福崎文吾七段(当時)「この記事、ぼくがタイトル取ったら使いはんねんな。負けたら出ませんのやろ」

将棋世界1987年2月号、読売新聞の山田史生さんの「第25期十段戦第6局盤側記」より。

 振り飛車・穴熊で健闘の福崎七段に、米長十段意外な苦戦。―福崎が3勝2敗とリードして迎えた十段戦七番勝負第6局は、12月18、19日に大阪市淀川区の「東洋ホテル」で行われた。

 東京から遠征の米長は前々日の16日に大阪入り。これに対し摂津市に住む福崎は家から20分ほど、文字通りの地元で、夕方5時ごろホテルへ入った。そしてすぐ読売大阪本社記者のインタビューをうけた。日常のことなどあれこれ聞かれ、率直に答えていたが「この記事、ぼくがタイトル取ったら使いはんねんな。負けたら出ませんのやろ」と笑顔で逆に質問したりした。

 ベテラン棋士なら「まだ取ってもいないのに。決まってからにしてくださいよ」というのが普通なのだろうが、この辺り、人の好さと共に現代っ子的でもある。

(中略)

 さて18日対局開始。対局場はホテル3階の茶室。カド番に追い込まれている米長だが、タイトル戦登場40回という大豪だけに、普段と変わった様子もない。気の合う内藤國雄九段、それに人間的に高く買っている谷川浩司棋王が立会人なので、むしろいつもよりリラックス、約10分ほどは盤側と雑談したりしながら手を進めた。

 先手番福崎は角道を開け、7手目▲8八飛と向かい飛車にした。福崎の変幻ぶりは見事なほど。第1局は袖飛車、第2局は三間飛車・穴熊、第3局は同じ三間飛車から向かい飛車に転じ美濃囲い、第4局は居飛車からひねり飛車に、第5局は中飛車・穴熊、そして本局は向かい飛車・穴熊と、毎局変化をつけ、強豪米長を戸惑わせた戦いぶりは、巧みというよりない。

 2連勝したあと2連敗し、タイに追いつかれた時、人づてに師匠の田中魁秀八段から伝言があったという。「君の力が充分発揮できる振り飛車穴熊でいけ」と。

 少年のころから数えきれないぐらい練習将棋を指し、その長所も短所も知り尽くしている師匠の言葉に、福崎は迷いが吹っ切れた。

「穴熊を指していては大成しない」など、多少の批判もないではない穴熊だが「それが自分の将棋だし、指したいのだから指すよりない」。

 昼食休憩の時、二人の美人が現れた。真野響子、眞野あずさの姉妹女優である。いわずと知れた米長の応援。米長と食事を共にし、谷川棋王が米長の強い要請をうけて同席した。

 再会の時から15分観戦、そのあと控え室で内藤九段らと歓談したが、観戦の感想として響子さん「将棋を指している時の米長さんの顔はすばらしい。でも私は将棋を知らなくてよかった。知っていたら米長さんは雲の上の人だから対等に話もできなかった。知らないからこそ普通におつきあいできる」。

 午後5時32分、米長が封じて1日目終了。5時半少し前に指して福崎に手を渡すなどの作戦も考えられた所だが、米長はそんな姑息な手段はとらなかった。この日は中華の卓を囲んでの会食。

(中略)

 2日目、昼ごろまでは形勢不明の局面が、午後になって急に傾いた。よくならない将棋に業を煮やしたかのように米長が成算ないまま攻め合ったのである。このため米長陣は急に薄くなり、福崎の反撃をうけた。

 福崎の攻めは頼りなげだが、巧みに続くのが特徴。そして攻め方も控え室の予想としばしば食い違う。内藤九段が「こんなに手が当たらない将棋も珍しいな」と感心するほど。”異常感覚福崎”の面目躍如といったところだ。

 話はとぶが福崎は”異常感覚”という言葉を嫌う。「人間まで異常と思われるのはかなわんから」だそうだ。

 大事な一戦なのでとことん頑張るだろうと予想していた私たちだが、米長の指し方はあっさりしていた。よく先が見える人だけに無用な粘りは何の意味も持たない。夕闇迫る午後4時3分、米長投了。

 どっと報道陣が対局室に入り、フラッシュが光る。あまりの多さに二人も落ち着かず、感想戦もいつもより短く40分ほどで終わった。

 対局室を出る米長。そげたほおが痛々しい。目は光っているがいつもの笑みはない。私も「ご苦労さまでした」というしか言葉がない。

 敗者の後ろ姿はいつものことながら淋しい。担当者の一番つらい瞬間でもある。

 一方の福崎は盤前に座ったまま、取り囲んだ記者たちから改めてインタビューを受けている。

 米長と親しい内藤九段は、米長の姿を見るにしのびなかったのだろう、終了直後少し対局室にいただけで、あとは控え室でじっと目を閉じ座っていた。

 もう一人の立会人谷川棋王は、ずっと対局室にいて新たなヒーローの誕生、そして強力なライバルの応答を光る目でじっと見つめていた。

 1時間後、打ち上げの席に出た米長は、もう元の米長に戻っていた。真野姉妹からもらった花束を福崎に「おめでとう、これは君に」と手渡し、ワインを飲みながらにこやかに歓談した。

 私は若く新しい十段の登場を心から祝福する気持ちと、好漢米長のすみやかな復帰を願う気持ちが交じりあい、複雑な心境であった。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

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「この記事、ぼくがタイトル取ったら使いはんねんな。負けたら出ませんのやろ」

この頃の福崎文吾九段は、現在の大盤解説などで見せてくれるようなキャラクターではなかったけれども、このコメントに、現在に通じる面白さが凝縮されていると思う。

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「将棋を指している時の米長さんの顔はすばらしい。でも私は将棋を知らなくてよかった。知っていたら米長さんは雲の上の人だから対等に話もできなかった。知らないからこそ普通におつきあいできる」

相手が将棋のことを知っていなかったのが吉と出た事例。

知らない人と知っている人が混在しているからこそ生まれてくるエネルギーというものもあるだろう。

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「福崎は”異常感覚”という言葉を嫌う」

このことは、以前の記事でも出てくる。

福崎文吾七段(当時)「タイトル戦は死力を尽くして頑張ります。そうでなければ、リーグ戦で僕を勝たせてくれた先生方に申し訳ないですからね」

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師匠の田中魁秀八段(当時)の「君の力が充分発揮できる振り飛車穴熊でいけ」、福崎七段の「それが自分の将棋だし、指したいのだから指すよりない」が格好いい。