先崎学八段(当時)「バカ野郎、棋士なんかやめちまえ!」

近代将棋2003年2月号、スカ太郎さん(椎名龍一さん)の「関東オモシロ日記」より。

 イチロー選手がハイアベレージヒッターとして大リーグで大活躍しているのだが、将棋界のイチローもすごいアベレージを残している。

 それが日浦一郎七段である。控え室で日浦七段の顔を見ない日は、まずない。日浦七段が桂の間にこないときというのは、対局が一局も無い日か、あるいは日浦七段自身が対局しているのかどちらかという感じである。控え室「桂の間」出席率はダントツの1位であり、まさに将棋界の首位打者イチローなのである。さて、そんな日浦七段からおもちろい話を聞いたのであった。

「最近、続けて先崎と飲みに行ったんです」と日浦七段は言った。

「へえー」と答えつつ、(なんだか珍しい組み合わせですねー)とオイラは心の中で思った。先崎八段と日浦七段がいっしょに飲みに行くなんていうのは、初めて聞く話だからなのだ。

「一度は代打で行った研究会の帰りで、もう一度は控え室で将棋の研究後にふとした流れで飲みに行きました」

「ふむふむ」

「二度目に飲みに行ったときは、若手のメンバー数人もいっしょに引き連れて、ベトナム料理を食べに行ったんです」

「ほお」

「そこで先崎が酔って、若手棋士に『棋士なんかやめちまえ!』って絡んでたりしてね。いやー面白かったなあ」

「ほほー、そんなおもちろい話があったんですかあ」

 先崎学八段の「棋士なんかやめちまえ」事件。興味をもったオイラは、そこに参加していたという橋本崇載四段にことの顛末を聞いてみた。

「いや~」とか「はあ~」とか、橋本四段は最初とぼけていたのだが、最後はなんとか口を割らせることができたのであった。

 先崎八段、日浦七段、そこに控え室にいた若手棋士4~5名が従えられて、ベトナム料理を食べに行き、酒を飲んでいたという。

 そこには松尾歩新人王もいた。松尾新人王に先崎八段が「君の目標はやっぱり羽生だろ」と聞いたあたりから、荒れ場に突入していったような気がする、と橋本四段は言った。

「……のような気がする」と語っている辺り、皆がかなりの勢いで酒を飲んでいたことがわかる。まあ、そんな酒の席の話だということを、読者の皆さまは承知しておいていただきたい。

 松尾新人王は物静かな男で「俺、絶対に羽生を倒します」と宣言するタイプではない。心の中でそう思っていても、内に秘めるタイプなのである。先崎八段の問いに「いえ、自分は上を目指して、とにかく行ける所まで行ってみようと思っています」と答えたそうである。いかにも松尾新人王らしい答えだと思うが、これに納得しない先崎八段が絡みついたという。

「それじゃ、ダメなんだ。みたいなことを、先崎さんが松尾さんに熱く語ってました。で、だんだん先崎さんと松尾さんがヒートアップしてきたので、僕が『まあまあ』という感じで2人をとりなそうとしたんです」

「ふむふむ」

「そしたら『バカ野郎、棋士なんかやめちまえ』と僕が代わりに怒鳴られてしまいました。わははは」

 そういえば2ヵ月くらい前、先崎八段に興味深い話を聞いたことがあった。それは「四段になったことなんてうれしくもなんともなかった」という話である。四段に昇段し、プロ棋士になったことがうれしくなかったなんて、オイラには絶対に信じられないことであった。最初にその言葉を聞いたときには「うそでしょ」と思った。しかし、先崎八段の話を続けて聞いているうちに、そういうものなのかなあ、と妙に納得させられた部分もあったのだ。

「僕らの世代にとっては、四段になるなんていうのは一つの通過点でしかなかったんです。それよりも、羽生、佐藤、森内、という同世代のライバルに勝つこと。それだけがなによりも大切なことだったんです」と先崎八段は言ったのだ。

 再び、橋本四段の話に戻る。

「週刊将棋に載っていた『平成のチャイルドブランド』がどうしたってんだ」と先崎さんは言っていました。「俺達、昭和のチャイルドブランドがどれほど過酷な競争をしてきたか思い知らせてやる」ってね。ああ、ここまで書いてきて、オイラはあらためて思ってしまうのだけれど、これほどまでにきっぱりと言い切ってしまえる先崎八段は、やっぱり素敵な男なのである。

 日浦七段は後日、次のように言ったのであった。

「俺、これまで先崎とはあんまり付き合いがなかったんだけど……。飲んで話して気がついた。先崎はすごいね。俺の尊敬する人の中の、これに入るね」と言って5本の指を広げてみせたのであった。

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奨励会入りは羽生世代の誰よりも早かった先崎学九段。

しかし、先崎九段が17歳で四段になった時、すでにその半年前から佐藤康光四段と森内俊之四段が、1年10ヵ月前から羽生善治四段が活躍を始めていた。

第一志望の高校に入学したけれども、中学時代の同級生が飛び級で3年生に1人、2年生に2人いるような状況。

高校に合格できたことの喜びなど感じている間もなく、ライバル達にいかに追いつき追い越すか、に魂を燃やすような展開だ。

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複数の同年代の強力なライバルが、同時期の同一空間にいることによる有形・無形の切磋琢磨と過酷な競争。このような世界にいたからこそ可愛い後輩棋士に伝承したいことがある、という先崎学八段(当時)の思いだったのだろう。

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先崎八段が望んでいたのは、行方尚史六段(当時)が四段時代に書いたような表現だったのだと思う。

行方尚史四段(当時)「いつか羽生の将棋を僕が最大限引き出せるようになるまで、彼には絶対的な存在でいてほしい」

 

 

 

 

 

 

 

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