将棋世界2003年1月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
棋士控え室の襖を開けると、見なれぬ坊主頭が眼に入った。誰かな?と思っていると、声がして行方六段とわかった。
「何か決意でもしたかね」と訊くと、
「いや、何もありません」
荷物を置いて雑談していると、行方君はW杯以来、テレビのサッカー観戦にハマッているそうで、「プレー以外のところで、いろいろおもしろいことやってるね。私達も見習わなくちゃいけないのかな」
その通り。名勝負にはエピソードがつきものである。あまり古いことは言わないが、大山対山田戦、大山対中原戦、大山対谷川戦、中原対加藤(一)戦などなど、盤外のエピソードによって、私達の記憶に残っている。今年になって、羽生対佐藤(康)でタイトル戦が十局以上戦われているが、戦型と指し手を覚えていないと、記憶に残りにくい。行方六段だって、デビューした年の竜王戦決勝の対羽生戦で名勝負を演じている。早くタイトル戦に出て、現代をあらわすエピソードを残してもらいたい。
そういえば、11月3日、森内名人の結婚披露宴のとき、司会者がなれそめを語って「お二人が会われたのは、行方六段主催の夕食会で」と言った瞬間、棋界関係者達が、クスリとしたようだった。行方君も人気者なのである。
近頃の棋界人脈は複雑で、名人と行方君が遊び友達とは意外な気がし、いろいろ聞いてみると、研究会仲間で、なれそめのときも、たまたま名人が参加したのだそうだ。そういったところが縁というものだが、ともあれめでたい。新婦は学習院大学の講師で、平安文学が専門とか。話の合いそうなカップルに見えた。
(以下略)
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行方尚史六段(当時)に坊主頭の時期があったとは意外だ。
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”「お二人が会われたのは、行方六段主催の夕食会で」と言った瞬間、棋界関係者達が、クスリとしたようだった” と書かれているが、当時は独身無頼派系だった行方六段のキャラクターと「夕食会」という言葉の響きの、微妙かつ絶妙な不整合さが笑いを引き起こしたと考えられる。
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ちなみに、この夕食会は1999年に行われた模様。
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森内俊之名人の結婚のことについては、過去の記事に詳しい。
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当時の将棋世界のグラビアに載った森内俊之名人結婚披露パーティーの写真の一部。撮影は中野伴水さん。