「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」

将棋マガジン1992年9月号、東和男六段(当時)の第60期棋聖戦(谷川浩司棋聖-郷田真隆四段)第3局観戦記「驚愕の対策」より。

「私の方がすっかり仇役」。

 谷川棋聖が思わず漏らした今回の五番勝負へのコメントだが、確かに同じチャイルドブランドの挑戦でも、これまでの羽生、佐藤(康)、森内らの場合とはちょっと趣が違う。

 棋界の君臨し続けてきたプリンスも流石に今回だけは声援を一人占めする訳には行かないようだ。

 一勝一敗の後を受けた第三局は7月6日。この三日前、郷田四段は佐藤(康)をプレーオフで降し、王位挑戦権も獲得していた。その「王位」は谷川浩司。何とこの棋聖戦と併せて、計十二番勝負を争うことになった。

 この間も谷川~南のカードで棋聖戦、王将戦のタイトルマッチが重なって進行したが、四段で同時に二つのタイトル挑戦なんて前代未聞。

 既に郷田の実力がトップレベルと遜色ない何よりの証だろう。

 第三局の対局場は棋聖戦では恒例となった有馬温泉「ねぎや陵楓閣」。

 有馬は大阪から車で約1時間と意外に近い。正立会人の田中魁秀八段ら関係者が現地入りすると、10分違わずして郷田四段と共に東京組が到着した。

「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」。早速、魁秀先生は郷田四段へ挨拶代わりの一言。もちろん、三日前の王位挑決のことを言われている。佐藤(康)六段は、今は東京在住とはいえ歴とした田中魁秀八段門下だ。

 さらに、この棋聖戦でも挑戦者決定戦は郷田~阿部(田中魁秀門下)戦だった。「ひとつくらい(弟子に挑戦権を分けてくれても)ええんちゃうかと思うて」、と本人を相手に魁秀先生の会話にはまったく屈託がない。郷田四段はただ苦笑いするばかり。

 前夜祭では、「谷川さんとしては正直(王位挑戦者は)どっちに出て来てもらいたかったですか」と大きな声で質問があって、これには谷川王位も返答に困った。

(以下略)

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「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」

昭和中期の日活無国籍映画でいえば、宍戸錠が扮する”エースのジョー”が、マイトガイ・小林旭に「ウチの若いモンを可愛がってくれたらしいじゃねえか」というような雰囲気を持った台詞だ。

昨日の「様子見にいってこい」と同様、機会があれば使ってみたい私の憧れの言葉のひとつである。

佐藤康光王将は、子供時代、田中魁秀九段に直接教えてもらって強くなっていった。

弟子思いの師匠らしいエピソードだ。

佐藤康光九段の入門時代