三浦弘行四段(当時)「2週連続の順位戦」

将棋世界1995年5月号、三浦弘行五段(当時)の昇級者喜びの声C級2組→C級1組「2週連続の順位戦」より。

将棋世界同じ号より。

 今期の順位戦、私は運良く7連勝と星を伸ばす事が出来て、気分良く正月を迎える事が出来ました。

 そして年明けの1月17日が、私にとって第8戦目となるはずでした。

 この日、私は大阪のホテルに泊まっていましたが、そこであの阪神大震災を体験しました。

 激しい揺れでテレビやスタンドが落ち、少し部屋の壁が剥がれびっくりしましたが、起きるには早いので寝不足にならない様に、眠るように努力しました。

 その時は順位戦の事で頭がいっぱいでした。

 ところが私の寝ている間に沢山の方が犠牲になる大惨事だった事を知ったのは、連盟についてしばらくしてからでした。

 被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 この震災で順位戦は2月7日に延期されました。

 図はその日に行われた順位戦です。

三浦伊藤博

 以下△3九竜▲2六飛△4七歩▲5九銀△3三角と進みました。

 実は図から私が指した3手はいずれも悪手で、今棋譜を並べても信じられないといった感じです。

 この良い将棋に敗れてショックは大きかったのですが、次の順位戦まで日程の関係で1週間しかなかったので、何も考える暇がなかったのが結果的に良かった様です。

 14日の順位戦に勝って、内容も良かったので、完全にショックから立ち直れました。

 最後の順位戦まで1ヵ月の間は、プレッシャーに悩まされましたが、何とか順位戦独特の緊張感を保ち続ける事が出来て、昇段の一局は、今年度の総決算のつもりで指しました。

 内容もそれにふさわしいものだったと思います。

 最後に応援して下さった方々、本当に有難うございました。

—–

阪神・淡路大震災で大阪市内は震度4だったが、大阪管区気象台が強固な地盤の上にあったということもあり、実際には震度5はあったのではないかとも言われているようだ。

たしかに、ホテルのテレビが落ちて、部屋の壁が少し剥がれたのだから、凄い揺れだったことは間違いない。

そのような中で、順位戦に備えて再び眠ろうとした三浦弘行四段(当時)のベストな将棋を指そうという一途な姿勢が、いかにも三浦弘行四段らしくて感動的だ。

—–

この時のC級2組順位戦で大阪へ遠征していたのは、三浦四段のほかに、川上猛四段、櫛田陽一五段、杉本昌隆四段、飯野健二六段、北浜健介四段。(段位は当時)

将棋世界1995年3月号、北浜健介四段の「待ったが許されるならば……」より。

 今日は1月17日。私は順位戦を指すため大阪に来ているのだが、もうすぐ10時になろうとしているのに、対局は始まる気配を全く見せていない。

 そう、今日は、関西で、大地震が起きた日である。電車や高速道路がほとんどマヒ状態となっているので、対局者が到着出来ないというわけである。

 いったい今日の対局はどうなってしまうのだろうか。もし、中止、または延期ということになれば、恐らく、前代未聞の事態ではなかろうか(確信は持てないが)。

 11時を回り、結局対局は延期と決まったようである。しかし、新幹線は止まっているし、飛行機を使うといっても、空港までの電車は止まっている―

(以下略)

—–

三浦弘行五段(当時)はこの翌年の1996年、羽生善治七冠(当時)から棋聖位を奪取する。

そして、三浦棋聖(当時)はその期の棋聖戦第1局が行われた兵庫県洲本市に賞金の中から100万円を寄付している。

洲本市での淡路島対局は、阪神・淡路大震災からの復興を目指した地元からの誘致がきっかけで1996年に初めて実現され、以来毎年棋聖戦が行われている。