羽生マジックと呼ばれる手について語る羽生善治六冠(当時)

将棋世界1995年12月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢」(羽生善治竜王・名人)より。

将棋世界同じ号より。

 平成6年の新年号から始まった本コーナーも今月が最後となった。最終回のゲストは羽生善治である。

 羽生はいま佐藤康光と竜王戦七番勝負の真っ最中だが、このインタビューは七番勝負の開幕前に行った。

 昨年から今年にかけて、羽生は「将棋以外のことでも、やれることは全部受ける」と、新聞、雑誌、テレビ……と、あらゆるメディアに登場して将棋界をアピールしてきたが、最近は将棋以外の仕事はほとんど断っているそうだ。対局に専念するためだろう。

 僕は将棋に関する質問をストレートにぶつけた。羽生の答えは明快だった。

羽生マジックは最善手

―羽生さんが終盤で逆転勝ちすると、判を押したように「羽生マジック」という言葉が出てきます。羽生さん自身はこの言葉をどう思いますか。

 いや、全然”マジック”ではないと思うんですよ。

―たぶん、そうだろうと思って、実はこんな質問をしたんですけど。

 言葉が独り歩きしている感じですね。だって私は、別にルールを違ってやってるわけじゃないですから。私はハッタリみたいな手は指してないはずなんです。いままで。

―ちょっと苦しめの局面で、羽生さんがダマシのテクニックをひねり出していると。そういうイメージを抱いている人が多いと思うんです。

 結果的に、それが逆転に結び付いているから、ということなんでしょうけど。

―ダマシではなく、それが最善と思っているから指しているわけですね。

 そうです。終盤はあまり、相手の意表を衝くということは考えないほうがいいと思いますよ。私は基本的に、終盤も最善手を指すのが最善だと思ってるんです。当たり前のことですけどね。

―形勢が悪いときは最善手を指しても勝てないから、悪い手でも勝負手を指して相手の読みを混乱させたほうがいい、という考え方がありますね。これがこれまでの将棋界の常識でした。

 最善手を指していれば、相手が何か悪い手を指したときにチャンスがめぐってくるじゃないですか。苦しまぎれの手を指していると、それによってさらにリードを広げられてしまい、相手が一手のミスをしても追いつけないほどの差ができてしまう、ということがあるんですよ。私は一手の差だったら、まだ追いつける、勝負の範囲内だと思ってるんです。

―最善手を指して相手のミスを待つと。

 いや、ミスを待っているわけじゃないですよ。これで負けたら仕方がないという感じでやってるんです。相手のミスを期待するのは間違ってると思いますよ。

―羽生さんはどこかで「一手のミスが怖い。二手で挽回できないミスをしたら、その勝負はあきらめる」と発言してましたね。

 そうですね。特に序盤の二手の差は追いつけない。大差ですよ。あ、一手のミスというのは疑問手、次善手のことです。

―しかし同じ疑問手でも、序盤と終盤では違うでしょう。

 いや、同じですよ。序盤で離されるほうがきついですけどね。序盤で離されたら追いつくのは容易じゃないです。ここ十年でいろんな技術が発達したと思いますけど、私は局面が有利になってから勝ち切る技術が一番発達したと思うんです。いい局面を、どういうふうにまとめて勝ち切るかというのが……。

―そうはいっても、現実には終盤の逆転は多いですよ。

 そうですね。やっぱり疲れますから。みんな序盤が勝負だと思ってて、序盤で疲れてるから逆転が起こるんです。それは別に終盤の力が落ちているからではないんですよ。もし午前10時の健全な頭の状態だったら、絶対に逆転なんかあり得ないところですから。

―それはどうですかね。

 そうですよ(笑)。

―羽生さんみたいなトップはそうかもしれないけど、間違える人は間違えますよ。だって午前中に優劣がつく将棋もあるじゃないですか。順位戦なんかでも。

 ええ、そうですね。

―だから羽生さんが言ってるのは非常に高度なレベルの話だと思う。

 そうかもしれません。序盤で時間を使うのは、それだけ序盤の価値が高いと思ってるからです。そういう考え方の人は多いし、私もそう思ってますから。

(つづく)

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「最善手を指していれば、相手が何か悪い手を指したときにチャンスがめぐってくるじゃないですか。苦しまぎれの手を指していると、それによってさらにリードを広げられてしまい、相手が一手のミスをしても追いつけないほどの差ができてしまう、ということがあるんですよ。私は一手の差だったら、まだ追いつける、勝負の範囲内だと思ってるんです」

どんなに形勢が悪くとも暴発することなく粛々と最善の手を指し続ける、これこそが羽生マジックと呼ばれる手の源泉ということになる。

現在1位の走者がいても、常に視界に入っている状態で追走していれば、1位の走者が変調になった時に抜くことができるかもしれない。

羽生マジックと呼ばれる手が勝負手っぽい手ではなく何気ない手であるのも、そのようなことによるのだろう。

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「もし午前10時の健全な頭の状態だったら、絶対に逆転なんかあり得ないところですから」

ビジネスの場合でも夕方に意思決定するのは間違いやすいと言われている。

中学生や高校生が受験勉強をする場合など、家に帰ってテレビを見ながら昼寝をして、そして夕食を食べてから勉強に突入する、という手順が効果が高いかもしれない。