将棋世界1999年4月号、「両親が語る・我が子、村山聖の思い出(後編)」より。インタビュー・構成は大崎善生編集長(当時)。
父 奨励会に入会してからは、体調の問題で休会することもありましたが本当に順調に行ってくれました。プロになってからも凄い勢いで勝ち進みました。
兄 聖が東京に行く平成7年に結婚のことについて話をしたことがあります。一人で行かせるのは心配だったものですから。身をかためろと。女の子は自分の教え子のなかに思い当たる子がいるから連絡するから会ってみんかと。聖は最初は「いやじゃ」と言っていたんですが、無理矢理すすめると何時の間にか「いやじゃ」と言わなくなって。じゃあ僕が会う日も決めて算段たててもいいかと言うと「会うだけなら」とか言いましてね。離婚歴があって子供もいる方なんですがとっても性格のいい人で。でも結局向こうと聖の都合が合わなくて、聖は東京へ行ってしまいました。
父 後日帰広の折に話したのですが聖は照れたような迷惑なような顔で「ちょっとなあ」って(笑)。
母 そんな顔してたわね。
兄 A級に上がって、聖は色々な意味で自分の人生を振り返ろうとしていたのではないかと思います。結婚に対する夢もあったろうと思います。ただ、僕としては名人になるためには健康管理が一番で一人では絶対にできないとそれが心配でした。
(以下略)
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『聖の青春』では、兄の祐司さんの勧めに村山聖八段(当時)が「会うだけなら会ってみてもいいかなあ」と言って家族の皆が笑ったことまでが書かれているが、その後のことについては触れられていない。
実際には、村山聖八段が東京への引っ越しをする前でもあるし、日程が合わなかったので会うことはなかった、ということが分かる。
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お見合いは私も何度か経験があるが、一番最初の頃はかなりドキドキするものだ。
私にとっての最初の見合い話はやや変わっている。
職場の直属の部長が私を呼んで、「森君、今付き合っている子なんているかい?」と突然聞いてきた。
当時の私は25歳位だったが、「いません」と答えると、
「実は、僕の知り合いが◯◯社のシンガポール支店長をやっているんだけど、お嬢さんに誰かいい人はいないかって言っててさ」
と、写真を1枚、私に見せてくれた。
シンガポールの夕暮れを背景に写っている超美人…
「え、ええ、物凄く綺麗な方ですね」
「じゃあ、近々日本に戻ってくることがあるらしいから、その時に会えるよう、僕の方で段取りをつけておくから」
それからの毎日は、何か楽しかった。
でも、よくよく考えてみると、こちらから写真や身上書を相手方に送らなくて良いのだろうか。まあ、いいや。
1ヵ月ほどして、部長が昼食に誘ってくれた。
世間話をした後、部長が「この間の件、どうも、お嬢さんが結婚をまだする気がないらしくて。だから、あの話はなかったということで」
ややがっかりしたが、会って断られたわけでもなく、写真や身上書を送ってそうなったわけでもないので、ショックを受けるというものでもなかった。
しかし、やはりがっかりしたのは確かなことで、その日は一人で飲みに行ったと思う。