将棋世界1984年6月号、芹沢博文八段(当時)の第42期名人戦〔谷川浩司名人-森安秀光八段〕第1局観戦記「いずれにしても名人は神戸」より。
二人はスッと坐っていた。置物のようであった。内に秘めたもの、強烈な思いあるのにスッとしていた。観戦記者とすれば、随分いい加減なと思うかも知れぬが、1図の時に入って行った。仲間同士とは将棋の話はしない。やあやあとか、庭が綺麗だねとか、めしの具合はどうだとか、今夜は川崎に出て酒を飲もうとか、愚にもつかぬことを言っているだけである。だが頭の中では局面は動く。
谷川の決断の良さよ。誰でも知っている、プロなら誰でも知っているこんな筋に、スッと入り込んで行く。そのことに変な恐さを感じた。普通は、こんな単純な動きはしない。
ましてや名人戦、最高のものである。棋士にとって最高のものである。それなのに谷川は、この誰でも知っている動きを平然とするのである。谷川の強さが此処にある。
谷川はスッスッと歩いて来て、目の前にあった、食べたいと思った蜜柑を食べたら、それが名人位であった。他の劣れし者は、必死に蜜柑を食べたいと思っていても側にも行けない。どうも谷川は別な奴のようである。
1図から、ごく普通に動く。しかし2図で▲2四歩と指せる者は見たことがない。恐ろしき手である。此処で▲2四歩と指せるのは、将棋に対する感性が余程優れているのであろう。
2図以下の指し手
▲2四歩△同歩▲3八飛△4五歩(3図)見た時、息が詰まる思いがした。どうしてこんな手をスッと指せるのか。この手、大妙手か、大悪手かどっちかである。中盤に於いて思考過程を簡単に記すと、もの凄く良くなることは望まず、もし悪手を指しても修正が利く動きをする。中原の将棋表現がそうである。米長は零か百を選ぶような表現をする。
この二人にしても其処に至るまでは相当な苦労をしただろう。必死に学んだであろう。それを子供がスッと指すのである。こりゃあたまらぬ。
この▲2四歩の意味が、悪手か好手か判れば最低で八段であります。恐るべき手なのです。今以外、突く時がない。後にはどんなチャンスもない。しかし、この手は悪手になる可能性が強き故、なかなか指せない。ましてや名人戦では指せない。
森安も、その将棋の感性、我と質が違うので正しく判らぬが、ムッとしたようであった。
この▲2四歩は生きるか死ぬかの手である。そのこと、森安、当然感ずる。こりゃあムッとするわね。ましてや弟弟子、ムッとするわね。だが、勝負師と言うものは、負けるということは辛いが、強い相手に負かされた時は変に気持がいいものである。
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3図以下の指し手
▲3三角成△同飛(4図)一見、森安ペースに見える。しかし、どうも谷川ペースのようである。立会人の勝浦八段などと色々喋ったが、どうも谷川ペースである。こう来いと谷川が森安を呼んだようで、どうも谷川ペースである。普通に▲3三角成△同飛(4図)となった時、普通の者は普通に△2二角と打つ。ところが谷川は▲8八角である。これは今考えても意がよく判らぬ。
4図以下の指し手
▲8八角△3五歩▲5七銀引△2二角(5図)初段以上の人だけ読んで下さい。6四歩、7四歩となっている時は、8八から角を打ちます。6四歩だけの時は、7七から角を打ちます。7四歩となっている時は、8八から角を打ちます。これ、意の説明をすると余りにも複雑になるので省かして貰いますが、そうだと知ってて下さい。それを谷川は8八から角を打った。これ、どうしても判らぬ。
余程の読みがあるのかと思うと、只、恐ろしいだけである。しかし森安も、良く読んでいる。△2二角(5図)と恐い手を指す。この角、ことによったら野垂れ死にかも知れぬ。こんな手、前から読んでいたとすれば▲8八角と来れば△2二角の予定とすれば恐ろしき読みである。この△2二角は、もし負ければ恥を一身に浴びるような手である。男の覚悟の手である。どうもこの二人には筆者が知らぬ何かがあるようである。
(つづく)
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普通ならサラッと流しそうな、2図での▲2四歩、4図からの▲8八角。
それが、プロ的には非常に深い背景があることが解説されている。
意味はよくわからないが、プロの視点が示されていて、とても良い話を聞けたような感じになる。
それにしても、
「6四歩、7四歩となっている時は、8八から角を打ちます。6四歩だけの時は、7七から角を打ちます。7四歩となっている時は、8八から角を打ちます。これ、意の説明をすると余りにも複雑になるので省かして貰いますが、そうだと知ってて下さい」
は、どの本にも出てない秘伝かもしれない。
理屈はわからないが、居飛車急戦を指される方は、覚えておいて絶対に損はなさそうだ。
(とは言え、谷川浩司名人(当時)は、▲7七角ではなく▲8八角と打っているが……)