「もっとも三浦八段は将棋一筋の人柄で、日程についての不満など言わなかったそうだ」

将棋世界2004年12月号、河口俊彦七段の「対局日誌」より。

 対羽生戦から1週間後、三浦八段はまたA級順位戦を戦うことになった。こんな短い間隔で行われた例はなかったのではないか。

 平成3年、大山名人はガンの転移を知らされ、緊急手術を決意し、有吉九段と戦った後、1日おいて小林(健)八段と順位戦を指したが、これは特例である。

 もっとも三浦八段は将棋一筋の人柄で、日程についての不満など言わなかったそうだ。

(中略)

 勝った藤井九段は、3勝1敗でトップに立った。負けた三浦八段は1勝3敗で気分のよくない星となった。もし、三浦八段が勝っていれば、両者2勝2敗で、今度は藤井九段はいい気持ちになれない。それを思うと、この一番は大きかった。

 この数日後、二人は王座戦第4局の解説役で天童に行った。藤井九段は上機嫌で、舌もなめらかだったのはいうまでもない。対して三浦八段も1週間で順位戦を2局負けたことなど、忘れたような顔をしていた。

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この年(2004年)のA級順位戦の日程を調べてみると(タイトル、段位は当時)、

三浦弘行八段
1回戦 6月9日 ● 対 久保利明八段
2回戦 7月23日 ○ 対 深浦康市八段
3回戦 9月30日 ● 対 羽生善治二冠
4回戦 10月7日 ● 対 藤井猛九段

藤井猛九段
1回戦 6月16日 ● 対 谷川浩司王位
2回戦 7月29日 ○ 対 久保利明八段
3回戦 9月9日 ○ 対 高橋道雄九段
4回戦 10月7日 ○ 対 三浦弘行八段

羽生善治二冠
1回戦 7月12日 ○ 対 佐藤康光棋聖
2回戦 8月19日 ● 対 鈴木大介八段
3回戦 9月30日 ○ 対 三浦弘行八段
4回戦 10月22日 ○ 対 高橋道雄九段

羽生善治二冠(当時)が名人戦を戦っていたので、羽生二冠にとってのA級順位戦1回戦が通常よりも1ヵ月ほど遅れて始まったこと、王位戦七番勝負が9月初旬まで、王座戦五番勝負が9月初旬から、などのことから、3回戦が9月末というスケジュールになったのだろう。

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「もっとも三浦八段は将棋一筋の人柄で、日程についての不満など言わなかったそうだ」

いかにも三浦弘行九段らしい。

このようなところも、三浦九段の魅力の一つだ。

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もっとも、三浦八段(当時)にとっては2週連続の順位戦は過去にも経験があった。

三浦弘行四段(当時)「2週連続の順位戦」

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「この数日後、二人は王座戦第4局の解説役で天童に行った」

この時の様子は以前の記事に載っている。

藤井猛九段「三浦君、大盤解説まかせたよ」