「中原VS米長、激闘の歴史を追う」

将棋マガジン1987年6月号、二上達也九段の第45期名人戦特集「中原VS米長、激闘の歴史を追う =帰ってきた米中決戦=」より。

 当てごととふんどしは向こうからはずれると言うが、丸っきり予想がはずれてもなるほどだし、当ればやっぱりである。勝負事は結果論が私の持論ながら、子細に眺めれば時代の流れ人の流れは一定の法則をもって進行しているようである。

 今期の名人戦が中原対米長におち着いたのも自然と言えば自然、しかし二人の対戦に限って言えば、今期をピークに減少の一途を辿るに違いない両者対決だと私には思える。

 新世代の攻勢に二人とも疲れを見せているだけでなく。

 昨年度まあまあで過した中原に、ほっとした緊張感のゆるみがそこはかとありそう。しかも前は簡単にできたネジの巻きもどしが容易でなくなっていることに気付く。

 それに比べ米長は前半が悪く、後半上り調子になったことが気分的に高揚状態をまねいている。

 今期こそ彼にとり名人奪取の絶好のチャンスが来たのではないか。

 まあこのようなことを書いて、対局者の目に触れると、余計な刺激を与えて結果の狂う場面が多い。冒頭にちょっと述べた所以である。

 とにかく今期の結果は今後両雄の勝負人生に大きな転機を招くであろうと私は思うのである。

 占う意味で両対局者から自選譜を示してもらい。また筆者も印象に残っている棋譜を取り上げて棋風なり思考形態の差異など独断と偏見をもって解析しよう。

妙手5七銀〔第37期名人戦第4局 中原名人自選譜〕

 どの棋譜を選ぶかについては数が多ければ余人が選んでも、まあまあこれならの線が出る。一局だけではかなり個人差があるようだ。

 本局は昭和54年に指された第37期名人戦の第4局目である。2対1とリードされ、これを負ければ大変なことになる。確かに大事の一番で、それだけ記憶に残るわけだが、その場面以上に有名な妙手が喧伝され、本人もより強く意識したのかもしれない。

 1図は4八の銀を5七に動いた局面である。

 この手が指されてもはや後手に勝ちはない。たった2分の着手であった。

 当時の観戦記(斎藤栄)によれば、局後の感想で中原は初めから気がついたのではなかったとある。

 その辺が筆者にはよく分らない点である。

 その場の局面でひらめくことはあるのだが、本局の終了残り時間が中原に1時間38分ある。妙手に気付いて念を入れるのに2分とは少ない気がする。

 いつどこで読みに入れたのか不明であるが、相手の考慮時間中であった可能性もある。

 勝負師は誰しも本音は言わないものである。この人の強情我慢は既に知られるところ、そのほかに穏やかな風貌態度に秘められているしたたかな計算におどろくのである。恐らく無意識なるが故、より効果を発揮するが如きである。

 もどって本局は自然流の呼称にそぐわない内容を示している。それだけに、むしろ中原将棋の本質が具現されている。

2図からの指し手
▲7七金直△6二飛▲7八玉△6四歩▲同歩△同銀▲6五歩(3図)

 一目▲7七金直は形が悪い。当人も相当に逡巡した跡が見受けられる。それでもなおかつ指した強直さに注目したい。

 米長側から見れば、いかようにも

とがめられる気がしないだろうか。

 直接とがめに行った△6二飛からの歩交換は結果的に疑問視される。

 ノータイムの中原▲6五歩は、これしかない判断、3図を前に米長はあっさり△7三銀だったのだが、△6五同銀と取ればどうだったかの感想が残っている。

 ▲6五同銀△同飛▲4六角△6四角▲6六銀△4六角▲6五銀△3八銀は後手方も指せそう。

 逸機と言えば逸機、あえて米長に踏み込ませなかった何かを醸し出した中原の将棋観を見る。

 3図以下の推移は△7三銀▲2五桂△2四銀▲4六角△6四歩▲同歩△同角▲5五歩△6五歩▲同銀△5五角▲6六歩△4六角▲同歩△3八角▲5九飛△2七角成▲5四銀△5八歩▲同飛△3六馬▲4三銀成△5八馬▲3二成銀△同玉▲5三金△4九飛▲5九歩△6九銀▲8八玉△6七馬▲3三歩△同桂▲5七銀にて1図の局面である。

 中原に不退転の決意がよく出た手順であり、米長の巧技は逆に線が細い感じである。

 心理の差があったにしても、中原の強情さがいい方に作用した一局で妙手は偶然にあらずと言いたい。

 念のため▲5七銀以外は勝てないことを確かめよう。

 ▲5七銀ではなく▲3七銀を考えたとあるから調べてみる。

 △5九飛成が5三金に当たる。▲5四角は△同竜切りで駄目、▲4三角△2二玉▲6二金は△7七馬▲同桂△6八竜▲9七玉△8六金▲同歩△8七金▲同玉△7八銀不成以下詰み。

 また▲4三金打△2二玉▲6七金の粘りに出てみる。△7八金(△5八竜もある)▲9八玉△5三竜▲同金△8八金打▲9七玉△9五歩▲同歩△8四銀にてどうにも受けがない。

 結論は▲3七銀は負け、▲5七銀が唯一無二の妙手であった所以である。

 さて、ここまで書き進めて気付いたことは、米長は▲5七銀のあるのを感付いていたと思う。あえて相手に妙手を指させてみるのは、将棋というものに勝負以外の芸とか技の要素を見出す姿勢が現れている。

 勿論中原とて技と芸に思いをいたさぬわけはないが、より勝負に重きを置いている。即ち逆に中原だったら決して相手に妙手を指させようとはしまい。

 両人の明らかな差異をこの一手に見る。はたして偏見であろうか。

対戦第百局〔第36期棋聖戦第4局 米長九段自選譜〕

 米長が本局を選んだことは、どうやら魂胆がありそう。普通魂胆とは悪い意味に使うのだが、彼一流のちやめっ気だと解したい。

 丁度二人の対戦の100局目に当る。

 将棋そのものから言えば、もっと会心局がありそうに思う。

 流れを読み取り気を重視する在り方から、手づまり打開にふみ込み、しかも快勝した事実が大変気に入ったのであろう。

 個々の手はとらずに、全力を出しつくした心地よさが今も手ごたえに残っているように思える。

 4図は全くの同型。両端歩の突き具合が微妙な変化をもたらす戦型である。

 現在の筆者には、とうてい解明しとようとする根気はないが、昔の定説は先に手を出した方が苦しいとされていた。

 本譜の仕掛け方のほか、▲4五同桂では▲3五歩があったりして、何か指せそうな気もするのだが実戦では仕掛け側に好結果が出ていない。

 対局者は果たしてどれだけ研究しにて指していたのか、恐らく実戦での経験が主で普段の研究はそれほどで ないはず。その辺若い人達の研究がどうやら進んでいそうだ。

 本局にしても、一日制の対局だから指して見た意味がある。昨夏の王位戦で米長は高橋王位に仕掛けを与えて敗れている。

 端歩の突き合いがなく、高橋先番で▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲2四歩△同歩▲同角△同角▲同飛△2三歩▲2九飛△3七角▲2四歩△同歩▲5一角△6五歩▲2四角成△2三歩▲5七馬の分かれで、この実戦例は幾つかある。

 両方を持って戦っているのは、どっちでも指せる意思表示にとれる。

 純理を重んじる棋士であれば、なかなかこんな態度に出られない。

 序盤の無雑作さを指摘される以上に、中盤から終盤へと自らの力量に頼むある証である。

 棋士の共通項として、極端な細心さと繊細さをあげることができる。

 しかし表現には個人差がある。

 米長とて常人以上に細やかなものを所有している。それを知るが故にことさら放胆な振る舞いをすべく自己暗示をかけているように思える。

 彼と付き合うと疲れると言った人がいる。鋭い、鋭すぎると言った人もいる。

 どーんと無雑作に仕掛けるかと思えば、終盤ことさら丁寧になる。

 本局でいえば、まず勝ちをきめたと思われる▲7九金(5図)に17分の考慮をはらい、以下△9六桂▲同歩△同歩▲5二銀△同飛▲6三桂の手順中、▲5二銀と▲6三桂にそれぞれ数分の少考をはらっている。

 前述のこと言いが分かる将棋の作り方である。

 気合におされたか、むしろ中原の疑問手が目立つ。前局は米長にそれほどおかしな手がないのに負けにしているのとの差が両者の対戦成績に出ているようだ。

 米長の虚の部分が中原の実にとらえられるからである。

 それにしても前局で触れた、相手に妙手を指させまいとする涙ぐましいばかりの努力がここでも見られる中原である。

 例えば、▲2五飛(6図)を前に、△3四金は▲3三桂成△同金引▲6五飛があって気分よし。(本譜は△4五銀▲同銀△4四歩)  

 さらに指し手を進める▲3四歩の局面(7図)で△同金は▲4三金△同銀▲同桂成△同玉▲3四銀△同玉▲6五飛にてよし。

 その手順をゆるさじと△4二玉だが何のことはない。▲4三桂成△同銀▲3三歩成△同玉▲3四金△4二玉▲4三金△同玉▲3四銀を運べば同じ形になる。

 本譜は米長が変化に出て▲4三桂成△同銀▲3五飛を選び、むしろ分かりやすい勝ち方になった。

 勿論、同形になる手順は双方うっかりの可能性がある。その場合は疲労によるもので、体力戦は年齢差のある米長につらいものとなりそうである。鋭鋒をどれだけ包めるかが、名人位獲得に向けての米長の大きな課題になりそうである。  

新手▲6八銀左〔第35期名人戦第2局〕

 両者の気質を対比させるべく筆者も対譜数局を選んでみた。

 直接立会っていた関係があって特に記憶に残っている。

 第35期名人戦の第2局と第4局である。

 8図の全く同型から米長は▲6八銀左と指す。

 既成手順のおさらいは、▲9六歩△2二玉▲2九飛△8一飛▲4九飛△6一飛以下千日手になる。どこかで▲4四歩または△6六歩の取り込みは▲同銀左と応じてよい。

 この変化をふまえて▲6八銀左は理屈の上で十分に成立している。

 つまり△6六歩取り込みを強要し、▲同銀△6二飛▲5七銀上の形に持ち込めば定跡でいうところの、指せる局面に持ち込める。

 実際、最初の試み、第2局では8図以下▲6八銀左△6六歩▲同銀△9五歩▲7七銀上△2二玉▲1五歩△同歩▲4四歩△同銀左▲1三歩△同香▲2四歩△同歩▲2五歩の進行にて米長快勝の結末である。

 第4局では中原がちょっとした工夫を見せる。

 △9五歩突き越しに先立って△8六歩突き捨てを一本入れた。これで▲7七銀上を指しづらくさせている。しかし本来この形は▲5七銀上なのだから、それほど効果のある手と思えない。

 △9五歩に米長は大長考▲4八飛と回っている。以下△2二玉▲5七銀上△9三角▲6四歩△6二飛▲1五歩△同歩▲2四歩△同歩▲2五歩△8七歩▲同金△6五歩▲7七銀△6四飛▲2四歩△5五歩▲3四歩△同銀右▲4五歩△5三銀▲2五桂△2四銀▲3七角の推移は、難しいながら先手方を持って戦いたい。

 ▲8六歩を突かなかったので▲7七銀上を与えた9図と▲5七銀上の10図との違いをどう感じる。

 第4局は中原が入玉をはたして勝っている。

 私見によれば▲1五歩突き捨ては指しすぎの意味あり。突き捨てるなら、2八飛のままで突き捨てて▲2四歩△同歩▲2五歩を狙う方がよかろう。本譜はもし端歩を突き捨てていなければ後手の入玉策は容易に成功しないところであった。

 不思議なことに本局以降▲6八銀左は見られない。

 1勝1敗でめでたしめでたしなのか、どちらかが回避策をとるため現出しないのか不明である。

 第38期の名人戦第3局の持将棋も記憶に残っている。

 11図で米長は▲2五桂と攻めかかっている。

 この形は中原選局とどこか似通っている。お互い相手にやられた形のお返しをしている。

 本局は米長がうまく指し、ほとんど勝勢に見えたが中原は粘って入玉をはたす。完全に逆転のはずが、それから米長の頑張りがすごかった。

 中原の△7五歩(12図)にどう指したか、何と▲8六歩である。

 この手を境に一路入玉行進曲、むしろ駒数計算で米長有利に変った。

 泥沼流の本領発揮だったが、敵もさるもの大駒奪回策が成功して特将棋へと切り抜けたのである。

 以上棋譜の上っつらをなでて感じられるのは、中原は手に執着し、米長は構図にこだわる。

 ゴルフに例えるなら中原は常にフェアウェーをキープし、米長は豪打一発ピンを狙う。

 ところが、いざ大事な場面になると中原は大胆に、米長は慎重に変ってしまう。内面にひそむ性格が作用して、かかる現象を引き起こす。

 盤上のみに集中したとき米長のチャンスは大きい。そしてチャンスを意識し出すと失敗につながる。

 中原は不調と見られるだけ、居直りがありそうだ。

 双方年輪を重ね、昔日と異なる一味違った巧技を期待したい。

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名人戦七番勝負を前にした二上達也九段の素晴らしい評論。

中原誠十六世名人と米長邦雄永世棋聖よりも先輩の二上九段だからこそ書ける内容と言っていいだろう。

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「当てごととふんどしは向こうからはずれる」。

賭け事をやろうという気持ちが失せてしまうほどの説得力を持つ格言だ。

意味は異なるが「今度とお化けは出たためしがない」と同じような芸風の格言。

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「両対局者から自選譜を示してもらい。また筆者も印象に残っている棋譜を取り上げて棋風なり思考形態の差異など独断と偏見をもって解析しよう」

この方法は画期的だと思う。

両対局者と解析をする棋士、さまざまな組み合わせで読んでみたいものだ。

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「今期の名人戦が中原対米長におち着いたのも自然と言えば自然、しかし二人の対戦に限って言えば、今期をピークに減少の一途を辿るに違いない両者対決だと私には思える」

二上九段はもちろんそのようなことは意識してはいなかっただろうが、羽生善治四段(当時)の師匠の言葉なので、ものすごい迫力が伴う言葉となっている。

実際に歴史もそのように動いている。

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この期の名人戦は中原名人が4勝2敗で勝ち防衛を果たしている。