将棋世界2000年9月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。
田中魁秀九段の昇段祝賀パーティーが行われたのが7月2日。会場には入りきれないほどのファンが駆け付け…いやあ盛り上がりましたでえ。二百数十人の熱気にエアコンのなかなか効かない中、パーティーが始まったが、そうそうたる田中魁秀一門と、お祝いに駆け付けた米長邦雄永世棋聖のスピーチにファンは大満足だったようで、皆さんの顔から笑顔が絶えなかった。
それにしても…やっぱり田中先生は面白い。壇上で小林健二理事から免状授与されることになって「しもた!免状部屋に置いてきてもた。どないしょ」である。その他にも歯に衣着せぬ発言で爆笑の連発。それを演出ではなく自然にやってしまうところが人柄というか、田中流というか…。弟子達も個々に持ち味を発揮して場を盛り上げていた。阿部隆七段はテキパキと次の行動を指示し、福崎文吾八段は一番弟子らしく弟弟子達の聞き役に回り、佐藤康光九段は田中九段のプロフィール紹介の時に妹さんと一緒にヴァイオリンを弾いて場内を和ませる。師弟がこのパーティーを成功させようと一丸となっている。実に素晴らしい光景だった。
ここで面白いエピソードを一つ。佐藤康光九段が田中九段に弟子入りをした時、しばらく先生の家で勉強することになった。田中先生は優しそうに「佐藤君、何か嫌いな食べ物はあるんか?」と聞いてくれる。佐藤君はああ、何て優しい先生なんだろうと思いながら「ハイ、茄子が嫌いです」と答えた。すると翌日からの田中家の食卓には毎日ビッシリと茄子が並んだそうである。「しまったと思いましたが、好き嫌いをなくさんと将棋は強くなれんと、そう言って下さったのでしょうね。ひいては戦法も好き嫌いなんて言ってたらアカンという所に通じているのだと思います」と佐藤九段。相手の得意形でもどんな戦いも堂々と逃げずに立ち向かっていく、現在の佐藤流のスタイルはここが原典なのかもしれませんなあ。師弟のええ話でした。
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茄子は、いろいろと考えさせられる食材だ。
麻婆豆腐が十分に美味しいのに、どうしてわざわざ麻婆茄子のようなものができてしまったのだろう、とか、なぜ茄子が入るようなカレーライスがわざわざ出現してしまったのだろう、とか、1本まるごとの焼き茄子がなぜあれほどもてはやされるのだろう、とか。
私にとって茄子は、忌み嫌うほどではないけれども好んで食べたいとまでは思えない野菜。茄子の天ぷらは普通に食べるけれども、茄子の煮浸しになると食指が動かないといった感じ。非常に端的に言えば、苦手ということになる。
そういうわけなので、茄子が嫌いだった佐藤康光少年の気持ちは痛いほど理解できる。
「翌日からの田中家の食卓には毎日ビッシリと茄子が並んだそうである」という文章を見て、私も気持ちが暗くなってしまった。
そもそも茄子は「栄養的にはさほど見るべきものはない」と言われており、嫌いを克服するにもなかなかモチベーションが上がりづらいと思う。
そのような中、茄子攻撃に耐えた佐藤康光少年の精神力は、見事というほかはない。
「好き嫌いをなくさんと将棋は強くなれん、戦法も好き嫌いなんて言ってたらアカン」という子供時代からの刷り込みが、佐藤康光九段の奔放な戦法、指し手の根源の一つになっていると考えることもできそうだ。
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田中魁秀九段と佐藤康光九段の物語。