将棋世界2003年7月号、藤井猛九段の「藤井の実戦思考」より。
3ヵ月間自戦解説を通し、一見当たり前に思える一手の裏の、普段あまり語れない思考の中身を披露していきたい。正統的、表向きだけではない、実戦的裏技的考えも紹介したいと思う。
「5筋不突き美濃囲い」
平成10年に行われた第69期棋聖戦、谷川浩司竜王・名人(当時)との一戦から(便宜上先後逆)。
1図は△4二金上と舟囲いを完成させたところ。美濃囲いは▲5七歩型(5筋不突き)美濃。5筋の歩を突いているかどうかで美濃囲いの堅さが大きく違ってくることを覚えていただきたい。
A図は▲5六歩型の美濃囲いで、実戦では一段竜と6六角のラインで3九の地点を狙われる場合が多い。
これに比べてB図。今度は5筋不突きなので、段違いに堅いことが分かっていただけると思う。
しかし、四間飛車対居飛車急戦の定跡書では、ほとんどが5筋の歩を突いた美濃囲いで解説されている。5筋の歩を突かない美濃囲いは駒の捌きが難しいからだ。
例えば、角を6八に引く展開になったとき、▲5六歩は省けない一手になってくる。
本局は、光速の寄せ対策として玉の堅さを重視し、5筋不突きのまま捌けるよう工夫した。
第一の工夫が▲9六歩(2図)。
この場合、居飛車が急戦で来ているので、厳密に言えば緩手かもしれない。
しかし、端歩は一手パスになるかもしれないが、マイナスにはならない手。戦いの中で▲9七香や▲9七桂と指せるのは大きい。自分の過去の対局でも、端歩が利いて勝利に結びつくことが多々あった。
端歩を突くか突かないかは、綿密な研究のもとに決めているわけではない。経験が私に知らせてくれるのである。
これに比べ、戻って1図から▲5六歩や▲5八金左とするのは、価値も高いが、展開によってはマイナスになる可能性もある(もちろん悪手ではない)。
2図から△6四銀▲7八飛△7五歩▲6八金と進んで3図の局面。
居飛車としては端歩を緩手にしたいので、素早く仕掛けて来た。
ここは▲6八金が受けの形。△7六歩▲同銀△7二飛と攻められても▲8八角と引き、△7七歩には▲同金で大丈夫。
3図から△7六歩▲同銀△7五歩▲6七銀△7三銀引と進んで4図。
ここから部分的な定跡手順として、主に3通りの指し方がある。
- ▲5六歩△7四銀▲5七金△6四歩(D図)
- ▲7六歩△7四銀▲7五歩△同銀▲6五歩(E図)
- ▲7六歩△7四銀▲9五角(5図)
中盤戦で一番難しいのがこのような局面。どの道に入っていくかでその後の運命が大きく変わってくる。
1.D図は無難な手でこれも一局の将棋だが、▲9六歩と指した精神に反している。
2.E図はこの場合無理筋で、△7七角成または△5五歩で不利。▲6八金・▲5七歩型では成立しない。
3.5図も一見すると無理だが、▲5七歩・▲9六歩型が生き、逆に居飛車側は△4二金型がマイナスになると判断。これを選択した。
5図から△7六歩▲同銀△6六角には▲6七銀がピッタリした手。
△9四歩にも▲6二角成△同飛(△同金は▲7一銀)▲7五歩△8三銀▲7四歩△8四銀▲7三銀(F図)で、いずれも振り飛車よし。
また5図から△7六歩▲同銀△9四歩が有力な手だが、強く▲6二角成△同飛▲6五銀△同銀と進め、ここで銀を取らずに▲7一飛成(G図)が好手。
G図では瞬間的に角損になっているが、「5筋の歩を突かない美濃囲いは、銀損や角損でもいい勝負」※注意書きをよく読んで、用法用量には充分御注意ください(笑)。
自玉が鉄壁なので攻めさえ続けば多少の駒損は関係ない。
G図から△6六銀なら▲8一竜、△6六角なら▲7七桂(H図)で振り飛車優勢。
ちなみにH図で▲5六歩型の美濃囲いだと△3九銀▲同金△同角成▲同玉△9三角の王手竜取りを喫してしまう。
実戦は5図から△8六歩▲同角△7六歩▲同銀△7五歩▲同銀△同銀▲同飛△6六角▲7六飛と進み6図となった。
「△4二金型を狙う」
ここからの手順は△4二金型を咎めた動き。
6図から△9九角成には▲7一銀△8六飛▲同飛(▲同歩は△7三銀)△7一銀▲8一飛成(I図)となる。
△4一金型なら△6二銀とされ振り飛車劣勢となるところも、I図では逆に必勝。△4四馬にも▲7二歩が利く。
本譜は△8八角成▲7一銀△8七馬▲4二角成(7図)と進む。
▲4二角成が豪快で気持ちよい手。
このような手を指す時は、駒音高く、加藤一二三先生になりきった手つきで指しましょう(笑)。
「守りの金と角の交換は金が良い」
※同じく用法用量に注意(笑)。
以下△4二同玉▲7五飛△8六馬▲8二銀成△7五馬▲7二成銀(8図)。8図は難しいが振り飛車ペース。
(以下略)
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講座の中に、ボソボソっと「※注意書きをよく読んで、用法用量には充分御注意ください」と突然出てくるのが、藤井猛九段らしいところ。
この後、(「金底の歩岩より堅し」※これは普通の格言)という箇所も出てくる。
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「5筋の歩を突かない美濃囲いは、銀損や角損でもいい勝負」
「守りの金と角の交換は金が良い」
たしかに、全てのケースでは当てはまらないかもしれないが、非常に参考になる格言だ。
将棋の格言の中には「遊び駒は活用せよ」「玉の早逃げ八手の得」のように実際に役立つ格言もあるが、「三桂あって詰まぬことなし」のように古来から疑問視されている格言もある。
それに比べれば、注意書きをよく読まなければならない劇薬的な格言の方が実戦の役に立つ可能性が高い。
用法用量には充分注意をしなければならない『藤井猛流格言集』が出版されれば、かなり人気が出そうな感じがする。
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昔の本で読んだ記憶があるが、「三桂あって詰まぬことなし」は「計算(=三桂=桂三)すれば詰まぬことなし」という意味だとする説もあるようだ。