将棋世界2005年5月号、山岸浩史さんの「盤上のトリビア 最終回 『人間にとって終盤は大変である』」より。
「コンピュータ以上」の男
本誌のN記者が証言する。
「彼には最近まで『詰将棋サロン』の問題の検討をお願いしていたのですが、その検討能力はおそるべきものがあります。パソコンが発見できなかった余詰めを見つけたことが何度もあったのです。いつしか編集部では、彼を『マシン』と呼ぶようになりました」
彼―宮田敦史五段には昨年の第1回「詰将棋解答選手権戦」で初めて会った。超難問ばかり10題の解答速度を競うこの大会にはプロ2名(宮田五段と上野裕和四段)を含む28名が参加し、ぶっちぎりのタイムで優勝したのが宮田五段、ダントツの最下位が私だったのだ。
苦痛に耐えきれず白紙で解答用紙を提出して廊下で一服していると、一番の回答を終えた宮田五段が飛び出して来た。自己紹介しようとすると、いきなり
「僕の前に誰か出てきましたか」
と後ろを振り返りながら尋ねてくる。まるでゴール直後のマラソンランナーだった。それほど「勝負」にこだわりながら、難しかったのはどれかと聞くと19手詰みの問題を指差してこういうのだ。
「玉方の10手目の応手に、正解と同じ手数で詰む変化があったんです。作意手順だけ答えればいいんですが、一応プロなので全部読み切らなきゃと思って読んだぶん、時間がかかってしまって」
それから1年。いったい「マシン」はどのような変化をとげたのだろうか。
3月6日。プロ2名を含む29名が参加した第2回詰将棋解答選手権戦。今回は最初から参加せず廊下で待っていると、やはり一番に宮田五段が飛び出してきた。
だが、どうも様子がおかしい。首を傾げながら独り言を繰り返し、スタッフに「パソコンないですか」とマシンらしからぬことをいう。何があったのだろう?
「最後の問題で駒が余ったんです」
余詰めがあるというのだ。はたしてパソコンで検討すると、そのとおりだった。ほっとした顔になって宮田五段はいう。
「余詰めはすぐ見えたんですが、作意がわからなくて。そのまま考え続けるか迷っているうち平常心が保てなくなって」
異例の余詰め解答を提出した宮田五段はもちろん正解扱いで大会2連覇。出題ミスがかえって「マシン」の威力をまざまざと見せつける結果となった。
主催者のひとり、若島正さんはいう。
「じつはこの大会は宮田さん見たさにやってる面もあるんですが、本当にすごい。次回は宮田さん専用の問題が必要かな」
逆転勝ちはしたくない
なぜそんなに解くのは速いんですか。
「いや、特別速いとは思いません。羽生先生だってああいう大会に出れば、絶対速いはずです。それに、最近どうしても解けない問題があったんです」
昨年暮れ、宮田五段は胃潰瘍のため手術を受けた。入院中にベッドで読んだ『近代将棋』にその問題があった。(4図)
「連日考え続けて、手術の直前も考えていたんですが、どうしても解けなくて、そのうちまた胃が悪くなってきて……」
宮田五段はその問題を、出題された次の号の解答のページで見た。つまり、数センチ視線をずらせば答えが目に入ってしまう状態で、何日も考え続けたのだ。
「これ以上考えると体に悪いと思って、ついに答えを見てしまいました。9手目からの手順が盲点になっていました」
いままで答えを見たことは?
「ありますよ。『ミクロコスモス』(現在最長、1525手の詰将棋)は途中で答えを見たような気がします」
詰将棋を作ったことはありますか?
「いや、解くほうがずっと面白いです。だって作るのはゼロから自分で考えないといけないじゃないですか」
この答えは予想通りだったが……。
「でも最近ひとつ作りました。というか寝ているときに夢に出てきたんです」
目まいを覚えつつ、「マシン」が夢で見た作品を見せてもらった。(5図)
「ただし、もとの図には余詰めが3通りあったので、そこを修正してあります」
若手棋士や奨励会員数人に見せたら、完全正解者はひとりだけだったという。
「詰将棋は作った側には簡単に見えても、解く側には難しいものなんですね」
夢に出た最初の図も見たいというと、宮田五段は手帳のページを開く。だが次の瞬間、「あれ」といったきり沈黙してしまった。数十秒たって、ようやくいう。
「3通りどころじゃないですね」
再び静寂が訪れた。深刻な顔で余詰めを探す宮田五段を見ているうちに、脳がきしむ音が聞こえてくる気がした。マシンではない、生身の人間が150キロの豪速球を投げるときの、筋肉がきしむ音のような―不意に宮田五段が口を開く。
「僕は緊張してるように見えますか」
緊張は体によくないと医者にいわれたそうだ。次の質問を急いだ。
将棋は序盤、中盤、終盤のどれが大事だと思いますか?
「そういう考え方はしないようになりました。ただ、不利な将棋よりは有利な将棋のほうが、指していて面白いです」
当然じゃないかと思ったら、続く宮田五段の言葉がなんとも爽快だった。
「不利な将棋を終盤で逆転するというのは、僕は好きではありません」
宮田五段と同じ齢のころの羽生四冠に取材したとき、「もっと社交的になれれば」と話していたが、宮田五段もあるいは同じことを思っているのかもしれない。繊細な感受性は創造への期待を抱かせる。ただ、搭載するマシンのあまりの高性能が、まだ若い心身に負担をかけることもあるのだろう。フル回転に耐えられるほど宮田五段が成熟し、本当におそろしい怪物となる日が楽しみでならない。
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当時のコンピュータソフトの詰将棋解答力を凌駕していた宮田敦史五段(当時)。
なにより、ソフトが発見できなかった余詰めを見つけ出すところが凄い。
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「僕の前に誰か出てきましたか」
これは、自分の前に誰かが部屋を出たのか出なかったのかが分からないほど、詰将棋に集中していたということだ。
棋士は将棋のプロであると同時に、集中力のプロでもあると思う。
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宮田敦史七段は、四段に昇段した2年目に、深浦康市七段(当時)から請われてVSをやっている。
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詰将棋解答選手権が開始された頃のことが書かれている。
宮田敦史七段は今年の詰将棋解答選手権で2位(1位は藤井聡太七段)と、「マシン」ぶりは変わらない。
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ニコ生で放送して好評だった「詰将棋カラオケ」、また企画されるようなことがあったら、宮田敦史七段の登場も期待したい。