先崎学六段(当時)と深浦康市五段(当時)の長い夜

将棋世界1995年3月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 言うまでもないことだが、若手棋士が勝ちまくるのが将棋界の常識である。しかし、Cクラスの順位戦では特別のプレッシャーがかかるらしく、なかなか予想通りにならない。

 たとえば先崎六段である。人気があり、これほど昇級を期待されている人はいない。しかし、毎年あと一歩のところで昇級を逃している。

 今期も順調に星を伸ばし、今日の、マシーン岡崎四段との対戦など、正念場といえるだろう。

 11図は中盤の場面だが、なんとしたことか、すでに先崎君が苦しい。序盤で不用意な一手(△9四歩)を指してしまったからである。

先崎199501171

  さしあたって、飛車成りと角成りを防がなければならない。どうにかならないか、先崎君は苦しげな表情で考えこんでいる。

〔11図以下の指し手〕

△5七桂成▲同角△6三歩▲4六角(12図)

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 苦境におちいったとき、誰でもわらにすがりたくなる。それが本当にわらにすぎず、いっそう事態を悪化させる。

 ないかないか、あれこれ手を求めているうち、ふっと△5七桂成▲同角△5五角が浮かんだ。そこで▲6一飛成△1九角成なら、△2九馬と△5四香があるからおもしろい。よし!これだ。先崎君は甘い誘いに飛びついた。

 平静であれば急所に利いている桂を捨てるなんて思い付かない。この桂が命の綱なのである。浮かんだとしても、そんなバカな、と大悪手であることがすぐ判る。

 桂を捨て、△5五角を打とうとして、先崎君は愕然とした。脳の血が逆流しただろう。▲6一飛成のとき、5七の角が8四の飛車に当たっている。

 「投げようと思いましたね」と局後に言った。「しかし投げるわけにいかない。考えていると投げそうになるから、ここで時間を全部使ったんですよ」

 秒読みに追われれば、その声につられて手が出る。未練がましい、と言われることもない。

 控え室でも、先崎君の見損じとすぐ判った。口のわるい連中も声がなかった。

 12図は単に桂を捨てただけだ。戻って11図は、△6四歩と粘るしかなかった。

 大広間では深浦五段も大苦戦。居飛車穴熊が金銀をハガされ、スカスカになっている。菊池六段が久しぶりに才能を見せたかっこうだ。広津九段門下には、青野、鈴木、神谷、菊池と俊才がそろっているが、なかで師がいちばん期待していたのは菊池少年だったそうである。

 夜戦に入っても、先崎、深浦両君の苦戦は変わらない。ただ、必敗になりながらじっと持ちこたえているのは流石だ。

(中略)

 そうしているうち、控え室にどよめきが起こった。先崎君のところが逆転したらしい、というのである。

(中略)

 しかし、元がわるすぎた。岡崎君の差がつまると強気になる性格が幸いし、この後、入玉してしまった。

 それでも先崎六段は指しつづける。

 深浦五段も、並びかけるところまで行ったが、そこで力尽き、最後は突きはなされたような形で敗れた。

 5階では、久保君、佐藤(秀)五段等が勝ち、行方四段が敗れた。さらに、中川六段も飯塚四段を破った。

 これで、三浦四段、平藤四段を除いて昇級候補の星の動きが判った。控え室では、星撮り表を広げ、選挙の票読みみたいなことをやっている。もちろん、哀愁ただよう方面の話も出る。

(中略)

 行方君が控え室へ降りて来た。どういうわけか、負けた者ばかり集まった。行方君は、なんていうか崩壊してしまったように見えた。壁によりかかり、頭をかかえた右の手首に白いほうたいが巻かれているのが痛々しい。「ああ……ここ4、5ヵ月勝っていないような気がするな」順位戦3連敗なのである。不戦勝は勝った数に入らない。

 飯塚君も「恋人に、負けたというのが辛いな」と呟いた。私が「順位戦の仕組みを教えたの?」と訊くと、「ええ、まずかったかな」と苦笑した。行方君が「恋人がいるならいいじゃないですか」。するとどこからか声が出た。

 「将棋界は不条理だ。久保君は19歳で四段。ガールフレンドと車を乗り回していながら勝てるのだからな」

 勝つ者はどうやっても勝つのだ。第二対局室へ行くと、先崎君が負けていた。

 ぺらぺらと一人で感想をしゃべっている。私も、この日ばかりは先崎君を誘う気になれなかった。

(以下略)

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この対局が行われたのが1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた日のこと。

先崎学六段(当時)も深浦康市五段(当時)も、この日の早朝に大地震があったことはまだ知らない。

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順位戦C級2組、先崎六段は、この対局で敗れるまでは6勝1敗で成績順で3位。しかし、この敗戦で7位まで下がってしまった。

深浦五段は、それまで全勝で2位だったのが4位に。

あと2局を残してのことなので二人ともまだ昇級の可能性は残っているのだが、自力昇級の目がなくなったことが大きい。

事実、この期は、上位の三人(久保利明四段、三浦弘行四段、中川大輔六段)が残り2局を勝って、そのまま昇級を果たしている。

本当に順位戦は厳しい。

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感想戦がすべて終わったあと、先崎六段と深浦五段とスカ太郎さんが、飲みに行っている。

順位戦が終わった夜と早朝のホストクラブ

今日の河口俊彦七段の文章と、「順位戦が終わった夜と早朝のホストクラブ」の先崎六段(当時)とスカ太郎さんの文章を読むと、胸が締め付けられるような思いになる。

 

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