将棋世界2003年11月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
竜王戦は森内九段の挑戦が決まった。
興趣を盛り上げる表現をするならば、森内にとり名人戦の雪辱なるかという七番勝負だ。
将棋連盟のクイズ王であり、いつだったか寓居でのクイズ会に参加してくれたのだが、強すぎててんで勝負にならない。段違いの実力を思い知らされたものだ。
余程記憶力が良いのだろう。
その俊才が第一席の竜王位に挑む、羽生との同世代対決は見ものであるに決まっている。
だがしかし、今回は中原に出てきてほしいとの思いがあった。
何といっても一時代を画した大名人であり、当代最強と呼ばれて久しいハブヨシハル(谷川ファンの皆さんゴメン)との新旧王者の番勝負は、なかなか願っても見られるものではないからだ。
両者の年齢差(23歳)からみても今後そんなにチャンスは巡ってこないだろう。
しかも中原は連盟会長としての重職にある。
かつて大山は会長職にありながら63歳で名人戦に登場するという離れ技を演じたことがあったが、中原は大山とは処世の方法が違っていて、テキパキとこなしていくタイプではないから、トーナメントプロとの兼任は相当の激務であろうと思われる。
それとこちらが本線なのだが、融通無碍の羽生将棋対、奔放闊達な中原将棋、何が飛び出すか想像もつかず、思っただけでもワクワクするではないか。
済んでしまったことをこうしてうだうだ云っているのは、実は小生30年程前奨励会中心の同人誌「棋悠」という小冊子に「将棋連盟天才論」と題した小論を書き、当時の花形名人である中原を不明にも天才ではないと論じたのだった。
その駄文のあらましを書く。
将棋界は才能あるものをすぐに天才と呼ぶがこれは誤りだ。
棋士の特殊技能は記憶力、判断力、推理力だが、その能力だけでは天才とはいえない。それだけにすぐれている者は、偏才、または単才と呼ぶべきである。
天才の重要な要素は創造力であり、無から有を生み出す強烈な閃きである。
将棋以外にも才能のある、丸田祐三、芹沢博文、米長邦雄は英才。
天野宗歩、升田幸三が天才。
中原名人は単才である。後略。
とまあ、このようなタワ言を並べたてている。まるで見当外れではない部分もあるが、生意気盛りで知恵の足りない21歳の新四段には肝腎なものが見えていなかった。大山、中原、米長の天才に気づいていなかったのだ。
金銀の繰り換えに独自の感覚を持つ大山。米長玉に代表される玉に対して独特の嗅覚を有する米長。
そして、全盛期の矢倉や円熟期に見せる中原の比類なき攻撃感性。
どれもが誰も真似し得ない強烈な閃きから生み出されているのだ。
それは天才のみが為し得る仕業である。
高いところから下は見えるが、下から上の様子は分からない。
英雄は英雄を知るというが、天才のみが天才を知るのであろう。
だから、今となってもそれらを直接見ることは叶わぬが、ためつすがめつしているうちに、ボンヤリとは見えてくるようになった気がする。
そして、中原を単才と判断した不明を恥じているのだ。
(中略)
天才はその人物も独特であるようだ。
ある酒席でのこと。
中原がいかにも嬉しそうに棋士名に関する笑い話を披露した。語り口から察するに、しばらく温存していた作品のようである。南九段―「西から東へきた南」そして「どうこれ」当方「うーむ、東西南北をちりばめてますね」
次に佐藤(康)棋聖―「名前はさとうだが指す手は甘くない」聴衆の面々「……」
まだある、郷田九段―「ごうだの剛打」シンプルというかコンパクトというのか、一同「……」。マジメな中原はこの傑作シリーズを生み出すのに何日か費やしたらしい。でもねえ、お笑い芸人としてはペケですね、だって観客の反応に全然無頓着なんだから。
天才はユーモアのセンスも他の追随を許さないのであった。
(以下略)
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羽生善治三冠は、タイトル戦でぜひ中原誠十六世名人と戦ってみたかったと語っている。
そういった意味では2003年の竜王戦が最後のチャンスだったかもしれない。
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大山康晴十五世名人の言葉に、「天才と呼ばれているうちは本物ではない」というものがある。
たしかに、羽生善治三冠は、10代の頃は天才と呼ばれてきたが、七冠王となる頃には誰も天才という形容詞を付けなくなっていた。
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中原十六世名人は普段の会話の中に絶妙なユーモアが含まれていることが多い。
しかし、ネタを作った場合は、かなり捻りが足りないようだ。
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豊川孝弘七段の駄洒落は、この中原十六世名人の路線を革命的に発展させたものと位置づけることもできそうだ。