他の業界でも立派にやっていけそうに見える棋士とそうではない棋士

将棋世界1980年4月号、倉島竹二郎さんの「-想い出の名棋士- 名匠塚田正夫の終焉」より。

 かつて、無類の愛棋家だった文豪菊池寛氏は、若き日の木村義雄十四世名人を評して

「木村義雄君は、軍人になれば名将に、学者になれば博士に、会社員になれば重役になれる人物である」と書いていられるが、木村名人にかぎらず、棋士には他の職業についても立派にやっていける人が少なくない。

 現に、内藤國雄九段は歌手としても第一線で活躍しているし、芹沢博文八段はテレビ・タレントとして素晴らしい才能を発揮している。また、大山康晴十五世名人や升田幸三九段はどんな職業を選んでもタダの兵隊で終わる筈はなく、断然頭角を現わすは必定であろう。丸田祐三九段や米長邦雄九段などもそうした人材である。

 が、将棋一と筋で、他の社会に行けば全然使いものにならない―と云っては語弊があるが、一生ウダツの上がらない人もたしかにいる。その最も顕著な棋士が一代の名匠塚田正夫名誉十段だ。塚田さんは、文字通り将棋を指すために生まれてきたような人であった。

(以下略)

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将棋世界2003年7月号、木屋太二さんの「昭和将棋紀行 第1回 原田泰夫九段」より。

 塚田先生とはその後、しょっちゅう飲みました。私が八段になってからですか、第一手目をやって五手目か六手目、つまり、夜中の二時か三時頃、家へ来るわけです。「原田君、奥さんには悪いけど二本だけで帰るから。まあいいだろう」「いや、いいでしょう」ってね。結局、朝になり昼になる。塚田先生が、「家内に電話をするから」と言って奥さんがやって来る。それで安心して、もう一本となる。で今度は、阿佐ヶ谷に”囲炉裏”というしゃれた名前の午後三時から酒を飲ませるところがありますが、「原田君、まあぶらぶら行こうじゃないか」と言われれば眠くてもしょうがない。そこは、酒はひとり三合しか売らずという店でね、奥さんは帰しちゃって、「原田君とお別れに一杯やる」と……。そんなことをやった仲で、懐かしく光景が浮かんできます。

 さらに言えば、わが家に一番来たのは升田幸三さんです。「原田君いませんか、升田だ」。ドスの利いた声でね(笑)。

 あと、無口無言の塚田先生で思い出すのは、NHKの「新春を語る」っていうのに行ったんですね。一時間の番組に四、五人で出たって言うから、「先生、いったい何を話したんですか」と聞いたら、「せき払いを二つで三万円もらった」とか(笑)。うそか本当か、それくらいの先生だったわけです。立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は千鳥足……。

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「木村義雄君は、軍人になれば名将に、学者になれば博士に、会社員になれば重役になれる人物である」

これは、正確には、若い頃から軍人になっていれば名将に、学校を出てすぐに研究の道に進めば博士に、そこそこ若いうちから会社に入っていれば重役、と解釈すべきだろう。

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ところで、この逆、つまり、例えば、

「松下幸之助君は、軍人になれば名将に、学者になれば博士に、棋士になれば名人になれる人物である」

だとすれば、この文章は非常に説得力を持たないものになってしまう。

どのように優れた能力を持っている人であっても、そもそも棋士になれるかどうかが難しい。

「松下幸之助君は、軍人になれば名将に、学者になれば博士に、歌手になれば紅白歌合戦でトリを取れる大物歌手になれる人物である」

「松下幸之助君は、軍人になれば名将に、学者になれば博士に、陸上競技選手になればオリンピックで金メダルを取れる人物である」

の文章が説得力を持たないのと同様、将棋や囲碁は、頭脳を使う非常に尖った特殊技能なのだと思う。

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五手目か六手目、つまり、飲み始めてから数えて5軒目か6軒目が原田邸ということになるが、塚田正夫名誉十段と原田泰夫九段は女性のいる店へ行くとは考えられないので、割烹、居酒屋系の店だけを4~5軒ハシゴしたということになる。

これはなかなかできることではない。

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「将棋一と筋で、他の社会に行けば全然使いものにならない―と云っては語弊があるが、一生ウダツの上がらない人もたしかにいる。その最も顕著な棋士が一代の名匠塚田正夫名誉十段だ。塚田さんは、文字通り将棋を指すために生まれてきたような人であった」に、倉島竹二郎さんの塚田正夫名誉十段に対する無上の愛情を感じさせられる。

不器用な将棋指し、私もとても大好きだ。

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「立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は千鳥足」

昭和30年代の頃まで、パチンコ店には椅子がなく、立ったままパチンコを打つような形だった。

電動式ではなく、1発1発手で打っている時代。

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「原田君はおらんか、升田だ」または「原田君いませんか、升田です」なら自然だが、「原田君いませんか、升田だ」が、前半と後半が別人格のようで微妙に面白い。