将棋世界1999年5月号、深浦康市六段(当時)の「第57期順位戦最終局 C級2組 勝者の数だけ敗者が居る」より。
春一番の便りが届き、啓蟄も過ぎた3月9日、C級2組順位戦最終局が行われた。取材のため、連盟へ出掛ける準備をする。今日は寒い。また、冬に戻ってしまうのだろうか、と外を見たら小雨が降っていた。3月の冷たく重い雨。対局者の人達は皆、傘を持って出掛けたのだろうか、と心配になった。
PM5:45 将棋連盟到着。C級2組ではどうしてもまず、田村のネームプレートを見てしまう。プレートの上下はなく、まだ終わっていない様子。東京の15局は全て夕食休憩に入りそうだ。
3階の事務室で本日の予習。まず昇級争いは、前局9回戦で木村四段、行方五段が9戦全勝で、1局を余して昇級を決めている。残るイスは1つ。1敗の勝又か、2敗の杉本か、完全に2人に絞られた。表を見て頂くとわかるとおり、杉本や松本の終盤の2連敗が痛々しい。昇級候補達のサバイバルが今期の目玉であった。
降級点を凌ぐ争いも深刻だ。すでに3名がとっており、残りは6名(計9名が降級点該当者。5名に1名の割合が算出基準)。3勝者(2勝ではまずアウト)の内、順位上位は助かるが下位の30番台が危ないボーダーライン。例年だと33番、34番が最後の貧乏クジをつかまされている。今年は武市の3勝、松浦の2勝辺りがボーダーラインと言えようか。順位1枚は非常に大きいのだ。
PM7:10 夕食を終えた対局者はこれから夜戦に入る。控え室でも夕休にコピー、FAXした、東京大阪計23局を片っ端から盤上に並べていく。大阪からのFAXの中からまず杉本-伊藤(博)戦を見つけ出すと……、すでに夕休前に終局していた。PM5:37杉本勝ち。杉本は四間飛車から、穴熊に組む寸前の伊藤玉を強襲して快勝。
盤面に再現していた脇(翌日東京で対局)の背後から勝又登場。気分転換に来たのだろうが何かボヤいている(この辺りは師匠の石田ゆずりだ)。そして記録用紙を覗き険しい顔になる。ここで腹を決めたのだろう、以後控え室に現れる事はなかった。もっとも杉本が負けて昇級できる事を、期待してはいなかっただろうが。これで杉本は8勝2敗で終了。勝又-大島戦の結果待ちとなった。
植山-窪田戦の進行が早い。植山は順位7位ながらも不振が続き、まだ2勝組。1図は夕食休憩の局面。ここから植山は寄せに出る。
▲9六飛△8四銀▲8三銀成△同玉▲9二飛成△7四玉▲7六香△7五銀打▲同香△同銀右……。▲9六飛からの手順が、控え室に勉強に来ていた森内八段、石川六段らを驚かせる。とても降級点を争っている将棋には見えない。序盤から窪田四間飛車の乱戦の戦いを、うまくまとめた植山の評判が良い。7四まで引っぱり出した後手玉は、以下▲5六銀としばれば寄りそうだ。
さて昇級争いの勝又-大島戦の方は、これこそ順位戦という手順が続いている。PM9:00、PM10:00になっても局面に激しさは感じられない。そればかりかお互いに馬を作り、自陣で構えている。終局は楽に日付けを越えるだろう。
PM9:07 近藤-木村戦は、2勝組対昇級決定者の一番。C1への昇級を決めている木村が、降級点を争っている近藤に対しどのような指し回しを見せるかも気になる所である。近藤は初手▲5六歩からのゴキゲン中飛車。木村は手厚く構える作戦で対抗して2図。▲4四歩△同角と打ち捨てた局面だ。
以下▲4七飛△4三銀▲4五金打△2二角▲4四歩△同銀▲3四金△4三歩。▲4五金打から▲3四金とすり込んだ構想が好着想。つらい△4三歩を打たされては木村の劣勢は明らかだ。以下も近藤の着手は冴え、狙いの▲4六飛(次の▲2六飛で受けなし)も数手後に出て、近藤優勢。
だんだんと夜戦も佳境に入り、大阪との連絡が多くなってきた。
大阪で行われていた、坪内-矢倉戦が終了、坪内勝ち。河口-小阪もその30分後に終了、河口勝ち。共に2勝下位組ながらも強敵相手に勝利を収めた。星に動きが出始めて、ドラマの幕開けとなった。東京でも植山-窪田戦が終了、逆転で窪田勝ち。これが降級点のプレッシャーなのだろうか。当然とも言える手を1図以降に逃し、形勢をひどく悲観していた様子だった。2勝では助からない。植山無念の降級点。坪内、河口は他の対局の結果待ち。
PM10:43 勝又-大島戦は流行の予感する相掛かり▲2八飛戦法を勝又が採用し、長い中盤戦が終わりそうにない。
3図で▲8三桂は打った本人も理解不可能の一手だろう。△9三香▲9一桂成△6二飛▲8一成桂△同馬となり、とても先手が良いとは思えないが、流れを引き寄せたい、という気持ちは痛い程良く分かる。
まもなく大阪より、藤原-松浦戦、藤原勝ちの連絡。微妙なラインの33位武市の3勝は逃げ切り決定。2勝の松浦は無念降級点。そして自動的に2勝下位だった、宮坂、佐藤(義)も対局中ではあるが、降級点決定。館内テレビでは宮坂が、飯塚相手に奮闘中だ。見ているこちらの方が胃が痛くなってくる。
PM11:12 降級点争いは6名中4名まで決定。2勝上位の近藤、大野は自分の対局に勝てばセーフ。すでに終了している河口と坪内は長い結果待ちの状態だ。
控え室でも注目局が残り少なくなってきたので、3面を横一列にして比較検討。一番端から勝又-大島、近藤-木村、そして中座-大野戦が4図。本局も(相掛かり▲3七銀からの)長い中盤戦だったが、ペースを摑んでいたのは大野。しかしなかなか好転しない形勢に苛立っていたのも事実の様だ。
図から▲5四銀と角を取ったが、△同金で控え室でも初めて”おやっ”という空気が流れた。△5四同歩▲6八歩△5五歩ぐらいで後手十分という判断だった。本譜は3四の地点が薄くなり▲4六桂で後手も嫌らしい。
AM0:00 日付けが変わる。静かに行われていた、もう一人の昇級者、行方-豊川戦が終了、行方勝ち。豊川にもチャンスのある戦いだったが5図での▲5七金右の強防を逃し行方ペース(本譜は▲7八銀)。しっかり勝ち切り10戦全勝は、さすがの一言。
勝又-大島は形勢不明。近藤-木村は近藤優勢。中座-大野は逆転ムードだが、大野が踏ん張っている状況だ。
AM0:45 遂に結着。AM0:42近藤勝ち。近藤はセーフ、結果待ちだった河口は、7連敗3連勝ながら涙の降級点。眠れない夜になってしまった。
粘りに粘った木村も負けはしたものの、来期の順位の大きさを知っている。昔の羽生の辛さを思い出した。C1でも要注意人物。
AM0:43 大島投了して、勝又昇級決定。6図の▲4二角以下即詰み。「これだけは読んでいました」
勝又の笑顔がこれまでの苦労を物語っていた。本局での息の長い戦いはC1でも生きてくる事だろう。実力者杉本は残念。
そしてAM0:56、大野投了。最後まで粘ったが無念の降級点。大阪の坪内には朗報が届いた事だろう。今期の明暗は38位と39位だった。
本日のレポーター役は初めての経験だったが、改めて勝者の数だけ敗者の数が居るという事が分かった。しかし胃の痛い一日だった。
行方は新四段の時、「勝ちまくって、いい女を抱きたい」と言った。まだその夢を果たしてはいまい。そして真価が問われるのはやはりこれからであろう。
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棋士同士だからこそ気持ちのわかる、深浦康市六段(当時)渾身の順位戦最終局レポート。
「C級2組ではどうしてもまず、田村のネームプレートを見てしまう」、「例年だと33番、34番が最後の貧乏クジをつかまされている」などは、まさに棋士ならではの視点。
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「粘りに粘った木村も負けはしたものの、来期の順位の大きさを知っている。昔の羽生の辛さを思い出した。C1でも要注意人物」で書かれている”辛さ”は、”つらさ”ではなく”からさ”。
このようなことを言っている。→血涙の一局
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深浦康市九段が書く文章には素晴らしいものが多い。
かなりな高打率だと思う。
→深浦康市七段(当時)にとっての、将棋の世界に入らなければ会えなかったタイプの人