将棋世界2004年9月号、木屋太二さんの「昭和将棋紀行 第14回 永井英明さん」より。
永井さんは将棋会館建設時の大山名人のサポート役として大奮闘された。大山名人が企業を訪ねると必ずトップの人が会ってくれたそうだ。「名人の文化人としての顔と知名度、それに同じ岡山県人の経団連会長、土光敏夫さんの紹介状が大きかった」と永井さんは語る。
一番最初に応援してくれたのは三菱電機で、寄付金は500万円。大山名人は喜んで対局室に”高雄”とつけた。これは当時、三菱電機が発売していたテレビの名前。”玉鳳”とか”桂冠”といった将棋の駒にちなんだネーミングを考えていたスタッフは苦心の作が水泡に帰し、残念がったと言う。これなども知られざる会館建設秘話だ。
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永井英明さんは近代将棋の社長だったが、会館建設の際には手弁当で大山康晴十五世名人の私設秘書的な役割を務め、大山十五世名人が企業を訪問する時には同行した。
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土光敏夫氏(1896年~1988年)が経団連会長だったのが1974年から1980年。会館建設の話が起きる頃に就任をしているので、日本将棋連盟にとっては運も味方した形になるだろう。
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三菱電機とは剱持松二七段(当時)が関係が深く、そのような土壌もあったので、三菱電機が一番最初に寄付の意思決定をしたという可能性が高い。
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会館建設には苦労が伴う。
また、寄付金についても、現在はこのような紹介状の威力があるのかどうかはわからない。
「経団連会長の紹介状」ということではなく「土光敏夫氏の紹介状」だから効果があった、とも考えられる。
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それにしても、最近の経団連はどうしてしまったのだろう。
大学の再編提案、消費税増税に積極的賛成など、経団連とは思えないような動きが多い。
土光経団連会長時代のような経団連に戻れとまでは言わないものの、もっと普通の経団連らしくなってほしいものだ。