将棋世界2000年11月号、日本経済新聞の松本治人記者の第48期王座戦五番勝負〔羽生善治王座-藤井猛竜王〕第2局観戦記「長い勝負の始まり」より。
王座戦第2局は、藤井竜王先勝の後を受け、まだ残暑厳しい京都市で行われた。
(中略)
この五番勝負前までの、両者の対戦成績は藤井の4勝2敗。戦型はすべて藤井の四間飛車に羽生が居飛車で対抗しており、しかもすべて先手番が勝つというデータが残っている。戦前の藤井のコメントは「中盤で競り合い負けしないように」である。
棋界有数の戦略家で知られる藤井だが、羽生相手では序盤からリードするのは難しいと覚悟しているようだった。第1局が二人にとって初めて後手番が勝ったケースで、これは藤井の完勝譜。戦前から「もしタイトルを取れない場合は、第5局までは指します」と宣言していた藤井である。前途にいよいよ期待を膨らませての京都入りだったろう。
一方の羽生のコメントは「四間飛車に自分がどう向かい合っていくかが課題。楽しみな相手」。3日前に王位戦第5局を戦ったばかりだが疲れた様子はうかがえなかった。
(中略)
よく言われるように、藤井の四間飛車は大山十五世名人や森安九段らとは棋風が違う。本人も「四段になった頃の小林健二八段の将棋が参考になった」と話している。しかし本局では大山流が乗り移ったかのようだった。居玉、玉飛接近の悪形で、これだけ頑張れるものか、という粘り腰だった。
(中略)
羽生-藤井戦には、羽生-谷川戦のように、十数手先の詰めろ逃れの詰めろといった華麗な手筋の応酬はあまり見られない。魔法のような意外性がない代わりに、肉弾戦を間近で見ているような迫力がある。将棋というのは勝つまで大変なんだ、ということを改めて教えてくれるような本局の進行だった。
(中略)
午後9時51分、藤井投了。直後はお互い声がなかったという。
(中略)
軽い打ち上げの後、羽生は早めに自室に戻った。翌日はJT杯のため一行と分かれて静岡入り、森下八段との対局が待っている。
一方藤井は関係者らと共に祇園の街に出た。あまり京都とは縁がなかったらしい。最初は口が重かったが、特別注文の、極端に薄い水割りを口にしている間に元気が出てきたようで、観戦記担当の保坂さんとの会話が弾んでいた。
「誕生日は2日違い、結婚式は3日違い。しかし将棋では大先輩」―。藤井お得意のセリフである。羽生が四段デビューした時、藤井は奨励会にも入っていなかった。羽生竜王の時にはまだ級位者である。4年前の新人王記念対局が初めての対戦と、顔を合わせるようになったのはつい最近だ。
しかし、かえってそれがよかったのではなかろうか。羽生へのコンプレックスを植え付けられず、実力をそのまま発揮して戦えるからである。本局は負けこそしたが、日ごろの立ち居振る舞いを見ていても、羽生に気おされている風は、まるで感じない。逆に、羽生にとって相性の悪い相手が初めて出来るとすれば藤井かもしれない。
棋暦以外でも、あらゆる面で対照的な両者である。万華鏡のようにすべての戦法を指しこなすゼネラリストと四間飛車一本のスペシャリスト。幼少から天才の名をほしいままにしてきた羽生に対し、藤井は丸山名人と同様、30歳を超えた今も少しずつ強くなっているかのように見える。
(以下略)
——–
明後日は藤井猛九段の誕生日、そして今日が羽生善治三冠の誕生日。(二人とも1970年生まれ)
——–
藤井猛九段の結婚式は1996年3月31日に、羽生善治三冠の結婚式は1996年3月28日に行われている。
——–
「誕生日は2日違い、結婚式は3日違い」
誕生日も結婚式もたまたまこの日になったわけで、確率的に非常にレアなケースと言えるだろう。
そういえば、私が大学時代に憧れていた女子大生の誕生日は私と2日違いだった。全く成就はしなかったが。
——–
玲瓏:羽生善治 (棋士)データベースのデータによると、羽生善治三冠の誕生日の対局での勝敗は9勝1敗。
そのうち、タイトル戦においては2勝1敗。
以前は9月27日は王座戦第3局であることが多く、タイトル戦での2勝1敗はすべて王座戦第3局。
1994年は谷川浩司九段に、2006年は佐藤康光九段に勝って、共に王座戦ストレート防衛を果たした日になっている。
逆に2011年の王座戦第3局では渡辺明竜王に敗れ、王座を失冠した日となった。
———
今日の王位戦第7局、羽生善治王位にも木村一基八段にも両方に勝ってほしいのが本音、という悩ましい思いのファンの方が多いと思うが、どのような結果となるのか、ドキドキしながら見ることにしよう。