米長邦雄九段「この手は第一感、無理である。なぜならば後手が手堅く手堅く、先手からの攻めを封じようとしているところを、何が何でもつぶそうという、その精神が良くない。▲3五歩は悪手である」

将棋世界1989年8月号、米長邦雄九段の「今月はこの一局! 棋聖戦 中田宏樹五段VS佐藤康光五段 腰掛け銀の好局」より。

将棋世界同じ号より。

 今月はイキのいい若手二人の将棋をお届けしよう。

 中田宏樹五段は桜井七段門で24歳。

 彼は年間の勝率第1位になったことがあるし、四段になってから常に勝率トップテンの上位に名を連ねている。おそらく通算勝率も7割近くあるだろう。

 それでいて、未だC級2組におる。

 8勝2敗、7勝3敗、だとなかなか昇級はできない。このへんが厚い壁になっているのだろう。実力は優に3つ4つ上のクラスのものを持っているはずである。

 まあ、1年や2年の昇級しそこないはどうということもあるまい。

 佐藤康光五段は田中魁秀八段門で19歳。

 今、脚光を浴びている10代棋士の旗手で、とにかく才能抜群である。順位戦でも2年連続の8勝2敗で順当に昇級を果たしている。

 私は初めて佐藤君に会った時に、故・塚田正夫名誉十段の生まれ変わりではないかと思ったものだった。細長い顔立ち、風貌、ややずりかげんにかけている鼻メガネ、全く故人そっくりである。

 彼も常に高い勝率をあげている。また、内容そのものも実に参考になる将棋を指していて、棋譜を見るのが楽しみな新人の一人である。

(中略)

 3図で▲3五歩と仕掛けている。

 私はこの将棋の感想戦を見ていて”この手は第一感、無理である。なぜならば後手が手堅く手堅く、先手からの攻めを封じようとしているところを、何が何でもつぶそうという、その精神が良くない。▲3五歩は悪手である”という風に断定した。

 ところが、かたわらで見ていた室岡五段が「この▲3五歩は以前、米長先生が指した手なんですけど」と言うではないか。「俺の序盤感覚からして、そんなバカなことはない」と言ったのだけれども、確かにその将棋はあった。

 それは、A級順位戦で相手は桐山九段であった。私の▲3五歩に対して桐山九段は△6三金と上がっている。実はその△6三金がやや疑問であって、以下▲1五歩△同歩▲4五歩△同歩▲2二角成△同金▲4五銀△同銀▲同桂△4四銀打▲3一銀△3二金▲2二歩と進んで優勢になった。

 ▲3五歩に対して△同歩ならば、▲4五歩△同歩▲2二角成△同金▲4五銀△同銀▲同桂△4四銀打▲7七角となって、これも非常に難しい。先手の狙いは▲2四歩からの十字飛車だが、後手にも△4七歩と打つ手などがあって、どちらが良いのかわからない。

 本譜、佐藤君は△6二玉としている。

 これが良い手だったのだろう。▲7一角の筋を消しながら、玉を戦線から遠ざけている。後手陣の形だけ見れば△4一玉とする方が形なのだが、この局面では△6二玉とこちらの方へ行くのが正解である。この感覚は本当に将棋を知っているという感じがする。

 しかし、▲3五歩を取れないのなら、先手の仕掛けも無理ではないという気もする。取られて悪いから無理攻めなのであって、取れないのなら、成立しているという理屈も成り立つ。なるほど、△6二玉とするのなら▲3五歩もいい手かな、という気もしてくるから不思議だ。

(以下略)

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「私は初めて佐藤君に会った時に、故・塚田正夫名誉十段の生まれ変わりではないかと思ったものだった。細長い顔立ち、風貌、ややずりかげんにかけている鼻メガネ、全く故人そっくりである」

ほっそりしていてメガネをかけているところは共通点だが、佐藤康光九段と塚田正夫名誉十段の雰囲気が似ているかどうかは、何とも言えないところ。

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「この手は第一感、無理である。なぜならば後手が手堅く手堅く、先手からの攻めを封じようとしているところを、何が何でもつぶそうという、その精神が良くない。▲3五歩は悪手である」

「この▲3五歩は以前、米長先生が指した手なんですけど」

このやりとりが可笑しい。

棋士は、自分が指した将棋を覚えているタイプと覚えていないタイプに分かれるが、米長邦雄永世棋聖がどちらのタイプかはわからない。

いずれにしても、米長九段が進化を続けていて、感覚が変化したとも考えられる。

この少し後からになるが、若手棋士と研究会をやるようになって、米長九段の棋風は、明らかに変わっていくことになる。