将棋世界2005年8月号、高橋呉郎さんの「感想戦後の感想 佐藤康光棋聖」より。
その一局、佐藤にとって、名人位初の防衛戦で迎えたカド番である。対局前の緊張感は「極限に近い状態でした」といっている。
(中略)
両者とも1分将棋の159手目、佐藤が勝ちにいって、墓穴を掘った―。
「ふつうは、投了してもおかしくない局面でした。100回に1回とまではいかないにしても、100回に1、2回しか勝てない局面を、引き当てちゃったわけです。同年代の棋士だったら、投了していたでしょうね。でも、僕は、いまでも指すと思います。ほかの棋士に比べて、潔くないほうなんですよ」
潔くないかどうかはともかく、この将棋に関するかぎり、すでに人知を超えた世界にはいっていたことは、たしかである。名人復位を目前にした谷川に、敗着が出た。
当夜、衛星放送のダイジェストに当てられた時間に、谷川が投了する場面がライヴで映された。
(中略)
画面には出なかったが、佐藤が終局後に涙を流したという記事を、その後、なにかで読んだ。記憶が曖昧なので、佐藤にたしかめたら、わるびれずに答えてくれた。
「あれは、うれし泣きとはちがうんです。終わった瞬間、勝ったことに遠慮するわけではないんですけれども、まず思ったのは、なんで、この将棋に勝ったのかなあということだったんです。そうしたら、急に涙が出てきた……。勝ってよかったでも、なんでもないんですよ。自分でもよく説明できないんですけれど」
あえて推測すれば、投了の瞬間、現実の時間が止まって、頭の中は空っぽになった。時間が戻った瞬間、頭の中で、なにかが咄嗟に反応したということかもしれない。
今後、佐藤の棋士生活が何十年つづこうが、この一番は生涯屈指の思い出の対局になるのではないか。そういったら、佐藤も「この将棋は、そうでしょうね」とうなずいた。
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1999年名人戦第6局終了後の佐藤康光名人(当時)が流した涙。
どうして涙が出てきたのか自分の中で理由の説明ができない時が稀にある。
理由のわからない涙が出る時は、悪くない状況であることが多いと思う。
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急速に何かに安心できた時は、涙よりも嘔吐感が訪れることがある。
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特に悲しいシーンがあるわけではない映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を観てとにかく涙が出るのも、理由の説明が明確にできない涙だ。
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1999年名人戦第6局→塚田泰明八段(当時)「私の席は佐藤の隣だったのだが、どうも様子がおかしい」
佐藤康光名人が涙を流していたことに触れている記事→佐藤康光名人(当時)「人は人ですから」