将棋マガジン1991年8月号、林葉直子女流二冠(当時)の「私の愛する棋士達 山田久美女流二段の巻」より。
女性誌のコラムに載っていた。
もし自分の愛する人が不治の病で最も恐れられているエイズだったとしよう。
その病名を告げられたとき、どうするか――と。
私は親友の中井女流と話した。
「好きな人がそうなら、最後まで面倒見てあげるでしょ?」
「それは、そうよ」
「あなたの側にいてあげる、なんて言ってね」
「クッ、出来るかな直子ちゃん」
「当然よ、愛する人のためだもの」
明らかに半分聞き流しているふうである広恵ちゃんが私に訊いた。
「じゃあ、逆の立場だったら?」
「私がエイズになったらってこと?」
「そうそう」
「…みんな逃げてっちゃうんじゃない?空気感染しないにしても…」
「でしょうねぇー」
首を上下にウンウンと納得しながら彼女は更に鋭く言うのだ。
「側にいてくれるような人を早く直子ちゃんも見つけなきゃ」
「フン『私、ずっとだまってたんだけど実はエイズなのよ』と言ったとき『おまえにうつされるのなら構わない』って言ってくれるような人と結婚するからっ」
悔しまぎれで言う私のセリフは現実性に乏しいが…。
それを先刻ご承知の彼女は笑いながら、
「いつもそんなことばっかり言ってしょうがないなぁ。ま、がんばってよネ」
女二人、会えばいつもこんな話ばかりしているのだ。
10年以上、付き合ってきてるわけだから、思ったことを何でも話す。
中井、林葉と二人の場合はこんなものだが、これに一人加わるとまた賑やかになる。
そう、その一人とは言わずと知れた美人棋士の山田久美二段だ。
女流棋界にデビューしたのが時期的に少しズレているものの、年代が近いこともあり、その当時から仲がいい。
ちなみに10年ちょっと前までは、山田、林葉、中井の三人娘と称されていたものだが…。
その三人娘の中で一番若い中井広恵が結婚してしまい、そう呼ばれることも自然と少なくなった。
それより、いつの間にか私達も20代半ばに突入寸前であるのだから、三人娘と呼ばれなくなって当然ともいえるか。
月日の経つのは早いもので、あっという間に結婚適齢期になってしまった私と久美ちゃん。
昔むかしは、三人揃うとアイドル歌手の話をエンエンとしゃべり続けたものだ。
少女の頃の久美ちゃんは、少年のようだった。
いや、少年というよりも中性的な魅力のある不思議な雰囲気と表現したほうがよいのかもしれない。
ウルフカットといわれるサラサラのショートヘアに鋭い眼光。
初めて彼女に会ったのに、デパートの将棋まつりでだった。
久美ちゃんに会う半年ほど前ぐらいに私は広恵ちゃんに会ったのだ。
小学校五年生の広恵ちゃんと中学一年生の私はすぐに仲良くなった。
そして、その広恵ちゃんから私は久美ちゃんを紹介されたのである。
「直子ちゃん、今度女流プロに入る山田久美ちゃん」
私のほうが年齢は下だが、女流棋士として、その将棋まつりに出演していたので将棋の面では少しだけ先輩だった。
「山田です」
「どうも、林葉です」
初対面のときの会話はこんなものだった気がする。お互い、中学生とまだ若い。
私は、久美ちゃんが帰ったあと広恵ちゃんに訊いた。
「ねぇ、山田さんって怖い感じがするけど」
だが、広恵ちゃんにキッパリ、
「そんなことないよ」」
と言われ半信半疑だったのを今でも覚えている。
しかし、後にも先にも久美ちゃん分を怖い一つ年上のお姉さん、と思ったのはこのときだけである。
見た目はどこかクールな感じがするが、これはお会いになった方はお解りだと思うが、一瞬だけなのだ。
はっきり言って、外見が格好よすのぎるから誤解されるだけなのだ。
昔からキレイだったが、最近のイイ女ぶりは目を見張らせる。
色白で、スタイルの良さは抜群。
キュッとひきしまった足首にスラリとした肢体は、うらやましい限り。
こんなイイ女じゃ、同性からねたまれて女友達は少ないんじゃないかと思いたくもなるのだが、ところがどっこい―女からも好かれるのだ。
いわゆる、イイ女だけどそれを自分の武器にしないのである。
気取らず、いつもニコニコしていて明るくひょうきんなのだ。
広恵ちゃんと私で、”山田久美語録”を作ろうかと話したほどだ。
山田久美はしゃべらなければ、相当にクールな女を演出できるハズなのだが…。
「私、バカなの。時計見ようとして手にもってた缶ジュースを横にしてね、ドバーってジュースこぼしちゃった」だの「洋服買いに行って一ケタ間違えて…買ってしまった」なんて言うのだ。
「バカだねー」と私が呆れてるのにクックックッと肩を揺すりながら、「そうなんだよね」と笑う久美ちゃん。
彼女と一緒にいると飽きない。
話が尽きないのである。
これが、単なる遊び友達という点ではなく、信用できる友人、ということもひと言つけ加えておく。
久美ちゃんは自分のドジだとか服の話、または仕事の話になると、よくしゃべる。
が、人の悪口なんていうのを自分からしゃべりだしたのを私は聞いたことがないのだ。そういう話になると「フーン」という感じで悪ノリしてくるタイプではない。
これは、今どきの若い女性にしてはめずらしいのではないだろうか。
表面的には、明るいノリのいい山田久美であるが、内面は古風なのである。
現に対局のときは五時起きで群馬の山奥?から出張してくるし、派手なイメージからは考えられぬほどのきれい好きだ。
そして、やさしい。
「女流名人位戦の就位式たぶん行くと思うよ」
と言っていた久美ちゃんの姿が当日なかった。
私はそんなことすっかり忘れていたのだが、数日後、対局日が同じで久美ちゃんに会ったとき、
「直子ちゃん、オメデトウ」
とプレゼントをくれたのだ。
私は何がオメデタイのかキョトンとしてると、
「名人の就位式、出席できなかったから」
と言ってくれたのだ。
誕生日とかなら別である。しかし仮にも女流棋士という面ではライバルなのに…。
「早く見てよね」とニコニコ笑顔の久美ちゃん。
私は意表をつかれた思いで手にした小包をソーッと開けた。
中にはステキな髪飾りとハンカチが入っていた。
「ありがとう、久美ちゃん」
彼女のやさしさに私は感激した。
しかし、私の反応に不満があったのか久美ちゃんは、
「ちゃんと見た?一番下にも入れてあるのよ」
と言う。
これ以上の贈り物は…と思いきや、そこには妖しく切りぬかれた私の大好きな人の写真があった。
対局開始前であるにもかかわらず私は絶叫した。
「ギャーッ❤○○○○」
なんでもポスターを前日にチョキチョキして私を喜ばせようと思ってくれたらしい。
私のその悲鳴を聞いて満足そうに
「ね、最高のプレゼントでしょ」
と久美ちゃんはさわやかに笑っていた。
そのポスターの切りぬきを見る都度、彼女の人柄の良さを感じる今日この頃である。
三人娘の中井広恵ちゃんはステキなダンナ様と結婚し幸せそのもの。
広恵に負けなるものか、と久美ちゃんも幸せになってほしい。
こんなイイ女を幸せにできない男はいないハズだから。
私も負けずにがんばるつもりだけどお互い…まだ先の話になるか…。
しかし、私の場合は情けないったらありゃしない。
広恵ちゃんとエイズの話をした翌日、私は久美ちゃんに会った。
缶ジュースを片手に久美ちゃんとおしゃべり。
そのときである。
「直子ちゃん、ひと口ちょうだい」
久美ちゃんが私の缶ジュースのほうに手を伸ばしてきた。
「ん?いいよ」
久美ちゃんにジュースを手渡した後、なぜか昨日の広恵ちゃんとの話を思い出し、
「私さ、ずっとだまってたんだけど実はエイズだったの」
と、缶ジュースにロをつける直前の久美ちゃんに言った。
するとどうだろう、彼女はニヤリと笑いながら、私の言葉をまったく無視したかのようにゴクリとおいしそうにジュースを飲み、ニヤリと笑い、
「直子ちゃんにうつされるんだったら構わないわよ」
と…。
このセリフを言ってくれる人と結婚するわよ!!と広恵ちゃんに豪語した私は一体、どうなるのだろうか。
久美ちゃんに言うんじゃなかったと思った半面、もしかして、私のことを愛してくれてるのかと錯覚してしまいそうだった…。
あーあ、こんなことを言ってばかりいるようでは当分私は結婚なんてできそうにない。
ここは年齢順で先に久美ちゃんにお嫁に行ってもらって、その後ゆっくり考えることにしよう。
「直子ちゃんに結婚を先に越されてしまったら、私、生きて行けない」
と言っていた久美ちゃん。
どうぞ、お先に!
憎ったらしいけどキュートでイイ女、私の愛する山田久美がんばってね!
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「10年ちょっと前までは、山田、林葉、中井の三人娘と称されていたものだが」
3人が若いから三人娘と呼ばれていたのではなく、仲がいいから三人娘と呼ばれていたのだと思う。
3人の仲の良さの様子が文章の中に躍動している。
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今日発売の女性セブンに、大崎善生さんによる林葉直子さんの記事が載るという。
→明日発売の女性セブン(林葉直子オフィシャルブログ「最後の食卓」)