内藤國雄九段『そうや、ワシがあのチョメチョメの芹沢や』

将棋世界1984年8月号、S記者の第44期棋聖戦第1局〔谷川浩司名人-米長邦雄棋聖〕第1局観戦記「米長、豪刀を振るう」より。対局場はグランドホテル浜松。

 谷川が▲3五歩と突っかけたのが午後5時頃。ちょうどこの頃、内藤九段の2回目の大盤解説が始まったが、そこにこの対局を見にきていた芹沢博文九段が飛び入り参加することになった。こんな豪華メンバーの解説は東京でもめったには見られない。もちろん会場に集った100人近いファンは大喜びだ。

 5月にまたも血をはいて入院するハメになった芹沢九段。幸い症状は軽く、すぐ退院できたものの、今度こそは禁酒を決意して頭を丸めてきたのである。禁酒のせいか、この日は顔色もよく、元気ハツラツの様子。

(中略)

 ▲3五歩と攻めて谷川有利と結論した両九段、米長の長考中漫談を始めた。

内藤「ワシは最近飲みに行って『将棋の先生ですネ』言われたら『そうや、ワシがあのチョメチョメの芹沢や』と言うことにしとるんです。この間もそういって若い女の子相手に飲んどったら『センセはテレビで見るのと違って上品ですね』って言われたよ」

芹沢「谷川と飲んでもアレはおとなしすぎておもしろくない。けど、内藤の弟弟子の森安秀光ってのがいるんだけど、これがヒドイ。この前、いっしょに飲みにいったら酔っ払ってワインで何回も乾杯するんですね。ところがその乾杯のたびにグラスを落として割っちゃう。(笑) それで最後にレジのところにいったから、さすがに勘定は払うのかと思ったら、レジの女の子を口説いてんだよ」

内藤「確かに森安と飲みに行くと、最初のうちは『内藤センセ』って呼んでるけど、ビール小瓶2本飲んだら『オイ、オッチャン』とこうやからね(笑)」

 どうも、この二人にかかると森安八段も形無しである。

(以下略)

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昭和の頃の超豪華大盤解説。

全文書き起こしをしてほしいほどの面白そうな解説だ。

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『そうや、ワシがあのチョメチョメの芹沢や』のチョメチョメは、芹沢博文九段がレギュラー出演していたフジテレビ系「アイ・アイゲーム」で使われていた言葉。

「アイ・アイゲーム」は1979年10月から1985年9月まで、毎週日曜 22時00分-22時30分に放送されていたクイズ系バラエティ番組で、司会は山城新伍、アシスタントが川島なお美、オープニングのナレーションが小倉智昭、解答者には芹沢九段をはじめ、名高達郎、クロード・チアリ、中尾ミエ、デヴィ・スカルノ、せんだみつお、高見知佳、島田紳助、成田三樹夫、山下規介などが登場していた。

この映像では芹沢八段と呼ばれているので、1983年3月以前の回の放送と思われる。

挑戦者の一般視聴者の女性が、かなりの美人だ。

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「アイ・アイゲーム」が始まった1979年の頃、フジテレビは視聴率が長い間低迷していた。

1980年、鹿内春男副社長(鹿内信隆フジサンケイグループ会議議長の長男)の就任により、流れが一気に変わる。

鹿内春男副社長は、父が敷いた路線の良い部分は残したが、悪かった部分は大幅に刷新し、子会社化されていた制作部門を本社に戻し制作スタッフのモチベーションアップをはかるとともに編成・制作主導の番組制作体制へと変えた。

また「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズと路線を転換。当初は「父と子の父子テレビ」とも言われたが、その後、フジテレビの視聴率、業績は急上昇、視聴率三冠王を毎週のように獲得するようになる。

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「楽しくなければテレビじゃない」を象徴する番組が「オレたちひょうきん族」。

バトルロイヤル風間さんが週刊将棋に連載している「オレたち将棋ん族」は、「オレたちひょうきん族」の番組名に由来している。

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バトルロイヤル風間さんの「オレたち将棋ん族〈エピソード2〉2010-2012」が3月12日に発売される予定。

出版イベントも計画されているようだ。