「升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた」

将棋世界1986年7月号、東公平さんの「ご縁の深い名棋士 神機妙算 升田幸三先生」より。

 人は、時代的にしか生きられない。

 もう少し早く生まれていたら、私は将棋の世界に入っていたかどうか分からないが、観戦記者になって升田幸三先生の全盛時代の対局を見ることができたかも知れない。私の言う全盛時代とは、六段から、戦争を挟んで七段、八段、そして王将戦で名人二人を半香に指し込んだあたりまでである。

 名人、王将、九段という当時の全タイトルを独占したころの升田先生は、我が事成れりの心境であり、体力的にも頂上から下り坂を踏む円熟期にさしかかっておられたのではあるまいかと思うのである。

 六段には昭和13年に20歳でなっておられる。このころのエピソードで、升田青年は対局場に着くとすぐに事務室に入り、星取り表に、丸に勝の字を彫った赤いスタンプをぺたんと押し、ニヤッと笑ってすたすたと階段を踏んだと伝えられている。負の字の青いスタンプは升田六段には無用だった。そういう光景も見たかった。

(中略)

 観戦記者として初めて升田先生の対局を受け持ったのは、例によって記憶がない。A級順位戦であったことは確かだ。

 お察しのように私は升田ファンの一人であって、どうしても升田主演、相手棋士助演という形で観戦記が歩き出してしまう。しいて公平に書こうと心掛けると、ひどく出来の悪い文になるような気がしていやだった。

「お前さんの観戦記は升田べったりだな。気を付けた方がいいぞ」と電話で忠告を受けたこともあった。朝日の人で「素粒子」を書いておられた齋藤信也氏である。この人は升田嫌いであったらしいが、私のような駆け出しには、いろいろと勉強になるご忠告をいただいたものである。余談だが斎藤氏は皇太子殿下が初めて船で渡欧された折の随行記者で、船内将棋大会の決勝戦で皇太子と相まみえ、どちらの優勝だったか失念したが、その棋譜は週刊朝日に出たし、斎藤氏の著書にも載っているはずである。どうして私は物忘れがひどいのだろう。

 金子金五郎九段は升田びいきである。ある年大山名人の忌避に会って、名人戦の観戦記を一回下りたことがあった。

 それは気持ちの上からは納得できる話だけれども、一面、升田将棋の性格をよく表した話でもある。升田という漁師が、構想という名の投網を投げ込む。大山という大魚が網を食い破るべく抵抗する。この例えは一度書いたことがあるのだが、的を外していない自身がある。もっと下位の棋士になると、食い破る歯がないためバタバタ暴れるだけで「ラクーに」網にかかってしまう。升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた。

 第一手から大きな構想を組み立てて指すのが升田先生の将棋であって、途中で妨害されて好まぬ方向に向かった時、気落ちのポカが出たのではないだろうか。

(中略)

「記録係は時計の番人だ」と注意を与える。棋譜は後でも書けるが、タイムのつけ落としや誤記は、まず対局者が迷惑するし局後に訂正するわけにいかないから。

 そう教える升田先生自身は、めちゃな記録係だったらしい。初段、二段あたりですでに四段以上の棋力があった。対局者が、かったるい手ばかり指す。寄せがあるのに逃す。升田少年は助言したいのを必死にこらえながら棋譜をつけるが、早く終わらせたいので10分なら20分、30分の長考は50分というふうに水増しをする。「どうもあの記録係は怪しい」と気付かれてついにお払い箱になった。

(中略)

 野球の名監督、名コーチは人真似が上手だと聞く。音楽の場合でも天才と呼ばれる歌い手は他人の声色や物真似がうまい。升田先生の物真似は、ほとんど知られていないと思うが絶品である。解説を聞きにお宅へよく参上したが、難しい局面で「大山ならこう指す、加藤(一)ならこう指すな。荒巻さん(引退八段)なら、こんな手つきして、こう指すんだな、フッフッフ」といった調子で顔つきから手つきまで、その人になり切った珍芸を見せてくださる。極めつけは木村十四世名人のタバコの吸い方編であろう。対戦の最中に、じっくり観察しておられたようだ。

 ある時の解説で「ここで普通はどう指すんでしょうか」と訊ねた。すると即座に「普通の手というのはどういう手ですか。わたしには分からん」と言われてハッとした。

 そうなのだ。升田将棋に「普通」はない。一つの最善手が存在し、それ以外の手は全部悪手か緩手。先生の人生観を垣間見る心持がして、以後は絶対に普通という言葉を使わないことにしている。

(以下略)

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「お察しのように私は升田ファンの一人であって、どうしても升田主演、相手棋士助演という形で観戦記が歩き出してしまう。しいて公平に書こうと心掛けると、ひどく出来の悪い文になるような気がしていやだった」

私は東公平さんの、『升田式石田流の時代』『名人は幻を見た』『升田幸三物語 』の三冊は、出版されるなり購入している。

升田将棋、升田幸三という人を、東公平さんの文章を通して読みたかったからだ。

それほど、升田幸三実力制第四代名人を語るには東公平さんを措いて他にはいない、という印象だった。

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升田主演、相手棋士助演という形での東さんの観戦記は素晴らしいものばかりだった。

観戦記には様々な形があって良いと思う。