藤井猛竜王(当時)の大山康晴十五世名人を思わせるような将棋

将棋世界2000年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 B級1、2組の順位戦と、佐藤名人対堀口(一)五段戦(王将戦)その他たくさんの対局が行われている。好取組も数多いが、私が愉しみにしているのは、藤井竜王対土佐七段戦である。

 竜王は、竜王戦3連勝で気分をよくしての登場。対して土佐七段は、特異な才能の持ち主で、不思議な感覚、不思議な腕力がある。

 いったんツボにはまれば、羽生、佐藤、谷川、誰とやっても互角に渡り合う。強豪と当たったとき力を出す傾向があり、だから愉しみなのである。

 土佐七段はどちらかといえば早指しだ。指し方もめりはりがあり、待ったり引いたりなどの駆け引きはやらない。午後になるとすぐ戦いがはじまった。

 土佐がまず3筋の位を取り、竜王がそれに反撃したのだが、どうやら土佐が動きを誘った気配がある。そうして7図。ここからが土佐流である。

7図以下の指し手
△4二飛▲3八金△3五銀▲同銀△同金▲9六歩△4五歩▲同歩△4六歩▲3七金寄△3六銀(8図)

 △4二飛から動く。△3五歩などは1秒も考えなかったろう。△3五銀から銀を交換し、△3五同金と進んだあたり、後手がうまそうに見える。次に▲3六歩なら△2六金と歩を取れるから。

 しかし、竜王は平然と▲9六歩である。▲9七角と使わなければ話にならない、の理屈はわかるが、4筋は大丈夫なのだろうか。

 土佐七段は、えたりと△4五歩と突っかけ、△4六歩を利かして、△3六銀と攻める。普通の相手だったら、攻め倒せる形だ。

8図以下の指し手
▲5六銀△5五歩▲6五銀△3七銀成▲同桂△4七金▲9七角△6四歩(9図)

 竜王危うし、と思わせる局面だが、▲5六銀と強気である。こう出れば、△5五歩▲6五銀は目に見えており、4筋はさらに薄くなるが、とにかく攻め合いの形にしようというわけだ。

 ▲9七角と出て、6五の銀と共に急所を攻める形になったが、その間、△3七銀成と金をはがされ、△4七金と打ち込まれて、先手玉はますます薄くなった。

 ここで夕食休み。郷田八段、大野六段とその他数名でとなりのイタリアレストランに行き、簡単なものですませた。食事をしながら、髪の毛が薄くなったとか、腹が出てきたとかが話題になった。知らず、みんな年を取ったのだ。 

 戻ると、控え室では羽生四冠が一人棋譜を並べていた。一番強い者が一番勉強する。将棋界では、昔からそういうことになっている。

 さて、9図はどちらが勝ちなのか。▲6四同銀は、△同銀▲同角△3八金▲同玉△3六金で、簡単に先手が負ける。

9図以下の指し手
▲5四銀打△5二金▲2七銀△2六金▲同銀△3八金▲同玉△3六金▲5八金△5四銀▲同銀△4七銀▲4九玉(10図)

 羽生四冠も加わって検討に熱が入る。この将棋はよく出来た次の一手のように、考えれば考えるほどおもしろい。

 さっき言ったように、9図で▲6四同銀は先手負け。△3八金と取られると困るから、いっぺん▲2七銀と受けるだろう、と一応の結論が出た。▲2七銀と受けるのが、後手の出足を止めてなかなかの手である。

 ところが竜王は▲5四銀と打った。土佐はノータイムで△5二金と受ける。そこで▲2七銀と手を戻した。

 この経過を控え室に伝えると、一瞬、みんなホーッという顔になった。なにか後手がだまされたような感じなのである。

 継ぎ盤の駒を動かして、はっきりわかったのだが、▲5四銀打△5二金の交換で、先手が約一手稼いでいる。そのあたりのあやは、ややこしくて説明しかねるが、ともかく、そういうことなのだ。

 したがって△5二金が悪手。受ける前に△3八金と取るのがよかった。これを▲同玉は、△5四銀▲同銀△3六金で先手負け。よって▲3八同飛と取るが、△5二金▲4八銀△2七金で、これは後手おもしろかった。

 これらの結論は、局後に何回も検討してわかったことで、実戦で誤るのは仕方ない。ただ、唯一といってもいいミスをノータイムで指すあたりが、土佐七段らしい。そういった巡り合わせはあるもので、だからタイトルを取れず、B級2組にとどまっている。

 ▲2七銀と打たれ、土佐七段はだまされたのに気がつき、手が止まっった。

 控え室は、快勝した佐藤名人がいて、豪華な顔ぶれになった。

(中略)

 苦しくなった土佐七段は、△2六金という捨て金をひねり出した。▲同銀と取らせ、△3八金から△3六金と打てば、うまくからんだ形だ。

 こうなるとまた検討が活気づいた。次々に案が出て、いちいちもっともと納得させられるが(羽生、佐藤、郷田といった人達だから、説得力があるのは当然だ)、実戦で指された手は、ことごとく検討されなかった手だった。藤井竜王は、そういった形で、ライバル達に力を見せつけたわけだ。

 ▲5八金が正確な受け。△4七銀の打ち込みには▲4九玉と逃げ、ぴったり一手残している。このとき土佐七段は、手の平でひざを一つ叩いた。

10図以下の指し手
△2六金▲6一銀△5八銀成▲同飛△6二金打▲5二銀成△同金▲6一玉△3一角▲6四角(11図)
 まで、藤井竜王の勝ち。

 先手勝ちといっても、まだまだややこしい。それをわかりやすくしたのが▲6一銀で、これは控え室では気がつかなかった。最後は、△5八銀成▲同飛の次、△4七歩成が一手すきでないから、どうしても及ばない。11図で、△4七歩を指さずに投げたのも、土佐七段の美学だった。

(中略)

 対局室のあちこちでまだ熱戦がつづいている。それらを最後まで見たが、藤井対土佐戦だけで十分堪能した。そして、こういう気分になったのは、晩年の大山将棋を見たとき以来だと思った。序盤にやや苦しい形になり、それを腕ずくで複雑な戦いにするところなど、そっくりなのである。

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振り飛車側から見れば、満員電車の中で開頭手術を受けているような感覚に襲われる、非常な恐怖感溢れる玉頭防御戦。

この後手からの迫力ある攻めをいなして、それで勝つのだから凄い。

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9図からの▲5四銀打が、藤井流のガジガジ攻め。

ここで後手が△5二金ではなく△3八金としていれば後手が良かったわけで、この変化にならないためにも先手は▲5四銀打で▲2七銀と打つのが控え室で検討された手順。

結果的には△5二金の悪手が▲5四銀打を好手にしてしまった形。

悪手っぽくない△5二金が悪手なのだから恐い。

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10図から2手後の▲6一銀も、次の一手として出されたら30年考えても浮かばなさそうな手。

藤井流が色濃く出た手なのだろう。