名人戦の不思議な法則性

将棋世界1984年8月号、「声の団地」より。

名人戦の不思議

 実力制度による名人位の獲得戦が関根十三世名人の英断により、行われたのが、昭和12年のことです。当時、八段だった木村十四世名人が、第1期の名人位に就かれました。それから去年の谷川名人誕生までの名人戦、40数年間の歴史を見て、私は、不思議な事実に気がつきました。

 まず、木村十四世名人が、初の名人位に就かれたのが、昭和12年で、第1期の名人戦です。

 そして、大山十五世名人は、昭和27年、第11期に名人位に就かれました。中原十六世名人は昭和47年の第31期に、また十七世名人を期待されている谷川名人は第41期に、初の名人位に就かれました。ここに、永世名人は「1」のつく開催期に、名人位を獲得されていることに気がつきます。

 また、木村十四世名人は昭和24年の第8期に、大山十五世名人は昭和34年の第18期に名人位に復位されています。

 だから、中原十六世名人も、いつかは名人位に復位されるのではないかと思います。

 また、塚田名誉十段が昭和22年の第6期に、升田元名人が昭和32年の第16期に名人位に就かれたことも、数字の一致に妙な気分になりますが、そう考えると、加藤(一)九段のことが、わからなくなってしまうのも事実です。

 しかし、名人戦の数字の一致は不思議に思っています。

 また、この数字によって見る予想では、谷川名人の時代は、必ず来ると思います。そして、谷川時代は、かなりの長期に渡るのではないかと思っております。

 最後に、名人に対する、この様な見解は、多くの批判を招くかも知れませんが、私は、名人を神聖なものと思っております。

 米長王将が言われた様に、「名人とは獲るものではなく、選ばれるものだ」と、私も思っております。だから、谷川名人には、選ばれた人として、頑張っていただきたいと思います。

(東京都足立区 Sさん 22歳 学生)

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非常に鋭い分析だ。鋭い。

Sさんの分析をまとめると、1984年時点で、

  • 永世名人は「1」のつく開催期に初の名人位に就いている。
  • 永世名人は「8」のつく開催期に名人位に復位している。
  • 在位5年未満の名人は「6」のつく開催期に初の名人位に就いている。(加藤一二三九段が例外)

というもの。

事実、第41期に初の名人位に就いた谷川浩司九段は、この13年後に十七世名人となっている。

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その後の名人戦について見てみたい。

まずは、初の名人就位期から。

第51期 米長邦雄永世棋聖
第52期 羽生善治名人
第56期 佐藤康光九段
第58期 丸山忠久九段
第60期 森内俊之九段

羽生名人が第51期、森内九段が第61期だったなら、Sさんの分析通りとなっていたが、第52期、第60期と「1」のつく開催期とはそれぞれ1期ずれている形。

非常に惜しい。

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次に復位。

中原誠十六世名人の復位は第43期、2度目の復位が第48期。
谷川浩司九段の復位は第46期、2度目の復位が第55期。
羽生善治名人の復位は第61期、2度目の復位が第66期、3度目の復位が第72期。
森内俊之九段の復位は第62期、2度目の復位が第69期。

残念ながら、中原十六世名人の2度目の復位がSさんの分析と合致しているだけだ。

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1985年以降、Sさんの発見した法則から名人戦は変化しているようだ。

初の名人就位期ということだけで考えると、

木村十四世名人・大山十五世名人・中原十六世名人・谷川十七世名人までと、森内十八世名人・羽生十九世名人からでは位相が変わっているということ。

十四世名人~十七世名人と十八世名人・十九世名人の違いは、十四世名人~十七世名人が見合い結婚であったことに対し、十八世名人・十九世名人は恋愛結婚であったこと。

Sさんの見つけ出した法則性をその後の時代に合わせた形で言い換えれば、『見合い結婚であった永世名人は「1」のつく開催期に初の名人位に就いている』ということになるのだろう。