近代将棋1983年10月号、八尋ひろしさんの「駒と青春 奨励会入会試験受験者心得」より。
毎年秋におこなわれる奨励会の入会試験、今年もその時期が近づいてきた。受験を予定している人にとってはそろそろ気になりだす頃だ。
この入会試験は、昨年までは地域的なことからも関東と関西とにそれぞれ分かれておこなわれてきたのだが、今年からは東西、統一の試験が実施されることになった。第1回目の今年は10月9、10、11日の計3日間にわたって、東京の将棋会館でおこなわれる。
近年、奨励会への入会希望者は多くなっている。昨年の例をとってみると関東での受験者は71名。関西では20名という数字だ。今年も同じくらいの受験者数がみこまれる。
将棋界が世に知られてきたということの一つの証左といえよう。
受験者数に対し合格者の人数はというと、関東で17名となっている。合格率は約2割4分だ。関西は7名、こちらは約3割5分という数字となっている。今月は奨励会の入会試験の対策を紹介してみたいと思う。
奨励会員
まず、奨励会というところについてちょっと説明しておこう。
奨励会というのは、日本将連盟の棋士(四段以上の会員)の養成機関で三段から7級までの人たちで構成されている。
対局は月に二日、この日は当然ながら何をおいても出席しなければならない、他に7月7日から研修会が開かれることになったのでこれも参加が義務付けられている。
そして、記録係。これも義務だが自分の勉強の為でもありチョッピリ日当ももらえる。
このことさえきちんと果たしていればあとは学校へ行こうが、競輪へ行こうが、デートをしていようが、将棋の勉強をやっていようが、犯罪になることさえしなければ将棋連盟からは何もいわれない。全く自由だ。
すべてその奨励会員の自主管理にまかされている。楽といえば楽だが、たいへんきびしいことともいえる。自分をしっかりとコントロールできる強い意志が必要だ。
さて、現奨励会員が全員このような自己管理ができ、意志強固かというと残念(当然)ながら意志薄弱のほうが多いと思われる。
中には関、小野両三段のような石部金吉、意志強固のかたまりが洋服を着て歩いているようなのもいるが、K・Y君とかT・K君とかA・I君(これは仮空のイニシャルです)など、意志薄弱そのもののような人も中にはいる。
奨励会では学校のように先生が手取り足取り将棋を教えてくれるわけではない。すべて自分で勉強する以外にないのだ。
奨励会員の勉強の方法は、記録をとること図巧や、無双など長篇の詰将棋を解くこと、棋譜を並べること、何人かで集まって研究会を開くことなどが主になっている。研究会というのは序盤の変化を何人もで研究するというのは少なく、一人一人が会費を出してのリーグ戦、実戦が主となっていることが多い。
その他、まれには勝負についての研究会が開かれることもあるようだ。こちらの会費は若干高い。
だいたいこのようなことが奨励会員の勉強方法だ。
奨励会員は日本全国から集まっている。地方出身の人はかよいきれないから連盟の近くヘアパートを借りて生活することになる。
生活費もある程度捻出しなければならない。
奨励会員の収入の道は記録係の手当、将棋連盟の催し物の手伝い、または稽古(アマチュアの人の指導)などが主である。将棋以外のアルバイトをしているという話は聞かない。
早い話が貧乏なのである。親がかりならともかく、これも覚悟しておかねばならない宿命だ。
ただ、将棋界はけっこう暖かいところもあり、先輩に「腹がへって死にそうです」とたのめばよほど普段の態度が悪くなければ「しょうがねぇなぁ」といいつつもご飯くらいはごちそうしてくれる。
”先輩にはおごられろ。後輩にはおごれ”というのが伝統になっている。
但し、人によっては”先輩にはおごられろ後輩にはおごらせろ”と誤まって理解している人もいるので注意が必要だ。でないとひどい目に合う。
奨励会員の生活時間も普通の人とは違うようだ。平均起床時刻は午前11時頃と推定される(学校へ行っているものは除く)また平均就寝時刻は午前2時頃であろう。これでも最近は早くなったほうだ。昔は午後3時(起)の午前5時(寝)くらいが普通であったそうだ。夜行性が圧倒的に多い。これも伝統である。
まだ他にもいろいろあるが紙数もあるので奨励会についてはまた次の機会に紹介したいと思う。
受験対策
試験の初日(9日)には筆記試験と受験者同士の対局、3局が予定されている。
午前9時からだから少なくとも30分前の8時30分には連盟に着いておきたい。間違っても遅刻などをしてはいけない。
まず筆記試験だ。これは例年どおりならばごく常識的な問題ばかりで奨励会の試験を受けるくらいの棋力と、学校で普通の勉強をしている人ならそんなに難かしくはない。
1図は次の一手。一昨年の試験問題である。5分以上かかるようだとちょっと困る。
2図も一昨年の問題。
ここから
▲2五歩△同飛▲6三銀成△同銀▲5四歩△5五歩▲同飛△4四銀▲5三歩成△同銀▲3四銀△2一飛▲2三歩△4六歩▲同歩△5一角▲5三飛成△同金▲3三銀成△2八飛▲4五桂△5四金▲2二歩成と進んだ局面を別の図面に書けというものだ。もちろん盤駒は使わず頭の中で図面を作らなければならない。すんなりできるかどうか試してみて下さい。
その他、現在のタイトル名と保持者名を漢字で書けというのもあったが、これもやさしいので問題はない。
この筆記試験が終るといよいよ実技試験となる。受験者同士の対局だ。今日、明日で6局を指し、4勝以上の成績をあげなければならない。3敗すると失格となるのだ。
最近は受験者のレベルが上がっている。四段だ五段だ、どこそこの地区の代表になったとか、なんとか大会で優勝したとか準優勝だったなどというのがゴロゴロいる。そんな連中を相手にするのだから1級とか初段とかではちょっと無理。最低で三段くらいないと将棋の技術だけで負けてしまう。他の要素ではごまかしきれないのだ。
対局に臨んで
まず、自分の位置がどのくらいかを冷静に判断することが必要である。それによって作戦を立てるのだ。
まず、メンバーを見てまともに戦ったのでは勝てないと思ったときは奇襲戦法を用いるよりない。といって鬼殺しなんかをやったのではそれこそ手も足も出なくなる。奇襲というより攻めの態勢を早く作ることが大切である。奨励会を受けてくるような若い人は99%攻め将棋といってよい。攻めさせたらまずダメだ。逆に受けにまわると意外にもろさを見せることがある。そこを狙うよりない。そしてできるだけ玉を固めること。玉が薄いと反撃されたときにわからなくなるからだ。なにしろ相手のほうが強いのだ。自陣の心配をしなくていいように攻めを続けられれば理想である。もう一つは時間攻めだ。局面を相手の不得手と思われる受けに誘導できれば時間を使わせることができる。そこで安心してはいけない。相手が考えている間も必死で読んで自分の手番にはなるべく時間を使わずに指すことが大事だ。その場合、手拍子で指すことはさけなければならない。手拍子は悪手が多いからだ。なにしろ相手より君は弱いのだから局面を悪くしてはいけないのだ。
運悪く形勢不利となったときは最善手を探してはいけない。相手の立場に立って考え、気持の悪い手を選ぶべきである。それが本来悪手であってもしかたがない。一発を狙うよりないのである。
こうやって負けたらしょうがない。あきらめて次の対局にむかって気持ちを切り換えるのが大切なことになる。但し、以上のことは勝つ為の作戦であり、上達しようという人はやらないほうがよい。
自分が強いと思ったとき。
前述のことをやらせないほうがよい。やはりなるべく早く攻めの態勢を作ることが望ましい。この場合は玉が薄くてもかまわない。なにしろ君は強いのだ。お互いに玉の薄い将棋は力の強いほうが有利である。但し王手飛車とか一発には注意しなければならない。このことを守っていればまず負けないであろう。
大切なのは自分がどの位置にいるか、正しい判断をすることだ。弱い自分を強いと錯覚するのは最悪である。
泣いても笑っても2日目には結論がでてしまう。将棋界は勝っていればいいが、負けてばかりいると悲惨である。思った程いい世界とは言い難い。3敗して失格した人は人生を誤まらずにすんで幸運だったと笑顔で帰ろう。
4勝した人は次の日、試験の3日目には奨励会員との対局が持っている。3局指し一番もはいらないようでは合格もおぼつかない。できれば連勝することが望ましい。
奨励会員との対策というのは難しい。気後れせずに自分の持っている力を出し切るつもりで指すことであろう。ここまでくれば、ヘたな小細工はさけたほうがよいと思う。それで首尾よく合格すればよし、たとえ落とされたとしても自分の実力に対して相応の評価が下るのだから。
ただ、受験者数にもよるが、奨励会員とは香落で当たることがある。香落はさすがに奨励会員に一日の長があると思う。現在、奨励会で流行っている戦法をちょっと紹介しておこう。
3図までの指し手
△3四歩▲7六歩△4四歩▲2六歩△3二飛▲2五歩△3三角▲1六歩△4二銀▲1五歩△6二玉▲4八銀△7二玉▲6八玉△1二飛▲7八玉△8二玉▲5八金右△7二銀▲4六歩△5二金左(3図)この上手の指し方はあまり定跡書にはのっていない。果たしてあなたと当たった上手がこの指し方をしてくるかどうかはわからないが、一応研究しておいても損はないであろう。
これを通過すると後日、面接がある。ここではよっ程態度が悪くなければ大丈夫だ。
これで試験はすべて終りだ。合格通知は郵送されてくる。不幸の手紙とおなじシステムだ。”今からでも遅くはない、考えなおせ”と言ってもまず聞かないであろうから、不幸にして合格してしまった人の為に一言。
奨励会に入るとどうしてもある程度は遊びを覚えてしまう。これは伝統なのでしかたがない。ただ、遊びは遊び、学校は学校、将棋をするときは他のことすべてを忘れて将棋だけに打ち込むことを忘れてはいけないと思う
(1図の次の一手の正解▲6三角不成)
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「攻めさせたらまずダメだ。逆に受けにまわると意外にもろさを見せることがある。そこを狙うよりない。そしてできるだけ玉を固めること。玉が薄いと反撃されたときにわからなくなるからだ。なにしろ相手のほうが強いのだ。自陣の心配をしなくていいように攻めを続けられれば理想である。」
「運悪く形勢不利となったときは最善手を探してはいけない。相手の立場に立って考え、気持の悪い手を選ぶべきである。それが本来悪手であってもしかたがない。一発を狙うよりないのである」
この二つは、将棋大会やネット対局などでも応用できる心得だと思う。