1986年、名人戦で中原誠名人に挑戦して敗れた後の大山康晴十五世名人インタビュー。この時、大山十五世名人は63歳。
将棋世界1986年8月号、「今期の名人戦を振り返って 大山十五世名人に独占インタビュー 私はまだまだ指し続ける!」より。
―名人への挑戦権を得られた3月23日の対米長戦のことから、名人戦第1局までの心境とか、体調の整え方などをお伺いしたいのですが。
大山 新聞やテレビに代表されるマスコミが、今は実年の社会だっということで、私とゴルフのジャック・ニクラウス(全米プロの優勝者)ですか、この人と対比したりで、取材が多かったですね。まぁ過去にも私はタイトル戦の大きな舞台へ数多く出ていますから、この方はあまり負担になりませんでしたね、全然なかったといえばウソになりますけど。相手が中原さんということで、第1局が始まるまでなんですけれど、あの人に対して闘志を燃やすとかコンチクショウなどと、思わせない人なんで、人柄なんでしょうね。
―やはり他の人とは違っているんでしょうか?
大山 そうねぇ、なんとなく親戚の甥とか(笑)、それでいっしょに仕事をするんだとか、そんな感じだったですよ。決して敵対視するようなムードじゃなかったです。そんなことで一日一日が過ぎていったわけなんですけど、いざ第1局を指してみると、それまで2日制の対局はずいぶん指してきたんですけど、今回に限っていうと、少し長いなぁーという感じを受けましたね。1日の将棋ならば、ここはこう指す一手というときに比較的早く指すんですけれど、2日制の時は指す手がわかっていてもじっくり再検討するわけなんですが、長く、といっても2年指していなかったことで、若干ぎくしゃくしていましたね。
―シリーズ全体を見て、中原名人に対して棋風とか、印象が具体的に変わった、というようなことがありましたか。
大山 特にそれは感じませんでした。ただ、自分自身の考え方や感じ方が、9時間という時間が長く感じましたね。体力の衰えというのか歳というのか、それを強く感じましたね。
―中原名人に対してというよりご自身の変化を強く感じたわけですね。
大山 そうです。昔とは違うな、という感じね。
―具体的には先ほど述べられたこと以外ではございますか。
大山 対局に関してはさほどないですよ。ただ、50歳ぐらいを境にして対局以外のことで疲れ方に差を感じるようになりましたね。今回負けたことはいい経験でもあるし、また非常に残念なんですけれど、今の素直な気持ちでいうと、もう1回指してみたいな、本当に将棋を指してみたいな、ということがありますよ。棋風の面から言うと簡単に言えば、優勢になればああ、もうよかったなとか、つまり中盤で模様がよくなったり、指しいいとかなるとこりゃ勝ちだなとか、楽だなとか、以前はもっと思うのが遅かったですよ。
―慎重であったということですか。
大山 そうね、終盤になって、誰が見ても、という局面になって自分でもああこれで勝ちだな、と思ったですよ以前は。今回は中盤で模様がいいと、もうこれはいいや(笑)という感じでしたね。
―模様のよかった局に関しては控え室の研究より早くに……。
大山 おそらく何でしょう、控え室でよしと判断した局面より以前に、こりゃいいなという感じと見通しの安心感があったのは事実ですね。これは結果的に負けにつながったんじゃないですかね。
―そういった以前より早くに優勢ムードとか楽観が生じてきた根拠というのはどんな所にあるんですか。
大山 まぁひとつは歳ということがいえますね。もっと具体的にいうと指し手が早くなったということかな。
―むしろ人とは逆ですね(笑)
大山 先行きの見通しが早く見えるようになったというのも歳なんですよ。それがうまく出る場合と、逆に裏目に出る場合とがあるんですよね。まあ今回は裏目に出た、ということですね。そんなことが以前と違ってきた所かなと思います。
―そんな感じで全5局が済んで最終局の打ち上げの席でお感じになったことというのはありますか。
大山 名人戦が終わったな、という淡々としたものですよ。
(中略)
―そこで、今後のことになるわけなんですが、当然A級の第1位ということで本年度は出場されるわけですが、現役棋士としての抱負をおききします。
大山 率直にいってね、私はA級落ちたら現役やめよう思ってます。いる間は棋士としての立場からやっている方がいいと思いますので続けますよ。Bクラスでやるのは対外的なことも含めるとちょっとね。逆にA級のうちでやめるというのは、ファンに対しても、連盟がおつき合いをしているマスコミ各社に対しても失礼になると思いますね。だから、名人戦が終わってすぐに思ったのは、また1年、やるっきゃないな、そういうことですよ。
―名人を防衛された中原先生に対して何かございませんか。
大山 私も18期名人を務めてきましたが、「名人」というトップの称号を持つ人は取ったり取られたりじゃいけないんですよね。持っている以上は防衛しなけりゃいけないし、ファンもそれを期待しているわけなんで、そういった意味では中原さんも頑張らなきゃいけないし、また、あの人ならそれが可能だと思うし。
―大山先生の記録に近づいてほしい、というようなお気持ちは……。
大山 あの人ならギリギリは行くんじゃないかと思います。それから後が、どういうかな、年齢的なものが将棋の世界では延びているわけなんで、越すかもしれませんし、私と比較するなら、46~47歳からがどうか、頑張れるか、ということでしょうね。
(以下略)
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羽生善治九段をはじめとする多くの棋士が、「優勢になったと思う局面は?」や「勝ちを確信した局面は?」の質問に、ほとんど敵玉の詰みが確定したような段階の局面を答えるのも、本当にそう思っているから。とにかく最後まで安心しない。
大山十五世名人の「棋風の面から言うと簡単に言えば、優勢になればああ、もうよかったなとか、つまり中盤で模様がよくなったり、指しいいとかなるとこりゃ勝ちだなとか、楽だなとか、以前はもっと思うのが遅かったですよ」は、そのような感覚が年齢を経るとともに薄れていったということ。
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「私はA級落ちたら現役やめよう思ってます」は、大山十五世名人の有名な言葉。
背景には、ここで述べられているようなことがあった。
大山十五世名人はA級在籍のまま、1992年7月に69歳で亡くなる。
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「名人というトップの称号を持つ人は取ったり取られたりじゃいけないんですよね。持っている以上は防衛しなけりゃいけないし、ファンもそれを期待しているわけなんで」
大山十五世名人の言葉だから重みがある。