近代将棋1986年3月号、井出洋介さんの「井出洋介の勝負の目」より。
ちょっと原稿を書くのが遅れたお陰で、棋界の最新ニュースを聞くことができた。
”ヒロベエ”こと中井広恵ちゃんが、林葉直子ちゃんを破って新名人になったという。
女流王将戦のほうで、これまで二度、直子ちゃんの軍門に下っていた広恵ちゃんだが、今回初挑戦の名人戦は、戦う前から、かなり自信のある発言もしていた。
マージャン界では”謳うと勝てない”というジンクスがあり、戦う前には相手をあまり刺激しない方が良いとされている。まあ、相手が三人のマージャンと一人の将棋では多少違うかもしれないが、それでも、宣言通りに勝つというのはたいしたものだ。
中井広恵ちゃんと初めて会ったのは、たしか3年前(58年)の11月だった。
このコラムの原稿を渡すために、編集部のNさんと銀座の喫茶店で待ち合わせをしていたら、そこに”定例会”のメンバー、植山四段と広恵ちゃんがいたのである。(広恵ちゃんは佐瀬門下で、植山四段の妹デシになる)
当時は14歳の中学2年生で、現在よりもかなりふっくらしていた。一緒にメシを食いに行ったが、肉をおいしそうによく食べていたのが印象に残っている。
量は忘れたが、たしかワインも口にしていたようで、14歳なのにいいのかな、と思った記憶もある。
それから何度かお見かけしているが、会うたびにスマートに、きれいになってゆく。
しかも将棋のほうは奨励会でもまれながらどんどん強くなって、まだ16歳だというのに、ついに女流棋士の最高峰に到達したわけである。
盤を離れれば普通の女の子でも、さすがに勝負師。対局の際に見せる表情は厳しい。先月号の本誌グラビアで、名人戦第1局に先勝した直後、にっこり笑う広恵ちゃんと、対照的に盤上を見すえている直子ちゃん。
その反対に、フライデーに出ていた第3局(直子ちゃんの勝ち)の後の写真では、広恵ちゃんの表情に口惜しさがにじみ出ている。
今後、しばらくは、この二人を中心に10代の女流棋士たちの華麗な戦いが続くのだろうが、やはり、若い女性がやる気になる将棋がうらやましい。
残念ながら、女子中学・高校生のマージャン・ファンには、まず、お目にかかれない。
なにはともあれ、広恵ちゃん、おめでとう。
今度”名人同士”でお祝いしましょう。
* * * * *
将棋マガジン1986年11月号、大崎善生さんの観戦記「広恵、本気の三番勝負! 第1局 中学生名人 川上猛戦」より。
昨年、アマ名人戦の取材で、中野サンプラザに行ったとき、広恵ちゃんがむくつけき奨励会員達らと研究会に参加しているのを見た。将棋を指している彼らの横の方では、大勢の女の子達がヘッドホンでジュークボックスに聞き入っていた。むさい男達に交じって、黙々とわけのわかんないことをしている広恵ちゃんを見て、彼女達はどう思っただろう。
夕暮れ時のせいもあってか、広恵ちゃんの姿はなんとも淋しく映ったものだ。
そして、今年のアマ名人戦。やはり広恵ちゃんはサンプラの研究会に参加していた。
中学生名人を撃退した広恵ちゃんの第2関門は、菱田正泰元アマ名人に決まった。ちょっときつい手合いだが、広恵ちゃんに何の躊躇もない。
これから広恵ちゃんがどのように戦っていくか楽しみでならない。ほんとうに可愛く、そして、少しだけたのもしくなってきた。
* * * * *
井出洋介さんは1985年第16期麻雀名人戦で優勝、名人位を獲得している。
* * * * *
「このコラムの原稿を渡すために、編集部のNさんと銀座の喫茶店で待ち合わせをしていたら、そこに”定例会”のメンバー、植山四段と広恵ちゃんがいたのである。(広恵ちゃんは佐瀬門下で、植山四段の妹デシになる)」
Nさんは故・中野隆義さん。井出さんとの交友は亡くなるまで続いた。
また、井出さんには将棋ペンクラブ会報に「パイコマ交遊録」を連載していただいている。
* * * * *
中井広恵女流六段と植山悦行七段が結婚するのは1989年(平成元年11月11日)のことなので、結婚をする3年前の話になる。
* * * * *
14歳でワインとは、なかなかの豪傑だ。
* * * * *
昔、中野サンプラザの中ほどの階に、1日500円で将棋や囲碁などができる娯楽室のようなコーナーがあった。
たしかに、入り口にはジュークボックスがあった。
会社の先輩とここで対局をして、その後に飲みに行くということが何度かあった。
娯楽室では、10代に見える少年たち8~10人がよく将棋を指していた。
その熱心な雰囲気から、奨励会員であることがすぐにわかった。
平成初期の頃のこと。
今になってみると、全員の顔を覚えておけば良かったと思うわけだが、後の祭りだ。