待ちに待たれた羽生善治竜王(当時)

近代将棋1993年9月号、「米長名人・団鬼六 酔談おしゃべり対局」より。

団 このたびは名人位獲得のご快挙、おめでとうございます。

米長 いやいや、どうも、有り難うございます。

団 どうです、名人になったぞ、という実感がようやくわいて来ましたか。

米長 まあ、ぼちぼちというか、やはり、本格的になるのは20日の就位式がすんだあとでしょうな。

団 京王プラザホテルでやるその就位式は名人就位式としては前代未聞の豪華さになるんじゃないですか。うわさでは2000人くらい、集まるんじゃないかと。

米長 野球場じゃあるまいし、そりゃ無理ですよ。1993人で打ち止めにします。

団 何ですか、その1993人ってのは。

米長 今年は1993年でしょう。

(中略)

団 大体、人生ってのは小説と違って首尾一貫していないし、均整のとれた構成ってものはないんです。でも、50歳にして念願の名人位をやっとこさ手に入れたということは何だかドラマの構成仕立てになっているようで、僕はそこにまた今回の新名人誕生の価値があると見ますね。なまじ20代か30代で1回か2回、名人にならなくてよかったですよ。(笑)

米長 ドラマなら、たしかにここが僕の最上のクライマックスかもしれないが、ドラマならここで終わるべき所、人生はうまい具合にここで終わってくれない。泣くときに備えて、今のうちに大いに笑っておかなきゃと思うんです。

団 人生のクライマックスを持てたのだからたとえ1年で羽生に討ち取られたとしても(笑)ま、いいじゃないですか。今は熊谷が敦盛を討つんじゃなくて、敦盛が熊谷を討つ時代で。ところで、次の挑戦者はやっぱり羽生を予想されますか。

米長 ま、斉藤慶子に狂わぬ限り。(笑)名人になってよかったなと思うのは最高の舞台で演じることの出来る役者になれたという悦びですね。人生が一つの舞台ならばその中でいい芝居の出来る役者になりたい。それが僕の理想なんです。

(以下略)

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ここで出てくる「斉藤慶子に狂わぬ限り」は、この対談が行われた頃に発売されていた将棋マガジンの団鬼六さんの「オニの五番勝負 第一番 羽生善治竜王の巻」で、羽生善治竜王(当時)が、「外見だけでいうなら斉藤慶子さん」と好みのタイプを語っていたことが伏線となっている。

羽生善治竜王(当時)「外見だけでいうなら斉藤慶子さん」

羽生竜王はこの時順位戦A級1年目。

翌年、羽生竜王は名人位を獲得することになる。

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羽生善治竜王がA級に昇級することが決まった時の記事で、当時の羽生竜王の勢い、信用力がどのようなものであったかが把握できる。

近代将棋1993年5月号、「昇級者のプロフィール」より。

A級へ

羽生善治

 「待ってました!名人候補」と大向うから声がかかるのに相応しい人だ。木村、大山、中原の永世名人に連なる紛れもなき名人候補だ。四段の時早くも4人の名人を倒して話題になり、以後棋界の記録の数々を塗り替えてきた。

 棋風は中終盤の比類なき勝負強さだ。破壊力、粘着力、正確な読み、どれをとっても上に超がつく。谷川が21歳で名人になった時はまだ入門したばかり。ファンは谷川時代になるものと思っていたが、急迫激しく竜王を奪い三冠に輝き、谷川を追い越す勢いだ。今年は本場所のA級でじっくり勝負。A級の面々とそういう戦いを見せてくれるか、ぞくぞくするような楽しみが待っている。大山の穴を埋めうる唯一の棋士である。

1992年7月に大山康晴十五世名人が亡くなっている。

巨星墜つの言葉通り、ポッカリと穴が空いたような気持ちになっていた将棋ファンも多かった。

「大山の穴を埋めうる唯一の棋士である」というのは、A級に昇級したばかりの棋士に対する形容としては、これ以上ないほどの最上級の褒め言葉だと思う。

大山康晴十五世名人と入れ替わりに羽生善治竜王がA級入りしたというのも、なにか感慨深い。