将棋世界2001年6月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
1956年頃出版された「ザ・サイコロジー・オブ・ザ・チェスプレーヤー」(チェスプレーヤーの心理学)という稀書がある。
著者はルーベン・ファインという人で専門は分からぬが、チェスにどっぷりと浸かった心理学の研究者と思われる。
日本将棋についてはもちろん触れていないが、チェスと将棋は共通点も多く見られるから、引用して対比してみたい。
1925年のモスクワでの国際大会に参加した12人のチェス・マスター(マスターの棋力は将棋でいえばプロ四段以上といったところか)に3人の心理学者が精神測定学によるテストを試みた。
その結果の内、いくつかを述べると、マスターは配置を覚えるといった、チェスボードと駒に関連する全てのことにおいての制御に広くまさっていた、とある。
これはまあ当たり前と云えば当たり前で、その能力がなければ、目隠しして将棋は指せない。
他に、同時に別のものに注意を払う能力と抽象的思考(数列)では優越は認められなかったという。
このうち前者については、対局は非常なる集中力を必要とされるから、その分、別のものに対して注意がゆき届かないのも当然と云える。
後者については個人差が甚だしく、多くの棋士からクレームがつきそうだが、私のことでいえば、高校2年の一学期初頭、思いついて学校を10日間ほど休んだ。
毎日、家に籠って数学の教科書だけを一日に7時間から9時間勉強してみた。
その結果、一学期分の予習は済んでしまったが、数学の力がついたかというと全くそんな効果はなく、諦めの早い当方としては自分は数学に向いていないと分かり、それ以後そんなバカなことは止めてしまった。
すぐに諦めてしまうといったあたりにその分野に向いていないということが表れている。
芹沢博文九段は子供時分、数学よりも国語の方が得意であったと云っていた。
ファインはこれら精神測定テストの結果について、テストそのものが未完成であり、方法論も貧弱だったのでこれらの結論にはあまり重きを置けないと述べている。
別の研究で面白いのは、マスターの年齢と棋力の低下における関連性である。
その査定によれば、50歳までは技能の衰えはなく、50歳以降は相対的に少し衰えがみられるとある。
そして、プレーヤーが強ければ強いほど衰えは少ないということを発見した、となっている。
これはかなり水準の高い話で、調査の対象が将棋でいえばB級1組以上と考えられる。
現役最年長の関根茂九段は長い間A級の座を保持していたし、加藤一二三、米長邦雄、中原誠、これら超一流の人達の息が長いのは云うまでもなく、先頃千勝を越えた、内藤國雄、有吉道夫、共に60歳を越えて尚、充分な棋力を保持し続けていられるのは、元々強かったからだとも云える。
アマチュアの場合は条件が異なっていて会社を定年退職してから棋力が上がった人もいる。その人は定年後、時間に余裕ができて、毎日のように道場に通えるようになったのが、棋力向上につながったようである。
社会的なことで喜ばしいのは、ある犯罪学者の報告によれば、服役の間にチェスを学んだ囚人達は再犯率が最も低かったそうである。
これは素晴らしい結果で、日本でも塀の中の人達に是非将棋を覚えてもらいたいと思う。
(以下略)
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正確性は保証されていないけれども、一つの実験の結果としては面白い内容。
後年、日本での大脳生理学からのアプローチによる棋士十数人が被験者となった実験では、将棋を考えている最中の棋士は、全員が活発に右脳を働かせていることが判明している。(アマチュアの場合は左脳)
1925年のモスクワの国際大会に参加した12人のチェス・マスターに対する実験での抽象的思考に関するものが、左脳を使う数列ではなく、右脳を使う幾何学的問題であれば、優越な数値が出ていたのかもしれない。
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「芹沢博文九段は子供時分、数学よりも国語の方が得意であったと云っていた」とあるが、芹沢九段のことなので、国語が全校で1番、数学が全校で2番の成績であったことをこのように表現している可能性もある。
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調べてみると、ルーベン・ファインはアメリカの人で、チェスプレーヤーから心理学者(大学教授)に転身した経歴を持つようだ。
専攻は違うが、アメリカ版の飯田弘之六段(北陸先端科学技術大学院大学教授)のような雰囲気。