羽生善治五冠(当時)が語る、各トップ棋士の印象

将棋マガジン1993年11月号、鈴木宏彦さんの「青年五冠王に聞く」より。

将棋マガジン1993年10月号より、撮影は中野英伴さん。

 次は四年前の将棋世界、僕のインタビューを再現。当時の羽生は十八歳・五段。前期公式戦で64勝16敗という成績をあげて初めての将棋大賞を獲得。初タイトル(竜王)を獲得するのは、この半年後だ。( )内は18歳の時の回答〕

-羽生さんはなんでも指しますよね、あれはなぜ。

羽生 今はまだ自分の将棋を形成している時期だから。一度経験しておけば、いざという時に慌てないですむという気持ちもあります。(なんでもやりたいから。それと一つ戦法にこだわっているのは損だと思います

-大山-升田戦など古い将棋は。

羽生 最近見ています。面白いですね。(恥ずかしいけど、全く知りません

-宗看、看寿の詰将棋は。

羽生 十九歳までに一通り詰ましました。(やっていません

-トップ棋士と指した印象を教えてください。まず大山十五世名人。

羽生 相手が嫌だなと思う手を指してきます。それと、よく似た形になっても、必ず前と違った対策が立ててある。(本当に大きな山というか、攻めてていつも不安になる

-中原前名人。

羽生 自然流。序盤と泥仕合になったときの感覚が優れている。(いつも悠然としていて落ち着きがあります

-米長名人。

羽生 最近は最新形をやっているから目立たないけど、乱戦のまとめ方がうまい。とくに玉の薄い将棋は抜群。(手厚い。小さなことにこだわらず大模様を張ってくる将棋

-谷川王将

羽生 鋭い。最近は渋い。駒の損得を重視する。終盤の踏み込みに驚く。(スピード感があります

-では、ライバルの印象は。まず森内六段。

羽生 勝負師、その一言。(慎重で正確。一番気になる存在かもしれない

-佐藤康光六段。

羽生 学究的。今の若手の中では変わっています。(将棋を学問としてとらえている

-先崎五段。

羽生 イメージは派手ですが、意外にアベレージヒッターだったりする。形にもこだわる。(思いきりのいいところが長所

-村山七段。

羽生 やはり勝負師。強い時とそうでない時とややムラがある。(変わっているというか、ユニークというか

-南九段。(ここからは過去の回答なし)

羽生 矢倉の名手。データを調べていても、実戦になると一から読み直してくる。強いと思います。

-高橋九段。

羽生 南さんとよく似ていますが、南さんより感情の揺れがあるように感じます。

-加藤一二三九段。

羽生 信念の人。長い持ち時間で対戦しないと本当の強さが分かりにくいと思います。五時間、六時間の対局で一分将棋になった時は本当に強い。

-塚田八段。

羽生 自分のペースを持っている。

-森下七段。

羽生 自分の将棋。相手がどうこうより、自分の将棋。

-郷田五段。

羽生 やはり信念の将棋。どこかで必ずひとひねりしてきます。

(つづく)

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佐藤康光六段に対する、「今の若手では変わっていると思います」は、指し手のことではなく、学究的という点に対して。

そして、森内俊之六段の印象は、「勝負師、その一言」。

以前、森内俊之九段と佐藤康光九段の勝負哲学の違いというブログ記事で取り上げているが、まさに、羽生五冠が感じた印象が、形となって表れた事例がある。

1995年の将棋マガジンで、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)が「佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック」の企画を立てた時のこと。

「女子大生を招いてアベック将棋トーナメントをやるというのはどうでしょう。観戦記者と女流棋士のペアも入れたいと思いますが」

森内八段は「いいですね」と言ったが、

佐藤前竜王は「それ、なんか意味があるんですか」。

一方、

「お二人に六枚落ちの上手と下手を持って交互に指していただく。下手を持って、短手数で勝ったほうが勝ちというのはどうでしょう」

佐藤前竜王は「新定跡をつくるという意味なら面白い」と言ったが、

今度は森内八段が「将棋は手数を競うものではありません。それに駒落ちはちょっと…」。

青島さんは、次のように結ぶ。

普段の付き合いで知っているつもりだったが、森内八段の勝負に対するこだわりは予想以上だった。一方の佐藤前竜王も、「形に残らない遊びだったら、やる意味がない」という。これは、そのまま両プロの勝負哲学といっていい。

それぞれの棋士に、上の二つの質問を投げかければ、その回答によって”勝負師型”か”学究型”かを見分けられるのではないかと思う。