「脇さんは?ダメ、森先生は?ダメ、谷川さんは?ダメ、塚田さんは?イイ、田中さんは?イイ」

将棋世界1986年5月号、日下ひろみさんの第19回早指し選手権決勝〔中原誠名人-加藤一二三九段〕現地レポート「中原、おひさしぶりのV」より。自戦解説は中原誠名人。

 今年の決勝も、やはり2局目で決まってしまった。第15回までの早指し選手権戦は、決勝一番勝負、16回から三番勝負となって今年で4年目、まだ一度も3局目が戦われたことがない。そして、スタッフの4月に発表される年間スタジオ対局スケジュールにも、やはり3局目は用意されていない。

 もちろん、そうなった時には4月の第一土曜日に最終局を放映する準備が、プロデューサー・ディレクターの間で打ち合わせられているが、そうならない所が不思議である。

 解説は大山康晴十五世名人、聞き手は観戦記者の田辺忠幸さん、重量感溢れるメンバーで両対局者を含め、4人で何キロになるのだろうと、ふと計算してしまった。

(中略)

 対局前も休憩の時も、中原名人はご機嫌そうに見えた。前日、王将戦のカド番を凌いでいるので、当然なのかもしれないが連投の疲れがまるで見られなかった。

 片や、加藤九段、初めから終わりまで無口。今日はどうしたのだろうと思う程、一人の世界に浸っていた。

 それでも、いつもの40手が終わった休憩に一歩一歩踏みしめて歩く、シコを踏むような運動はちゃんと行われた。今回は誰もいない階段を、3メートル先に目を向けて幾度も幾度も登ったり降りたり……。

 ちらっと見た中原名人の「僕もやらなくっちゃね」と人のいないメーク室の中を歩き始めた。胸をはってゆっくりのびのびと、こういう感じを負ける気がしないというのだろうか。

(中略)

 テレビ東京の特色の一つに、対局者のその瞬間の表情が見られる事がある。脇六段のメガネからはみ出た睨み潰す目・高橋王位のジャンプ競技のような前傾姿勢、田中寅八段のまるで「ああ分からん」と言っている様な眉間に皺を寄せて首を早く振る顔・谷川棋王の「あれ、この人これで良いのかな」と勝つ前に必ず幾度も首を傾げる姿、等々。

 それが加藤九段の場合は、ズボンを中腰になってズズズゥと引き上げるあのポーズだったのだが、今回はもう一つあった。画面から時折聞える「グォー」という音。準決勝の時が一番すごく、初めはスタッフの雑音かと大慌てをしたが、鼻の音か声か、一体あれは何だったのだろう。

(中略)

 ご機嫌の中原名人、1局目を勝って1時間の休憩に入った。4畳半程の畳敷きの控え室もあるのだが、メーク室の一番奥に椅子を3つ4つつなげて、ごろんと横になり足を伸ばしていた。鏡の壁の手前では、記録の神田女流1級、読み上げの山田女流初段がお昼と食べてこなかったのか、大きなスパゲティのお皿を抱えておしゃべりをしていた。鏡の下から中原先生を覗くときちんと靴が揃えてあって目を閉じた穏やかな顔から、スースーと規則正しい音が聞こえた。

 加藤先生はどこへ行ったのだろう。声も聞こえないし姿も見えない。控え室の一つに入ったのだろうか、どうもこの日の加藤先生は不思議だった。

(中略)

 2局目も中原先生が勝って、すぐ表彰式となった。

 準備の間、大山十五世名人に奥様の車やゴルフの話を伺った。お正月のテレビや毎日グラフで拝見したのだが、「口が悪い所を除けば80点、駒で言えば金」と大山先生がおっしゃる。背筋の伸びたシャキッとした素敵な奥様で、私が半年で乗る距離をひと月で乗っているとのこと、びっくりしてしまった。上手になるにはよく乗ること、その為にはゴルフをやってゴルフ場へ行けばいい「あなたもやりなさいよ」と言っていただいたのだが、木、石、塀、ポール、停止中のトラック等、動いていない物にばかりぶつかる私の場合はきっと性格に問題があるのだと思っている。

 静かな表彰式は、すぐ終わり、加藤先生もすぐ帰られた。

(中略)

「チカちゃん、30センチ以上は近づかないように…」「そう、お願いします」

 新鋭戦の時の解説中村修六段の聞き手長沢千和子女流二段に、神田真由美女流1級、山田久美女流初段が牽制球を投げている。すかさず、応援に来ていた塚田六段に告げ口をすると、「気が多いんだから」と不愉快そうな顔をしたので、嬉しくなってしまった。

「誰ならチカちゃんが近づいても良いの?」とやはり応援に来ている島六段を指さすと、「島さんならいいです」「えー、でも研修会の幹事だから…」。脇さんは?ダメ、森先生は?ダメ、谷川さんは?ダメ、塚田さんは?イイ、田中さんは?イイ……ああそう、よーく分かりました。

(中略)

 この春から、残念ながら番組が45分になることに決まってしまった。

 突然のことだったが山東昭子さんから引き継いだ詰将棋、それに続いた次の一手のコーナーも打ち切りとなった。

 全て、スポンサーが見つからないということが原因なのだが、これから民放各局,スポーツニュース等に将棋が登場するようになる為の登竜門だということを、関係者全員が受け止めて欲しいと、私は思っている。

 長い間、私のコーナーをご覧くださった皆様どうもありがとうございました。番組はこれからも4月から6月までは早指し新鋭戦、7月中は新たに始まる女流棋士によるお好み対局、8月からは第20回早指し選手権戦と続きますので、どうぞこれからも、ますますおもしろいテレビ東京の将棋対局をよろしくお願いします。

(以下略)

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テレビ東京の早指し選手権は、1972年8月から2003年3月まで放送されていた棋戦。

スポンサーがつかなくなってからは、日曜日の午前5時15分から放映されていた。

私にとっては、土曜日の夜から思う存分遊んで(要は外で酒を飲んで)、家に帰ってテレビをつけた瞬間に放送されている番組だった。

不思議と、早指し選手権が終わってからは、私の土曜日の夜遊びも激減した。両者に相関関係はないが、人生とはこのようなものなのだろう。

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日下ひろみさんは田中寅彦九段の奥様。田中寅彦九段と結婚をする前から詰将棋コーナーと次の一手コーナーのアシスタントを担当していた。

この文章の頃はすでに結婚をしている。

将棋世界1980年7月号、「メモ帖より」より。

田中四段とひろみさん結婚

 数ヵ月前からうわさされていた田中寅彦四段と日下ひろみさんの仲がめでたく纏まった。日下さんは「早指し選手権戦」のテレビ画面でおなじみのアシスタント女性。美人のうえに頭の回転が早いという印象がある。

 6月2日に東京・新宿の京王プラザホテルで結婚式をあげる。媒酌人は芹沢八段夫妻。

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「40手が終わった休憩」と書かれているが、早指し選手権は放送時間が短かったので、収録時は41手目を封じ手にして休憩。放送では初手から40手目までの棋譜を読み上げ係が読み、両対局者がそれにしたがって盤面に指し手を再現するところから始まっていた。そして、記録係が封じ手を明らかにして、対局再開となる形式。

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「スポンサーが見つからない」と書かれているが、これはそれまでのスポンサーだった日本船舶振興会(現在の日本財団)がやむを得ない事情(財団の資金の使途配分をめぐって国会で追求された)でスポンサーを降りざるをえなかったことに起因している。

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「脇さんは?ダメ、森先生は?ダメ、谷川さんは?ダメ、塚田さんは?イイ、田中さんは?イイ」

ここでは、ダメと言われた棋士の方が喜んで良い状況。

イイと言われてしまった塚田泰明六段(当時)だが、後年、早指し選手権の読み上げ係となった高群佐知子女流二段との結婚を決めている。

南の島事件

聞き手:勝新太郎/聞き手:笹川良一、だったことのあるテレビ棋戦

 

 

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