先崎学六段(当時)「恐れ入りました。いろいろ言った私達が悪うございました」

将棋世界1995年12月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 この日のモニターテレビは、加藤(一)九段対行方五段(王位戦)。

 新旧天才棋士の対決らしく、盤面の雰囲気がちがう。控え室に来た棋士達は、目ざとく気がつき、立ちどまって盤面に見入る。そうして控え室は次第ににぎわって来た。いつもこうでなくちゃいけない。

 人が集まれば、野次馬的議論が起きる。目立とうとするから辛辣にして刺激的である。ときどき、どっときて、ますます盛り上がる。

 局面は1図のようになっている。

行方加藤1

 いうまでもなく形勢は先手の行方がよい。どういう手順で決めるかである。控え室では次々に案が出る。ついでに、以前行方君が加藤さんと指した後、感じを訊かれてフン、と言ったとかの話も出た。ホントかウソか判らないからウケた。私なんかは天才度では加藤さんの方が上と思いたいが、衆寡敵せずである。

 そうしてテレビの画面を見ていると、行方君は、なるほどとうならせる手を指した。

1図以下の指し手
▲5三歩成△同銀▲8三馬△8七銀▲同金△同歩成▲同玉△8五飛(途中1図)

行方加藤2

途中1図以下の指し手
▲8六歩△8三飛▲6一角△5四角(途中2図)

行方加藤3

途中2図以下の指し手
▲6五銀△8一飛▲5四銀△同銀▲3四桂(2図)

 ちょっともったいないが、▲5三歩成と捨てて、▲8三馬と銀得する。お返しの王手馬取りは計算に入っている。

 後手は△8七銀と打ち込むしかなく、行方君の読み筋通り、△8三飛までとなった。

 そこでまた▲6一角の両取り。対して△5四角の王手で金にヒモをつけて粘る。派手な応酬で、控え室はますます盛り上がった。衆評は「行方君は賢い」であった。

 たいしてもうかってないが、玉頭をさっぱりさせ、飛車を使わせたので玉が安全になったからである。

 ▲3四桂の2図で大勢決した。

行方加藤4

 みんなぞろぞろと部屋を出て行った。私はついて対局室に行くつもりが、気が変わって近くの「白馬」に出かけた。古くからある喫茶店で、主人は無愛想だが、なんとなく親切である。「居酒屋兆治」を思わせ、だから山口瞳さんがお気に入りの店である。平日の夕方6時から7時ごろに入ってごらんなさい。きっと棋士数人が雑談している。

 戻って特別対局室を覗くと、ちょうど加藤さんが投げ、感想戦をやろうと駒を並べ直しているところだった。

 2図から加藤さんは30分くらい粘ったのである。記録用紙を見ると、2図から△3四同金▲同角成△6三歩と指したのだが、指すほどにボロボロになっていた。すなわち、プロが強いと感じる負け方であった。

 感想戦は、もっぱら加藤さんがしゃべっているが、行方君は付き合っている感じ。察して加藤さんはすぐ感想をやめてしまった。

 ここまでは、いってみれば食前酒とオードブルみたいなもの。順位戦は夜戦に入り、これからがメインディッシュだ。

 大広間はB級1組順位戦が多く、田中(寅)九段の横で、田中誠君が記録を取っている。もっとも担当しているのは、田丸八段対青野九段の方で、なにも問題はない。アレッ?という私の顔を見て、「このあいだもこんなことがありましたよ」と田中九段は苦笑した。

 何十年か後、立派な父の肖像が書かれることだろう。

 局面は切迫している。3図、▲3三香と打ち込まれて動かない。異常なのは消費時間で、田中九段が4時間弱残しているのに対し、富岡七段は、僅か5分しかない。

田中富岡1

3図以下の指し手
△5七銀▲7九玉△6五馬▲3二香成△同金▲4一銀△8七馬(4図)

 長考すること40分で、△5七銀と王手をかけた。

 これがえらく評判がわるかった。△6六歩が筋で、△5七銀なんていう手はない、とぼろくそだった。しかも、次の手を指さないものだから、きっと間違えている、と断言する者までいた。

 様子を見に行くのも味がわるいが、さりげなく覗くと、田中君はさすがに鋭い。控え室の悪口を聞いていたように「パットが打てなくなりました」と明るく笑っている。ゴルフのショートパット恐怖症のことを言っているのだろう。イップスは将棋にもあるのだ。

 27分見つめて、△6五馬と取り、▲4一銀に△8七馬と必至をかけた。控え室では▲4一銀がきびしいから、後手がおかしい、と言っていたのである。

田中富岡2

4図以下の指し手
▲3二銀成△同飛▲2三銀△同玉▲2一竜△2二金▲3五桂△3四玉(5図)まで、田中九段の勝ち。

田中富岡3

 控え室に上の手順を伝えると、みんな「アッ」と言った。▲4一銀が一手すきでなかったのだ。

 5図でそれがはっきりする。▲2三角と打っても△同金▲同竜△4五玉で詰まない。5七の銀がここで利いている。すなわち、田中九段は△5七銀と打つとき、ここまで読み切っていたのだ。

「恐れ入りました。いろいろ言った私達が悪うございました」控え室で先崎君が、対局室の方へ頭を下げた。

「さすがだねえ。そんな深い読みがあるとは知らなかった。△6六歩が筋だなんて言っていたんだけどねえ」私が言うと(こういうのもゴマスリの一種だ)、「当然読みましたよ。▲7六銀と受けられるんですよね。それでも私が勝ちでしょうけど……」胸を張ったあと、「銀を打ってから、盤の中央を眺めていました。なにか錯覚しているんじゃないかと、怖くなってね」。

(以下略)

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行方尚史五段(当時)の▲5三歩成からの一連の手順が見事だ。

「読み」とはこういうものなのかと感心させられる。

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田中寅彦八段(当時)の△5七銀も非常に論理的な読みで、悪霊に追い回されている主人公が絶体絶命のラストシーン、自分で貼っておいた御札で難を逃れるという怪奇映画を見たような気分になれる。

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河口俊彦七段の「新・対局日誌」によると、この当時の控え室の辛辣派の代表格が先崎学六段と行方尚史五段。

行方五段が対局のため参加していない控え室でさえこのような激辛検討だったわけで、先崎六段と行方五段が揃った控え室は、この日の控え室を更にパワーアップしたものになっていたのだろう。