次のA図とB図、特に後手陣を見比べていただきたい。
A図から十数手進んでB図になったように一瞬見えるが、実はB図から20手後の局面がA図。
大山-中原戦は実に奥が深い。
昨日の記事にあったように大山康晴名人の▲9五銀という、全く大山名人らしくない手が敗因となった第18期棋聖戦第2局に続く第3局で現れたのがB図とA図。
この一局では、大山名人の振り飛車史上に残る絶妙な捌きが繰り出される。
将棋世界1971年9月号、S記者の第18期棋聖戦〔中原誠棋聖-大山康晴名人〕第3局「大山・カド番を勝つ」より。
銚子における第2戦に、大山名人らしからぬ大ポカを出して好局を失った。2連敗。ここから棋界雀は、中原のツキを見て、ストレートでおわるのではないかとさえ言うものが出てきた。
しかし、こうなってからの大山名人の強さがある。普通残り三番を全部勝たなければならないと思っただけでシンドクなるのを”一番勝負だと思って、一番一番指す”という。これが大山名人のネバリ腰の要因らしい。
こうして注目の第3局は7月22日、東京渋谷の羽沢ガーデンで行われた。
(中略)
名人は十八番の四間飛車から三間飛車に転じ、さらに最近流行している石田流を目指したが、一手の遅れで4一金が離れている。そこを衝いた▲4五歩は、持久戦に移行中でもスキがあれば攻める中原流らしい機敏な挑戦。
1図以下の指し手
△3三桂▲4四歩△同飛▲5四歩(2図)大山名人「△3三桂では△3三角も考えたが、△3三角では▲4六飛△4二金▲4四歩△同飛▲4五銀△7四飛で、せっかく石田流にした意味がなくなる。いいわるいではなく”いってやれ”の気合いで△3三桂とした。最近は読みよりも流れで指すことが多くなった」という。
2図以下の指し手
△3四飛▲5五銀△4四歩▲5三歩成△同角▲5四歩△7一角(3図)2図での△3四飛で、△5四同飛は、▲4四歩から△同銀▲2四歩△4五銀▲2三歩成で先手指しやすくなる。
しかし、△4四歩と受けた形でも、石田流が生きていない。控え室では中原有利の声多し。だが、このあと、中原は急流を避け、長い浅瀬を渡ろうとした。いや、中原棋聖は急流を避けたのではなく、中原流で十分と見たのであるが、第三者の眼には、勝負を避けたと映ったわけである。
局後、中原棋聖も「3図では▲9七角が本当でしたね。△5二歩▲7五角の推移でしょうが……」
大山「△5二歩とせず△5二金右とするかもしれない」、というが、実戦ではなかなか△5二金右の悪形は容易に指せないのではないか。
もちろん△5二歩で悪ければ形などにはかまっていられないが……。
3図以下の指し手
▲6六角△6四歩▲5六飛△6三銀▲7五角△5二金左▲7七桂△5三歩▲6四銀△同銀▲同角△5四銀▲6六飛△6三歩▲8六角△4五歩▲2六飛△7二玉▲7五角(4図)▲5六飛と転じる前に、一本▲2四歩と突き捨てておく手も中原棋聖は考えたという。すなわち▲2四歩△同歩▲5六飛は、これで銀交換になれば▲2三銀を見せて牽制するのである。が、△2五歩と突かれて△2四飛から△2六歩の順を与えると指しすぎになるのを懸念したのだと……。
それにしても▲6六角の緩みを衝いての△6四歩から△6三銀の駒繰りは大山名人独特のさばきだった。
(中略)
——–
冒頭のA図が4図、B図が3図ということになる。
大山流の駒繰りによって、4図の後手陣は、3図から10数手戻ったような形になっている。
△7二玉とわざわざ中央側に寄ったのは7一角の活用のため。
4図以下、
△8二角▲6六角△5五銀打▲5七角△4六歩▲5六歩△同銀▲6六角△7四歩▲2四歩△5五銀▲2三歩成△6六銀▲同歩△4五桂▲3三と△同飛▲4八歩(5図)と進む。
角銀交換で後手の駒得だが、玉形は後手の方が薄く、先手の飛車が成れることも確定的。後手が劣勢に見えてしまうところ。
ところが、ここからが大山名人の絶妙な手順。
5図以下の指し手
△2五歩▲同飛△5七桂成(6図)
△2五歩を▲同飛とさせてからの△5七桂成。
▲同銀△同銀成▲同金のように指すと、△3四角の王手飛車取りがあるので、先手は5七の成桂を取ることができない。
6図以下の指し手
▲2二飛成△5八成桂▲同金△1四角(7図)
そして、▲2二飛成の飛車取りを放置しての△5八成桂~△1四角が絶妙。△5八角成とされては先手は勝てない。
7図以下の指し手
▲2五歩△2三飛▲1一竜△2一金(8図)
先手は▲2五歩と受けるが、△2三飛と手順に飛車交換を迫るのが△1四角の狙い。▲同飛は△同角で後手の角が先手玉を直射するので、先手は飛車交換をするわけにはいかない。
△1四角~△2三飛は、複数の本で紹介されている有名な捌き。
そして、▲1一竜に△2一金(8図)。
▲2四歩と突いて竜を助けたくなるが、それは△5八角成とされて先手敗勢。
5図の先手の2六飛が死ぬ運命にあったなどと、誰も想像できなかっただろう。
▲1一竜ではなく▲3一竜としていれば竜は助かるが、中原棋聖はあえて▲1一竜として、自陣を守るための香と金を手に入れたと考えられる。(この後、先手陣に金、香、銀が埋め込まれる)
8図以下の指し手
▲同竜△同飛▲3四銀△3九飛▲5九香△2五飛▲同銀△同角 ▲6九銀△2九飛成▲7九金(9図)
中原棋聖の必死の粘り。しかし、ここから先手陣は崩壊してしまう。
9図以下の指し手
△1九竜▲8六桂△4七歩成▲同歩△3七角成▲5四歩△6四馬▲5三歩成△同馬▲5七歩△4五銀▲9五歩△4三角▲9四歩△7六角▲7三歩△同桂▲8八金△8六馬▲同歩△7五桂(10図) まで、122手で大山名人の勝ち
将棋世界1971年9月号の「大山・カド番を勝つ」は、次のように結んでいる。
原田八段は「よっぱらいの角で中原君は負けたね」と表現して笑わせたが、中原棋聖は笑うどころではない。
これからあとはどう研究しても、中原棋聖に勝ち筋はなかった。
それにしても大山名人の△2一金はイヤらしい。”さあ、どうだ”といった形で、普通の人なら、もう投げていただろう。しかし、中原棋聖は時間いっぱい粘った。しまいには大山名人も少々もてあまし気味のようにみうけた。
丸田「△1九竜では△8四桂と打てば早くおわっていたろう」
22日午後8時27分、中原棋聖の不出来な苦しい将棋が終わった。あとがなくなってから本当に大山名人は強い。カド番をハネ返して1-2と差を縮めた。
第4局は8月3日、東京四谷の「富田」で行われる。