羽生善治四段、佐藤康光四段の午前2時半からの棋譜並べ

将棋世界1987年11月号、「C2順位戦レポート」より。

 9月8日。C級2組第3回戦対局日。東京の会館では19もの対局が行われるため、対局室は満杯。ひしめき合いながら指し手を進めている。

 とにかく大所帯のこのクラス。昇級するには、全勝の気構えで挑まなくてはならない。その意味で2勝同士の羽生-中田功戦、大島-達戦は序盤の生き残りゲームだ。

 まず、羽生-中田戦。中田の四間飛車に急戦を挑んだ羽生、いかにもハブ・ヨシハルの将棋といった具合になっている。

 そして午後8時、迎えた1図で中田は△5五歩と指した。成算ありといった手だったが、(中略)その後、疑問手もあり、最後は大差の負け。終了時間は午後11時21分。

 感想戦はもっぱら△5五歩前後の検討に集中したが、羽生は「ええ」とか「そうですね」と小声で言いながらも示す変化は中田良しにはしようとしない。約1時間後「△5五歩は自信があったんですはねぇ」と消え入りそうな声で中田がつぶやいたところで感想戦終了。羽生の強さが光った一局だった。

 もう一つの注目の注目の闘い、大島-達戦は11時過ぎに山場を迎えた。

(中略)

 結局翌9日午前1時8分、162手という熱戦を大島が制し、昇級戦線に残った。指しやすくなった方が勝ち切れないという順位戦を感じさせる将棋だった。

 この一局の感想戦が終わったのが午前2時半。全ての対局が終わり記録の奨励会員が寝支度をしている所へ羽生、佐藤康らがやってきた。手持ち無沙汰の彼らは早速今日の他人の将棋を並べ始めた。この天才少年達はどこまでいっても将棋なのだ。そして午前6時、外が明るくなるとすっと彼らは帰っていった。

(以下略)

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1987年9月8日は火曜日。

この頃、羽生善治四段(当時)は八王子市、佐藤康光四段(当時)は日野市に住んでおり、タクシーで帰るとなるとそれぞれ1万円を軽く突破する。

だからといって、自身の対局終了後、電車があるうちに帰るのではなく、他の対局が全て終わるまで見ていて、それも終わった後は寝るのではなく、その日のそれ以外の対局の検討を朝まで行う。

もともと才能がある上に、このような積み重ねをしていたわけで、驚くとともに感動的でさえある将棋に対する取り組み方・姿勢だ。