将棋世界1982年10月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。
これはいつだったか。札幌での王位戦のときだった。いつもの通り子供たちが集まって対局者の米長や中原に色紙をおねだりする。気のやさしい中原は、さしせまる時間をさいて、さっさっさ、と「無心」と書く、いつも「色紙は筆でなくてはね」といっているのだが、このときは筆ペンで間に合わせていた。
そこへ米長、ツンとした顔で現れた。子供たちがワッと寄る。米長は「フン」と澄ました顔で筆を走らせた。
「無心」―その子の不満はもろに出てきた。
「いま、中原先生にお願いしたら『無心』と書いてくださいました。それなのに、また『無心』ではいやです」
もっともな抗議だが、わざとそんないたずらをした米長にだって、屁理屈がないわけではない。口をとがらせていったものだ。
「いままで、何万枚と色紙を書いてきたけど、いちゃもんをつけられたのは初めてだよ」
いまのところ、米長はいつも中原の下にいる。すげえ話がある。
城崎温泉での対局の帰りだった。中原、米長の両対局者はじめ、一行は城崎の駅で汽車を待っていた。すると、客待ちをしていたタクシーの運ちゃん(こう呼ばせてください)が中原を見つけて近づいてきた。筋肉隆々で、一見怖そうな人。一瞬だじろいだのだが、意外と言葉はやわらかだ。
「あのう、すみませんがサインしていただきたいんですが―。でも、あいにく持ち合わせの紙がないんで―。そうだ、シャツの背中に書いてください!」
これには中原も苦笑したが、例のいたずらっ気を出して「無心」としたためた。
ところが、満足して去って行きそうな運ちゃんを見て、米長がひと言声をかけた。
「ちょっと待ってよ。オレは米長。オレにも一筆書かせてほしいね」
あとにいった言葉が素晴らしい。
「ズボンをぬいでください。パンツにサインしますから」やっぱり、米長は下専門なのであろうか。
これに似た話はけっこうある。森雞二棋聖の新幹線の中でシャツに「サインして!」と頼まれた。しかも、こっちはウラ若き女性である。早速「一手入魂」と書いた。
「身体の前に書きたかったけど、デコボコしていて(?)書きにくそうだったので、背中に書きましたよ。でもねえ」というあとの言葉がおかしい。「あれ、ぼくのファンじゃあないんですよ。ボーイフレンドに頼まれて”自分の身体”を差し出したんですよ。汽車のトイレかどっかで二人で着替えちゃうなんてことを考えるといやんなっちゃいますよね」―ようくわかる話だ。
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「ボーイフレンドに頼まれて”自分の身体”を差し出したんですよ」という表現が絶妙に面白い。
もっとも、女性が着るシャツに「一手入魂」はゴツゴツしすぎるので、森雞二棋聖(当時)も書いている時には男性の手に渡るものだとわかっていたのだろう。
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私がこの3月から大ファンになっていたロジャー・ムーアが、スイスの療養先で5月23日(現地時間)にガンで亡くなった。享年89歳。
あまりに急なこと(twitterもFacebookも最近まで更新されていた)だったので、悲しく非常に寂しい気分になっている。
亡くなる2ヵ月前に駆け込みで大ファンになることができたのだから、大いに縁があったのだと思いたい。
twitterで引用として流れてきたtweetに、ロジャー・ムーアの感動的なエピソードが書かれていた。
(この下のtweetをクリックして、中ほどの左側にある文章をクリックすると訳文を読むことができます。次ページは右側にある>をクリックしてください)
RT ロジャー・ムーアにまつわるお話がとても素敵だったので、拙訳を。元ソースはヘインズさんがラジオで話されたこちらのようです。https://t.co/EbWczAdLss pic.twitter.com/YhgXrWfVCC
— せり (@cerriiee) May 24, 2017
サインにまつわる話であるが、心が揺さぶられるようなエピソードだ。
少年の時の夢のような出来事が時空を超えてよみがえる。
ブロフェルドは、007の最大の宿敵、世界規模の犯罪組織「スペクター」の首領。