将棋世界2003年8月号、弦巻勝さんのフォトエッセイ「昔を感じさせてくれた名人戦」より。
将棋のタイトル戦を撮影して早いもので30年近くになる。
その間、誉められた事は少ないが、怒られた事は多々有る。それでも続けてこれたのは、将棋が面白く大好きだからと、多くの棋士が仲間として接してくれたからと思っている。
理事室に呼び出され、故・大山康晴十五世名人にこっぴどく叱り飛ばされた事も有るし、撮影拒否にも遭った。
ただ、我、正義なり、と意に介さなかったのは若さかも知れない。現在のように自由に撮れる環境も無いし、鼠が猫に鈴を付けに行く感じが昔は有った。おかげで早撮りとカット数も少なく、しかも機材はシンプルと、現在の撮影方法に辿り着いた。
若手の棋士は晩年の好々爺になった十五世を見聞しているが、昭和50年代の十五世は半端じゃあなく、おっかなかった。それでも麻雀に誘われたり旅に同行するうちに、十五世のマキャベリズムと言うのか、その辺が少し解ったように思っている。今回の名人戦、1局、3局、4局と撮影したが、もしかすると昔にもどっているのでは、と感じたので、その辺を書こうと思う。
タイトル戦は盤上の将棋だけが勝負では無く、その間のすべてが勝負で、保持者と挑戦者に争いの空気が走っている。ある時期から、いや、勝負は盤上だけや……と感じ昔に比べお上品だな、と見ていた時期も有る。
しかし1局目、対局場に歩いて来る羽生さんのおっかない顔、指し掛けで対局場から、やけに爽やかな顔で出てくる森内さん……あれは、どちらも昔のタイトル戦の顔だと思う。
ここ数年、学会の研究発表みたいなタイトル戦も観たが、あれでは将棋ファンも解らないし、だいいち面白く無い。良い子ばかりの将棋では……。
「あの野郎、タダじゃおかないぞ」というムードを今回感じた。
棋士は勉強すればするほど定跡とか筋とか、考えなくても、そこそこの手は指せる。普段、そのように訓練もしている。しかし勝負手とはそのような中から生まれるものでは無いと思う。
人生をかけた手かと思う。
幼稚園児が描く絵とピカソが描く絵の違い、イソップの童話は滑らかな人生を歩いて来ては書けない。何十時間家の中で勉強しようと、そういう事ではタイトルは獲れないと思う。
今回の名人戦にそんな事を感じた。
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この期の名人戦は、森内俊之名人に羽生善治竜王が挑戦して、4勝0敗で羽生竜王が名人位を奪取している。
しかし、森内九段はここから、竜王戦、王将戦、翌期の名人戦で羽生竜王・名人に勝ってタイトルを獲得する。
この年を含めて名人戦で8回戦うことになる「羽生-森内」の初年度。
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故・村山聖九段は「羽生さんは対森内戦になるとにわかに凶暴になる」と言っていたという。
また、2012年には、勝又清和六段がブログで、「お互いにお互いが相手の事を 力いっぱいブン回しても 壊れないおもちゃだと思ってる」という言葉で二人の関係を表現している。