38年前の若手棋士座談会

将棋世界1979年2月号、座談会「若手棋士の生活と意見」より。

出席者は、真部一男六段(26歳)、青野照市五段(25歳)、谷川浩司四段(16歳)、田中寅彦四段(21歳)、大島映二四段(21歳)、小林健二四段(21歳)。司会は読売新聞の山田史生さん。

 いま次代を担うとして期待されている若手棋士たちが、自分の将棋に対して、生活に対して何を思い、また棋士の在り方について何を考えているか―。

 新年号”中原をなぜ倒せないか”の座談会の中で、いまの若手は生活が安定しすぎたからそれに満足して倒せないという意見も出たが、それに対する反論もあるだろうし、またなければ嘘で、そういった諸々のことを大いに語ってもらうことにした。

 さて、どんな話が飛び出すことやら―。

 山田 現在将棋人口1千万人とかいって、将棋界はすごい活況ぶりなんですが、棋士の生活がどういうものなのか案外知られていないように思うんです。実際、棋士というのはどのくらい収入があってどんな生活をしてるのか知らなくて、棋士はサラリーマンと同じように会社に勤めて、対局のある日だけ将棋を指すというふうに思っている人が案外いるんですね(笑)。

好きだから

山田 棋士の生活と収入、今後将棋界がどうなっていくか、将棋連盟に対する注文とか、そういったことを中心に語ってほしいんです。では、最初にどういうきっかけで棋士になったか、その辺のところから入りましょう。年の順で真部さんから……。

真部 好きだったからです。この道には12ぐらいで入ったから、他の知識もなかったし、迷う材料もなかったんです。

青野 ぼくが入ったのは15のときです。魚屋の長男で、家業を継ぐのか継がないのかまだはっきりしていなかったときに急激に将棋が好きになり、たまたまプロになってみないかと誘われてちょっと迷ったんですが、自分の好きなことだから”よしやってみよう”で将棋界に入ったわけです。やっぱり好きだからっていうしかないと思いますね。

山田 好きなことをやって生活ができると……。

青野 いや、生活というのは考えないんじゃないですか。我々の世代で、プロ棋士になろうと思った瞬間は、まだ小っちゃい頃なんですから。

山田 皆さんそうですか。

田中 ぼくはとにかく負けん気が強いっていいますか、将棋を覚えたのは小学校2年ぐらいなんですが、その頃は同年代仲間の誰と指しても負けない自信があったんです。ところが中学に入ってすぐ強い相手が現れて、全然歯がたたない。それで頭にきちゃいまして、どんどん指して好きになっちゃった。好きになっちゃえば生活がどうのこうのに関係なしに入っちゃったんです。

山田 だけど奨励会のうちは生活ができないわけですね。収入はほとんどないんでしょ。

田中 ええ。

山田 やはり生活というものに将棋を結びつけて考えてきますよね次第次第に。入った動機はどうあれ。

田中 それがまだあんまり考えていませんね、ぼくの場合。あと5年ぐらいたったら考えようかと思っています。

山田 谷川さんは、うんと早くから棋士になっちゃったけど、谷川さんの動機は。

谷川 やっぱりボクも好きだったからです。それと周囲からもすすめられまして…。

青野 普通の人がこれから棋士になろうかという年齢のときに、もう四段だからねえ(笑)。

棋士のくらしぶり

山田 将棋ファンの一番知りたがっていることは、棋士の生活ぶりだと思うんですが……。現在の生活とか将棋の勉強方法について、大島さんいかがですか。

大島 そうですね。まあ10時頃起きましてなんとなくボケーとしまして……(笑)。

一同 (笑)。

大島 お昼過ぎてから将棋の勉強をしています。

山田 といいますと。

大島 将棋を見るということで、まあできるだけ連盟にくるようにしています。あと一人っきりになる時間を作っています。

山田 それはどういうわけですか。

大島 自分の将棋を研究しているんですけど、どうも自分の方から転んでる将棋がほとんどなので、もう少し精神修行をしてみようと思いまして。

山田 谷川さんは高校生で対局のない日は学校へ行っておられるんでしょうが、将棋の勉強法というと……。

谷川 ボクは詰将棋を解く練習をしていて終盤には少し自信があるんです。

山田 棋譜は並べないですか。

谷川 並べるより、詰将棋解いたり作ったりする方が多いです。

山田 詰将棋っていうのは、かなり力がつくんですか。

真部 ぼくは詰将棋っていうのは腕立て伏せとかランニングだと思っているんです。いろんなスポーツやる場合、基礎体力がなければ技だけ覚えてもダメでしょ。鉄棒から落っこっちゃったりしてね(笑)。

山田 なるほど……。小林さんはどうですか。

小林 ぼくは棋士の中では早起きの部類に入るんですが、これは女房の関係で早起きにさせられちゃったんです(笑)。

山田 お子さんが生まれたとか。

小林 いや、今日か明日生まれるんです。今朝5時頃起きて病院へ連れて行きました。(編註:この座談会が終わった直後の12月20日午後2時45分、3200グラムの男児無事誕生。名前は一二三君)

山田 それはそれは。

小林 ぼくの場合、朝食が8時頃で午前中は新聞を切り抜いたりしています。それで昼頃に連盟に電話して対局がいっぱいあれば、ちょっとのぞいてみようかなって気もしますが、棋譜はそんなに勉強しません。で、夕方稽古があれば稽古に行きます。

稽古は是か非か

山田 皆さん、稽古は週にどのくらいやるんですか。

小林 多いときは毎日(笑)。

一同 (笑)。

小林 週によって違うんですね。対局が多いとなるべく前の週はやらないようにして、かためちゃうんです。

山田 稽古先の需要はかなりあるんですか。

真部 そんなにないですね。ぼくらぐらいですと。

青野 ないといっても4、5軒ぐらいはあるでしょう。

小林 新陳代謝が激しいんです。たとえば会社の役員の方が転勤されたりなんかすると火が消えたみたいに静かになっちゃって、結局いつの間にかおしまい(笑)。

山田 でも、お客さんはある程度大事にしないといけない面もあるでしょう。

小林 そうですね。ぼくは棋士の中じゃ多い方かもしれませんが、稽古へ行ってですね一生懸命やってると、稽古ということを忘れちゃって将棋指してるんだって気になりますね。ボクシングのスパーリングと同じようなもので、稽古を本番の稽古台にしてるんです。ピント気が張り詰めます。対局がちょっと少ない感じでもう少し指したいなぁって思うこともあるんですが、それが稽古だとすごい指せるわけです。

山田 小林さんの場合、稽古がプラスになってる。

小林 そうです。そういう方向に持っていかないと、稽古がいやだなって思いだしたらこれはただお金を稼ぐためだけにやってるのと同じで、それならやらない方がいいですからね。

田中 しかし、お客さんと指して……。

小林 楽しいですよ。

田中 いや楽しいことはあるかもしれないけど、自分の将棋のたしになるとは正直いって一回も思ったことはないですね。

小林 そう思っちゃう。思って自分を暗示にかけちゃう(笑)。

山田 谷川さんなんかどういう稽古やってますか。

谷川 ボクも小林さんみたいに、わりと楽しい雰囲気で……。

山田 まあかなり強いお客さんもいるだろうから、角落ちなら勝負的要素も……。

真部 ありますね。おもしろいですよ、角落ちぐらいの手合だと。

小林 ホントおもしろいですよ。

青野 ぼくなんかも稽古に夢中になっちゃう方だから……。

真部 駒落ちなんかでも、常に上手が”新手、新手”と開発してね(笑)。

棋士の月収はン十万?!

山田 読者の皆さんも一番関心があると思う収入なんですが。四段という一人前になって給料と対局料をもらいますね。月収でも年収でもいいんですが、一体どのくらいの収入があるものか差し支えなかったら聞かせてほしいですね。

田中 どのくらいあるんでしょう(笑)。いやまったくズボラで申し訳ないんですけど今自分でいくら収入があるかわからないんです。ただぼくは、これだけのお金になるから将棋を指すっていうんじゃなく、将棋を指したいから指して、その結果お金になったということなのです。

山田 青野さんはいかがですか。

青野 将棋連盟から給料と対局料等合わせて、年間250万ぐらいですか。

山田 あとはお稽古料など……。

青野 そうですね。でも連盟からといっても、給料、対局料、年末手当等がひとつと、もうひとつは雑誌の原稿料、将棋まつりの手当とか、その辺のところははっきりわかりません。

山田 いや詳しく聞くのが目的ではなく、棋士というのは、他の同年齢のサラリーマンに比べ、恵まれているのかいないのかといったことを知りたいんです。

青野 うん、そう、当然。これからはどんどん発展していった方がいい時代ですしね。

山田 大島さんなんか、他の社会で働いている自分の友達に比べて、収入が多いと思いますか。

大島 いや別に思いません。

山田 少ないですか。

大島 少ないとも思っていません。

青野 ぼくははっきり多いと思いますね。それはいろんな雑収入もあるからであって、もっと増やそうと思えば、まだ相当に増える余地はありますが、なるべく他のところからの収入を抑えて自分の時間を持つようにしています。ですから、臨時の仕事とか他からの仕事は、なるべく断るようにしています。

真部 仕事を増やすとその何ヶ月かは収入がよくなるかもわかりませんが、将棋がおろそかになるでしょう。将棋がおろそかになって勝てなくなると、今度は他の仕事がなくなるから収入が減る。(笑)

将棋を貯めて飯をくう

青野 我々っていうのは、奨励会時代の勉強した将棋の貯金で、あと喰ってるようなものですから。たとえば四段になると今まで培ってきた将棋の貯金で、今度はもらえる立場になるわけです。けれども全部いっぱいに広げちゃうと、四段から貯金がなくなっちゃうわけで、”種をまく”こともしないと、全部刈り取るだけで種まで喰っちゃう恐れが出てきます(笑)。

山田 奨励会時代に将棋の貯金をして、あとは減らしていくわけですか。

青野 いや減らすっていうわけじゃないんです。

小林 応用がきくようになってくるんじゃないですか。奨励会時代は現在と比べて、考え方の限界があるんです。級の時代と段の時代でも差がありますが。現在の考え方というか能力がないわけです。

青野 結局、四段をスタートラインだと考えている人は、棋士になっても今まで蓄積されてきた貯金が減らないわけです。ところが四段をゴールだと思っている人は、そこで減ってきちゃうわけです。四段ていうのはたしかにゴールの意味もあるし、スタートラインの意味もあるんですね。どっちに考えるかで、これは随分違ってくるんじゃないですか。

山田 皆さんは当然、スタートラインだと思っている人たちばかりでしょうけど。

棋士はいい商売?

山田 皆さん、平均すると対局は週一回かやや少なめかな。

青野 いや週何局といった方がしっくりきますね。

山田 年53週だから、やはり週一回……。

青野 しかし、年50いくつというのは、下位でも十本の指には入るでしょう。

山田 青野さんはどのくらいなんですか。

青野 ぼくの場合で、大体年間45局ぐらいですね。

真部 全敗だと30ぐらいかな(笑)。

青野 全敗だと30いかない。25~26ぐらい。全体の平均だと35~36ぐらいかな。

山田 田中さん多いでしょ。

田中 ええ、去年が48だったですか……。

山田 考え方によっては週一回ぐらい対局して、あとは自由な期間で恵まれているように思われてる向きがあるんですけれど。

真部 才能があり余っている人には楽な商売でしょうけれどもね。1週間遊んでて、対局日がきたらパッパッと指せばいいんですから(笑)。

一同 (笑)。

山田 真部さんはどうなんですか。

真部 いや、ぼくらクラスじゃ、これはもう勉強につぐ勉強ですよ(笑)。

山田 小林さんなんか、奥さんもらってお子さんができるとなると、やはり独身時代とは、生活態度とか気構えなんか違ってくると思うんですが……。

小林 この中で家庭を持っているのはぼくと真部さんだけですが、どうでしょう。他のことがわかりませんから、ちょっと。そんなに収入も多いわけじゃありませんし。まあ連盟からもらっているのが青野さんが五段で250万で、四段となると大体200万ちょっと切れるぐらいじゃないですか。

田中 この前、日経新聞の”はたらく”という欄で、ぼくが取材されたんですけど、高柳渉外理事が、四段で250万~300万というふうに発表しちゃったんですね。

山田 それは他の収入も含めてですか。

田中 いえ連盟だけです。あとはその棋士の人気によって異なってくると……。

真部 小林君は500万ぐらい稼ぐとか。

小林 冗談でしょう(笑)。むちゃくちゃですよ(笑)。

山田 もちろん稼いで悪いわけはないんですけど、ただ将棋の勉強がおろそかになるかどうかは別にして、稽古を増やせば収入もどんどん増えることがいえるわけですね。

小林 それはそうなんですが。

山田 連盟からもらうお金だけでは生活は非常に苦しいということになりますか。

小林 私の場合はやれないと思います。考えてみれば、他の同年代の独身の棋士は貯金ができるわけですよ。ぼくはその貯金の分だけ家族を養うので、だから、貯金なんかまるっきりありません。ぼくの場合、普通のサラリーマンとそんなにかわんないんじゃないですか。生活もサラリーマンみたいだし(笑)。

山田 谷川さんは今高校1年ですか。他のクラスメートはもちろん収入がないわけですけれど、そのお金はどうされてるんですか。

谷川 すべて親に一任しています。

山田 じゃあ谷川さんの場合、将棋の貯金とともに本当の貯金も増えているわけだ(笑)。真部さんなんか、非常に収入が多いと聞いていますが……。

真部 そんなことないですよ(笑)。稽古なんかは奨励会時代から行ってるところが多いですからね。そういった長いつきあいのところは行きますけど、他の仕事はあまりやりたくない……といってもそれでもやってるのかなあ(笑)。どうかなあ。自分でもよくわからないんだ。

山田 大島さんは今ご家族と一緒でしたっけ。

大島 はい。

山田 じゃ、入ればみんな小使いになっちゃう。

大島 そうですね。

田中 ぼくもそういう意味じゃ生活をかけていますよ。いま母と一緒ですから。

山田 お母さんを養ってるわけ。

田中 といっても母は年金が入るから大丈夫なんですが。

小林 お母さんはいくつなの?

田中 歳はまあ(笑)。気はぼくと同じですから、友達みたいにやってます。

小林 寅ちゃん、兄弟は?

田中 一人っ子です。いままでさんざん養ってもらいましたから、これから少しいいめをしてもらおうと。

山田 そういう意味で生活がかかってるわけですね。

(つづく)

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昇降級リーグ戦3組(現在の順位戦C級1組)の青野照市五段(当時)の日本将棋連盟から受け取る額面の金額が(給料+対局料+将棋世界・将棋マガジンの原稿料+将棋連盟主催のイベント出演料)で約250万円。

これは、1979年当時ということを考えても、決して高いとはいえない金額。

昇降級リーグ4組(現在のC級2組)は、この70%ぐらいになる。

反面、当時は企業の将棋部の数が多かったので、稽古の数は現在よりも多かったはずで、その辺でバランスが保たれていたのかもしれない。