林葉直子女流王将(当時)「かたや谷川名人。縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと」

将棋世界1989年10月号、林葉直子女流王将(当時)の第30期王位戦〔森雞二王位-谷川浩司名人〕第4局観戦記「ディスコが勝因」より。

「対局の前の日は、できるだけ酒は飲まないようにしてるんですよ」

 数日前、将棋まつりの後、森王位と夕食をご一緒させていただいているときに聞いたセリフだ。

 なるほど、今回の王位戦前日の会食場では、ほとんどアルコールを口にされてなかった。

「そのほうが調子いいんでネ」

 タイトル防衛というプレッシャーの中、酒を飲めないのも辛いハズだ。だが、勝った後の酒は、なんとも言えず美味だろう。

 森王位はもちろん美味の酒を飲む予定であっただろうが……。

 一方、挑戦者の谷川名人は、いつもと変わらぬ風であった。

 ”ほどほどに”という言葉にあてはまるぐらいの酒量。

 しかし、この会食を終えてからの谷川名人の行動には、目を見張った。

 次の日対局というのに、あっぱれ、ディスコに繰り出したのである。

 そういえば、昨年、福岡で行われた王位戦のときもディスコに行く話があったのだが、結局行かずじまい。―そして負けた。(むろん、ディスコには全く関係ないだろうが)

 しかし、縁起を担ぐとすれば、行く手もあると考えたのかもしれぬ。

 対局の前日を”静”と”動”でたとえれば、森王位が”静”で谷川名人が”動”となる。

 森王位は会食後、すぐにホテルの自室に戻られたようだった。

 挑戦者の谷川名人は、運動をしてホテルに戻られたのは午後11時半ぐらいか。

 翌日の対局に備えて、各々の自己コントロールの仕方。

 森王位に谷川名人は、すでに前日から妙手をかけていたのかもしれない。

(中略)

 午前9時に対局は始まった。

 2勝1敗と谷川一歩リードで迎えた第4局。

 要になる一戦だ。

 背広姿の森王位と羽織袴の谷川名人。

 この対局場は女流王将戦と同じだ。

 自分が対局者としてこの場に足を踏み入れたときとはまた違った緊張感がある。

 憧れの両棋士の対局を間近で見れたのである。思わずファンの気分になってしまい息がつまりそうだった。

 気を遣って私に話しかけて下さった森王位。一方、静かに盤を見つめる谷川名人。よかトピアやら盆の里帰りで賑わっている博多の町には、熱気が感じられる。

 その熱気に負けぬ、九州決戦。男と男の戦いは、静かに熱く駒音を響かせた。

(中略)

 この対局場の廊下を挟んだところにホテル専用プールがある。

 チラリとプールサイドをのぞくとカップルで楽しげに水遊び。

 対照的な二つの光景である。

 森王位、谷川名人は、この光景をどのように思っただろうか。

 昼食休憩後、着々と駒は進められた。

 ちなみに昼食のメニュー、森王位はトロロソバとシンプルに。谷川名人はステーキランチとこってり。

 対局さえなければ、博多のおいしいお店にお連れしたかったのだが……。

(中略)

 森王位の封じ手で1日目を終えた。

 58分の長考であった。

 夜は賑やかに、両棋士を囲んでの夕食会。

 この夜のメニュー。前夜祭と似かよったもので、筋の悪い手順と言えようか。魚処博多といえば、お決まりの内容……。

 ふと気がつくと、酒の肴を前にして、ついつい手が出たのだろうか、森王位がお酒を口にしておられた。

 いつの間にか”静”だった森王位が”動”に変化。

「ラーメンを食べに行きましょうか」

 などと言っておられたが、おいしい博多ラーメンは、盆休みだった。残念!

 一方、昨夜は”動”だった谷川名人は、みんなの話を聞くだけの”静”の態勢へと変化。

(中略)

 2日目の午前11時47分。

 両雄相戦うにしては、あっけなく早すぎる幕切れであった。

 感想戦で、谷川名人は、「封じ手のあたりでは、難しいと思ってました。△8七歩と指せて勝てたかと…」と言えば、森王位は「封じ手のところで、すでに悪いと思っていた」と。

 終盤の魔術師といわれる森王位のことだ、まだまだ予測のつかぬ展開があると私は思っていたのだが……。

 地元、西日本新聞にも”おじさんパワー再び”と期待と声援をこめて紹介されていたのだが、博多ラーメンを食べそこねたのがいけなかったのかもしれない。

 かたや谷川名人。

 縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと、ちょっぴり考えさせられてしまう。

 ディスコなんかに連れていったのは、いったい誰だろうか……。

 

 お盆を中心に博多の夏は殊に暑かった。静かでクールな対局の場にも、熱風吹きすさぶ緊張感があり、観戦する人々にもひしひしと伝わってきた。

 博多の夏が、これで終わりを告げたような気がして街に出る。

 対局場に近い博多駅は、里帰りを終えた人々が、いつもの暮らしに戻るためにごった返している。

 第5局目は、8月28、29日、徳島パークホテルで行われる。

 今回の対局では、やや精彩に欠けた森王位だが、これからの戦いで魔術を見せてほしい。

 時に”動”。

 時に”静”。

 森王位と谷川名人が戦法と戦術をこらし、華麗なる展開を見せてほしい。

 

将棋世界同じ号より。撮影は中野英伴さん。

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この王位戦の対局と同時に、福岡で将棋まつりが行われたので、島朗竜王、大内延介九段、佐瀬勇次八段、森下卓五段、大野八一雄五段、斎田晴子女流初段も福岡入りしていた。

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他の記事を見ると、ディスコには西武ライオンズの工藤投手、清原選手も来ていたという。

この頃のディスコは、バナナラマなどに代表されるユーロビート全盛の時代。

荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』 の原曲『Eat You Up』、森川由加里『Show Me』の原曲『Show Me』、Wink『愛が止まらない 』の原曲『Turn it into love』などがかかっていたと思えば間違いない。

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「かたや谷川名人。縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと、ちょっぴり考えさせられてしまう」

谷川浩司九段が夜な夜なディスコに繰り出すようになったのかどうかは別としても、1990年の将棋まつりのあった日、1993年のJT杯の対局の前日に、それぞれ谷川九段がディスコへ行っていることは観測できる。

谷川浩司王位(当時)「それにしても、神吉さんは何故踊らないのだろう」

谷川浩司王将(当時)「いわゆるお立ち台GALは、残念ながら新潟にはいなかった」