将棋世界2004年8月号、鈴木輝彦七段(当時)の「古くて新しいもの」より。
勝浦修九段の得意の科白は「10年早い」だ。Aクラスを張っていた30代の頃は20代の若手にいつも言っていた。勝浦さんも先輩にいわれてきたのだろう。
20代の棋士にも若手なりに意見はある。普及や連盟の運営に不満を持つことも多い。普段は先輩の顔を立てていても、お酒が入ると本音が出てくる。
「先輩はそう言いますけど」とでもいえば、「10年経てば分かる」と勝浦さん」。自分勝手な意見をいえば「20年早い」と叱られる。正論でも過激だと30年になるが、先崎学八段はこの口だった。まぁ、気に入られていたのだが……。
確かに、10年経って考えると、随分甘い考えだった、と反省することも多い。実に名言だと思うようになって、私も行方七段や野月六段に使うようになった。
ただし、この手の先輩は気分がいいと、笑ってもいられない。飲み代の精算になって若手達が「私も払います」といった時にも「10年早い」と胸を張らなければいけないからだ。
勝浦さん世代は、多分に二上先生の影響も受けていると思う。二上先生は静かに飲んでいるだけでイバッたりしないが、勘定となると勝浦さんでも「10年早いんじゃないの」とやられてしまう。
これが、「10年経てば」とやっているのだから苦しくても「10年早い」と言わなければいけない。これはこれで、清々しい生き方だと感心している。
しかし、この伝統もやや崩れつつある。一番の理由は若手ほど稼ぐからだ。昔は30代後半から40代が将棋界では稼ぎ頭だったのだ。ベテランが若手と飲まなくなった一因もここにありそうだ。
(中略)
将棋界では自然に先輩にはなっていくが、”大人”になるのは大変なことであると感じる。
二上先生のように20代で”タイジン”と呼ばれる人もいるが、私のように50代を目前にして責任を負って初めて大人の仲間入りを果たす人間もいる。
プロ棋界のことで考えさせられたのは滝先生の「四段で大阪からの対局の時、飲みに連れていかれて払わされた。いい娘がいるといって(笑)」は私が塾生で2級から3級の頃である。四段の棋士にも奨励会の後輩が甘えさせていただく雰囲気が当時はあったのだ。
今、はるか後輩の級位者が棋士にこんなことを言えるだろうか。昔は6級でも名前と師匠は覚えてもらえた。それだけ家族的だったともいえる。
芹沢先生や森九段をはじめ、多くの先輩に奨励会時代お世話になった。その先輩の方々も若い時には同じようにお世話になったのだと思う。
連盟の前にある坂を”ま坂”と私は呼んでいる。「まさか自分が」と思いながら奨励会の例会を帰ったものだ。その想いは棋士全員に共通している。故に、仲間意識は強いのだと思いたい。
(中略)
昨年のある日、高田馬場で勝浦さんと飲んだ。4人で飲んだが、「半分だけ払わせて下さい。10年早いですけど」とお願いした。また叱られることを覚悟したが、先生ニヤリと笑って「いや、10年経った」と言ったので、私は吹き出しそうになった。
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二上達也九段は、伝えられている話を聞いても、最高の大人の飲み方だったようだ。
飲み方は非常に静かで、後輩にはご馳走をし、芹沢博文九段がツケをためている店へ行くと、そのツケを支払い、女性のいる店へ行くと、いつもお茶をひいている女性を指名して、なおかつ席についた女性にはチップを配り、という理想の姿。
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勝浦修九段も非常にいい味を出している。
先崎学八段(当時)は、勝浦九段の口ぐせは「20年経てば分かる」だと書いている。
勝浦九段はきっと、自分とその棋士の年齢差の年数経てば分かる、と言っていたと考えられる。
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「10年早い」。
今から10年前は、LPSA発足、ハニカミ王子、Windows Vista 発売、ビリーズブートキャンプ流行、東国原英夫宮崎県知事誕生、初代iPhone発売、千の風になって、など。
たしかに10年の間にはいろいろなことがある。