第2期竜王戦七番勝負(羽生善治六段-島朗竜王)第8局こぼれ話

近代将棋1990年3月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

羽生少年竜王位を奪取

 タイトル保持者と挑戦者の年齢を合わせても45歳という、若いタイトルマッチが終わった。フルセットに持将棋を加え、8番勝負での決着という大接戦を制したのは19歳の羽生少年であった。

 合わせて45歳のタイトル戦、19歳のタイトル保持者誕生のいずれもが新記録で、プロ棋界における若年層の活躍を印象づける結果となった。

(中略)

 昨年の秋、私が埼玉県羽生(はにゅう)市の市民将棋大会に招かれたおり、支部長の黒須政吉さんに「羽生六段は埼玉県の生まれだそうですし、ご先祖はここの出身なのではないでしょうか。名前が同じなので、この町には羽生六段のファンが多いようです。竜王戦は現在2連敗でとても心配、以後の見通しについて聞かせてください」と問われた。そこで私は大会冒頭の挨拶で、「竜王戦における羽生六段の不振は、タイトル戦への不慣れと、超多忙な日程が原因だとはっきりしてます。昨年度は80対局、今年度も7ヵ月で45局です。これに加えて将棋まつり、公開対局などの連盟行事はスター棋士などのすべて出演ですから、対敵作戦どころか身体を休める間さえありません。まあこれもタイトル戦に入るとまばらになりますから、先約は仕方ないとして、ようやく対局に専念できる環境になったのでは?これからは安心して見ていられると思いますよ」とおしゃべりをした。

 島竜王が万全の調整でタイトルマッチに臨んだのを知っていたから、竜王位の行方は予測がつかなかったが、タイトル戦中盤以降羽生が少なからず立ち直ってくることは容易に想像がついた。

 その当時の羽生の日程を振り返ってみると、11月7・8日竜王戦第3局を指した後、11月12日には将棋の日の公開録画に出演し、翌13日に小林八段と対局、この間九州福岡、大阪堺と、東京八王子の自宅との移動を繰り返し、16・17日岐阜下呂温泉にての第4局を迎えている。途中定期の原稿執筆やインタビューを想定すると、休養や研究会など本来対局を勝つために必要な時間はほとんど得られない辛さをお分かりいただけるだろう。ここには特に忙しい時期を取り上げたわけでなく、羽生は9月に8局、10月に9局、11月に8局と実に驚くべき数の対局をコンスタントに消化している。

選手に十分な配慮を

 最近は将棋の催しが盛んになり、ファンがプロ棋士に接する機会が増えた。おおむね好評であり、連盟もその要望に応え、将棋の日、将棋日本シリーズ、そして今回竜王戦でのタイトル戦公開など、矢継ぎ早やの好手を繰り出したのは、大変結構なことである。ただこうしたイベントを見るに、企画がやや安易すぎるのが残念である。有名棋士をただ勢揃いさせればそれでよしという気持ちがありはしないか?将棋の日は年に一度の連盟最大のイベントだから理解できるが、将棋まつり、アマ大会、パーティーなど、数多い催しにすべて出席していたのでは選手がすり減ってしまう。「日程がかなりきついのだけれど、連盟が主催する行事だから…」という声をよく聞く。羽生の場合など人気最高で、出演料は五段並みであったから、連盟にとって大変便利な存在だった。

 お隣の囲碁界においては、トーナメントプロとレッスンプロの任務分担が上手に色分けされている。レッスンプロは生活を賭けて指導方法を工夫し、誠意をもってファンに接するから、ファンにとっては得難い先生であり、棋士もそのことにとても誇りをもっている。一方トーナメントプロは指導棋士の両分を犯すことはほとんどなく、その分技術の練習に専念する。自ずとファンとの交流はマスメディアを通してということになるわけで、たまの公開対局ではその希少さがより以上の価値を生じさせ、評判を呼ぶ。

 将棋界では各地のデパートにおける将棋まつりが花盛りだが、囲碁のそれはほとんどない。これは囲碁棋士の出演料が高く、企画費が折り合わないということもあるのだが、棋院が他の入場有料企画に対する悪影響を配慮して引き受けないのだとも聞いた。私は将棋界や囲碁界に商業主義が幅を利かせることにはあまり賛成できないが、一方こういった催しが健全に拡大発展していく上で、応分の受益者負担はむしろ必要なものだと考えている。今期竜王戦第1局を川崎にて公開としたが、これは実に画期的なことであった。将棋界には珍しく有料で、出演棋士も最小限のものであったが、ファンの方々にとても喜んでいただけたようだ。

 選手に負担を強い、いささか粗製乱売の感もある現在の将棋界の催し、これを範として内容を再検討する時期にきているのではと思う。

島と羽生こぼれ話

 延長線にもつれ込んだ竜王戦の第8局、私は観戦記という大役を仰せつかり、歴史的な大一番を一番よい席で見せてもらう幸運にめぐりあった。観戦メモは膨大で、「観戦記とは捨てること也と見つけたり」あまりにもったいないので、新聞の将棋欄に書ききれなかったこぼれ話をここにいくつか紹介しよう。

 タイトルマッチの終わった数日後、島七段は相沢薫さん(24)との婚約を発表した。相沢さんはミス川崎の一人、川崎市民プラザでの竜王戦第1局のおり、彼女に花束を渡されたのが交際のきっかけだそうだから、島竜王出会って3ヵ月にて婚約の速攻を決めたのだ。なお、川崎市のイベントやキャンペーンを盛り上げるミス川崎のお嬢さん方は5人おり、島君の幹事により連盟の若手独身棋士との合同コンパを開いたとも聞く。あるいはミス川崎とのカップルがさらに誕生するかもしれないが、残念ながらコンパ参加の棋士名はここでは明かせない。

 羽生新竜王のタイトル第一声は「大変なことになってしまったと思います。(竜王位の)責任の重さについてゆけるかどうか」で、これはご存知の方も多いだろう。一方島竜王のそれは「いやあどうも、羽生先生に8番も教えていただきましてありがとうございました」内心の無念さを感じさせないのはさすがにトレンディー派の旗手。残念とか、悔しいとかはおしゃれでないのだろう。

 年が明けて、島・羽生の年頭第一声。「竜王位おめでとうございます」と島。「どうも、島さんもご婚約おめでとうございます」と羽生。つづいて、「タイトル戦も終わったし、研究会をまた始めましょう」ということになったが、「一人増えたし、今度は終わった後モノポリーもできますね」の会話にはビックリ。不動産売買ゲームであるモノポリーは5人で遊ぶのが最適なのである。ちなみに島研究会のメンバーは他に佐藤康、森内。

 対局開始前駒を並べるのは当然だが、羽生は玉、左金、右金、左銀と順に並べる江戸時代の家元・大橋流。伊藤流と違ってシンプルな順番なのでプロ棋士がよく用いる並べ方である。玉を先ず置けば、それ以外は制約がないのが現代流だが、島は玉の後、右金、左金、右銀…とあえて大橋流と逆の順番で並べるのだ。何か意味がありそうだが、それは聞きそびれてしまった。こうして一枚一枚実に丁寧に置いてゆき、このスピードに羽生があわせるから、なんと並べ終わるまで5分かかるのである。昼休みの縁台将棋なら、一局終わっても不思議のない時間だ。2日目の開始時も同様で、まるで相撲の仕切りを見ているようであった。島は駒を置く位置も、駒の尻が升の線にピッタリくっつくように実に気を配る。羽生はごく普通に升目の中央に、こだわりの島、自然体の羽生という感じである。

 食事も羽生はスタッフと一緒に食堂でとり、夜も控え室での談笑に結構遅くまでつき合うといった具合で、さすがに将棋界の帝王への階段を上りつつあるといった余裕が感じられる。こだわりの島はすべて自室での食事、もっとも後で知ったところによれば、休み時間にも婚約者へのラブコールをしていたそうだから。これは当然か。いいですな、若い人は。

 そうそう、羽生新竜王のご先祖ですが、種子島の出身だそうで、種子島には先祖代々の墓も残っているそうだ。埼玉県羽生市の皆さん、余計なことを調べてしまってごめんなさい。

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第2期竜王戦第8局終局直後。将棋マガジン1990年3月号、撮影は中野英伴さん。

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「羽生六段は埼玉県の生まれだそうですし、ご先祖はここの出身なのではないでしょうか」

羽生市の方々がこのように思う気持ちはよくわかる。

しかし、羽生善治九段の曽祖父にあたる羽生主右衛門さんの代まで、羽生家は種子島がゆかりの地だった。

主右衛門さんは県会議員も務めていたようで、詳しくは西之表市の市長コラムに書かれている。

羽生棋士と種子島〔西之表市・市長独言(広報紙市長コラム)〕

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羽生市は5年ほど前に、スポーツ推進委員などが、羽生結弦選手を応援する「羽生市かってに応援団」を結成している。

羽生結弦選手は仙台市の出身。

昨年、平昌五輪で金メダルを獲得した羽生結弦選手から、「羽生市かってに応援団」に金メダルをかたどったホワイトチョコが贈られている。

羽生結弦、羽生市に「金メダル」を贈呈 名字の縁に感謝(朝日新聞)

チョコレートが届いて大感激❣(羽生市かってに応援団)

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たしかに、スポーツなら大会などに応援団が行って応援する姿が容易に想像できるが、将棋の場合は対局中に応援団が活躍するわけにもいかない。

将棋では、応援団ではなく後援会ということになるわけだが、応援団というネーミングもなかなか迫力があって面白いと思う。