人戦の挑戦者になっている人が「谷川君(当時八段)が言うんなら話はわかるけど、ちょっとおかしいんとちゃいますか」って言われたのを、どこかの雑誌で読みました。

 なら、ここは一つその人に名人になってもらって、次期名人戦の舞台でその答えを出してみたい気もします。

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 現在の率直な気持ちを言えば、やっとスタートラインに立ったばかりということ。ここはただの通過点に過ぎず、これからが出発なんです。今までは助走の段階で、言い換えれば練習の場所でしたから、この場所に戻ることのないよう頑張るつもりです。

 それと、これが一番言いたいことなんですが、棋譜を一目見て”これは田中の将棋だ”と言われるような将棋を指したい。居飛車穴熊、飛先不突矢倉など、あまり人がやらないような将棋をお見せしたい。空念仏に終わることのないよう、この1年、やります!

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田中寅彦八段(当時)は、この1983年度、将棋大賞の勝率1位賞と敢闘賞を受賞している。

1978年度、1980年度、1981年度も勝率1位で、破竹の勢いの真っ只中。熱い思いが文章に込められている。

抜身の日本刀のような雰囲気も、この当時の田中寅彦八段の個性だ。

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米長邦雄三冠(当時)、河口俊彦五段(当時)などからの応援と、読者からの投書。

この当時は新年号に棋士の住所録が載っており、自宅へ直接投書が送られてくる時代だ。

これらが、田中寅彦八段の闘志を更に燃やしたものと思われる。

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田中寅彦八段は将棋世界1984年7月号から、「名人、A級十人ここが強い」という連載を開始する。

歯に衣着せぬ面白い講座なのだが、

将棋世界1985年3月号、「関西新鋭座談会 東西ライバル棋士を斬る」(谷川浩司名人、福崎文吾七段、南芳一六段、脇謙二六段、西川慶二五段、神吉宏充四段)では、

神吉 まず最初に―、皆さん将棋世界の2月号読んでくれましたか。こん中で田中寅さんがごっついこと言ってますなー。なんや谷川名人が意味のない名人やとか弱い名人やとか。それについて西川センセはどう思いますか。

で始まる。

将棋世界1985年2月号では、「痛烈緊急座談会 若手と一流に差はあるか」(田中寅彦八段、小林健二七段、中村修六段、高橋道雄六段、塚田泰明五段)が行われている。

そういうわけなので、このような緊張感は1984年から1年以上続いたことになる。

今読むと、現在では考えられないような、闘志を前面に押し出した座談会。

近々、ご紹介したい。