将棋マガジン1991年6月号、羽生善治棋王(当時)の第16期棋王戦〔羽生善治前竜王-南芳一棋王・王将〕第4局自戦記「知らぬが仏」より。
1月29日、棋王戦挑戦者決定戦。
久しぶりに満足のいく内容で勝つことが出来て挑戦権を獲得した。
調子はそんなに良くないと思っていたが、棋王戦にだけ限ってうまく勝ち進めた。
そして、第1戦が始まるまでの2週間ちょっとは楽しい時間だった。
あれこれ作戦を考えてみたり、今回のシリーズはどんな風になるのかと想像してみたり。
第1戦の前日は当然ながら対局場の検分や前夜祭があって緊張したが、またこういう舞台で将棋が指せるという喜びもあったので、いわゆる快い緊張だった。
そんなわけで気分良く対局が始まったが、昼休み過ぎから苦しくなり、負けも覚悟したが、南先生らしからぬミスが出て逆転勝ち。これで勢いがついたのか第2戦も勝つことができた。
こういう風になると欲が出て来て早く決めたい、早く決めたいと思うようになってしまった。
始まる前の気持ちはどこへやら。
こんな浮ついた状態では良いわけがなく、第3戦は完敗。
南先生は一昨年の棋王戦でも2連敗後の3連勝の離れ業を演じており、次に負けるとまたそれが実現しそう。
そんな不安な気持ちを持ちつつこの第4戦を迎えました。
1図が先手の私にとっての作戦の岐路です。
▲3七桂か▲3七銀かどちらが最善かは人間の力では到底解ることは出来ないと思いますが、最近の流行では▲3七桂の方が多いようです。面白いもので○○先生がある手を指して流行になると、当然ながらそれを真似する人が出て来ますが、と同時に、流行に反発して全く違う指し方をする人が出て来ます。
流行を作る人、それを追いかける人、それに反発する人、そして、忘れてはならないのが流行に関心のない人。棋士もこのタイプのいずれかに当てはまるのではと思っています。
さて、局面。私は▲3七銀の方を選びました。
第2、第3局が▲3七桂の将棋だったのでまた同じだと少し気が引けるという意味もありましたし、久しぶりに▲3七銀の将棋が指したくなったという意味もあります。
矢倉というのはこのあたりから駒がぶつかるまでの指し方が一番難しいのではという気がしています。
具体的な解説はここでは省略します。あまりにも専門的過ぎますから。局面を進めます。
駒がぶつかった局面が2図。
この△2四歩には本当に驚きました。
自ら玉頭の歩を突くのは棋理に反する手ですから。
机上の研究ではまず絶対に出て来ない実戦でひねり出した感じのする一手です。
それにしてもカド番でよくこんな大胆な手が指せるものだと感心しました。
私は今まで南先生の将棋は保守的な居飛車党と思っていたのですが、今回のシリーズで考え方が変わりました。
確かに南先生は指す戦型が決まっていますが、その中で序盤は実に意欲的な指し方をするのです。
第1局では▲2六銀、第2局では△9七桂成、第3局では▲6五歩、そして、本局の△2四歩。
何れも印象に残っています。
さて2図でどう指すかですが、まず考えられるのが▲3四歩△同銀▲3六歩と桂頭を守る手。
以下、△7三桂▲2六歩△6五桂▲2五歩△同歩▲3五銀(変化1図)の展開が予想されます。
もう一つは本譜の▲2六歩です。
59分の長考はこの二つの比較だったのですが、結論は出ませんでした。変化1図の方が攻めは手厚いのですが、攻め合い負けの可能性があり、本譜は一方的に攻められるけれども攻めが軽いという心配があります。
気分的には▲2六歩として△2四歩をとがめに行きたい所ではあるのです。
▲2六歩と指せば3図までは一本道です。
桂損ながら後手の陣形は乱れているので先手も戦えるのではと思っていました。
それでまずは1回味付けと▲5五歩としたのですが、これが悪手。
▲3五歩△4五金▲同銀△同歩として、そこで▲5五歩が正しい手順だったのです。
形を決めるのはつまらないという判断は間違っていました。
▲5五歩までに私の消費時間は89分。もう少し丁寧に指さなければなりません。
本譜は△8六歩の突き捨てを入れ、強く△3五歩。
これが好手順で4図の△7四桂が厳しい。
▲7七銀でも△8六歩の追い討ちが来ます。
銀が逃げられないのでは銀損確定。形勢悪化に気づきました。
この局面で本局最長の63分の長考。こうなるのだったらもっと前にしっかり考えておけば良かったと思っても後の祭りです。
難局打開の手を探しますが、焦りと不安が増すばかりで、なかなかうまくいきません。
この将棋を負けたら流れからいって最終局も勝てないだろうなあと弱気なことも考えていました。
結局63分の長考の内容は▲5五歩を生かす▲5四歩でしたが、後手に正しく応接されると先手が悪いという結論になりました。
それでも着手します。63分の長考▲5四歩。
人間には、もし~なら良いのになあと思うことがよくあります。
夢とか願望とかもちろんそんな大袈裟なものではなくても日常の小さな出来事でも。
そういうことを実現する為には諦めないで思ったり想像したりすることが大切だという話を聞いたことがあります。
スポーツ選手がよくやるイメージトレーニングもその一種です。
本局も4図の時にもし5図のようになれば良いのになあと思っていました。
何とそれが実現してしまったのです。
対局中、5図の局面の実現の可能性が高くなるにつれて胸の高鳴りを抑えることは出来ませんでした。
▲6七角は攻防に利く一手で、△6六飛ならば▲3一銀△同玉▲2三角成で後手玉は必至です。
5図、先手玉を守るのは飛車と角2枚の大駒3枚だけですが、その3枚がどれも絶好の位置にいて自玉を守り、敵玉を睨んでいるのです。
しかし、5図での△6六金も南先生らしい実に粘り強い一手。
▲7六角△同金の後に△5五角の王手飛車取りを狙いに寄せてみろと催促しているわけです。
▲7二飛~▲7六飛成とする余裕はないのです。
先手は忙しい、この手番を生かして寄せ切ってしまわなければなりません。
そこで浮かんだのが▲4四角。読みの裏付けはないけれども盤上この一手という確固たる自信だけはありました。
6図、5図と同じように大駒3枚が実によく利いていて躍動している感じがしました。
▲6七角や▲4四角は指していて実に気持ちの良い一着です。
一局で2回もこんな手が指せるのはかなり珍しい。
プロの将棋は相手の狙いを消し合っていくことが多いので。
6図で南先生は△4一銀と辛抱。しかし、ここさえ凌げれば豊富な持ち駒で反撃可能なので楽しみある辛抱です。
私の方も▲4二銀と追撃、とにかくこの瞬間しかないのです。
以下押せ押せムードで7図を迎えました。
私はこの局面、勝ちを確信していました。
7図で受けるとしたら△4二歩しかなく、そこで▲同飛成とすれば変化はあるものの、先手の勝ちだからです。
ところが、7図の後手玉は完全な詰めろではなかったのです。
何故、そのことに気づかなかったかというと先入観で詰めろと思っていたからです。
難しい形ならば一手一手読みますが、7図の場合は簡単に詰みと読みを省略してしまったのです。
具体的な手順を書くと△5五角▲7七歩△2八角成(これで詰めろが消える)▲3二銀成△1二玉▲3一成銀△2二金▲2三歩△8七金▲同玉△8六歩(変化2図)となって先手に勝ちはありません。
▲4三金では▲3八飛と王手飛車取りを防ぐのが正解で、それならば先手が少し良かったでしょう。
しかし、対局中は△5五角でまずいということにまったく気づいてなく、それに気づいたのは南先生が△3三金(7図からの次の一手)と着手される数秒前だったのです。
もし、私がもっともっと早くそれに気がついていたら南先生も気配を察知して△5五角に気づいたような気がします。
知らぬが仏とはよく言ったものです。
まずい変化があるのを知っていて平静を装うのは容易にできることではありませんから。
△3三金と着手された直後に私が考えたことは△5五角以下の変化です。もう実戦とは無関係のことなのですが本当に危機だったかどうか確かめたかったのです。
その時は△5五角でも先手勝ちだと思ったのですが、前述の変化で先手負けと感想戦で解った時は青ざめました。
知らないで崩れかけた橋を渡っていたとは。
さて、実戦。△3三金に寄せがあるかどうかです。
しばらくして解りました、即詰みがあることに。
何回か確認をして着手しました。
▲3二銀成以下は手数は長くなりますが即詰みです。
南先生は▲3六桂で投了されました。終了は午後7時21分。
相矢倉の攻め合いの将棋の投了図は本局の様に全体の駒が働いていて整然とした感じの投了図が多く、それが矢倉という戦法の魅力の一つだと思っています。
南先生も一番形がきれいな所なので投了されたのだと思います。
例えば投了図で指すとすれば△5五玉なのですが、その時は▲4六銀となってそこで投了では投了図より整然としていない感じがします。
このあたりはうまく言葉では表現はできませんが。
何はともあれ、3勝1敗で棋王位を獲得、やはり嬉しいです。
しかし、内容的には苦しいものが多く、ツキに恵まれたのでしょう。
これは盤上のみならず色々な面で。南先生は王将戦とのダブルタイトル戦、遠征につぐ遠征の状態。
私の方はちょうど良い間隔で対局がついて棋王戦一本に絞れる状態。
この差は結構大きかったような気がします。
この棋王戦で今年度も終幕。
竜王に始まり棋王で終わったわけですが、果たして来年度はどうなるやら。
楽しみの様な不安な様な心境です。
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特にそのような言葉は出てきていないけれども、ほのぼのとした喜びが伝わってくる自戦記。
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「これで勢いがついたのか第2戦も勝つことができた。こういう風になると欲が出て来て早く決めたい、早く決めたいと思うようになってしまった。始まる前の気持ちはどこへやら。こんな浮ついた状態では良いわけがなく、第3戦は完敗」
羽生善治九段にもこのような時があったのかと、感慨深い気持ちになる。
羽生前竜王(当時)にとっては2度目のタイトル戦。
1度目の竜王戦では、出だしで2敗と負けが先行しており、2勝引き離すのは初めてのこと。
誰もが通る道なのだと思う。
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「人間には、もし~なら良いのになあと思うことがよくあります。夢とか願望とかもちろんそんな大袈裟なものではなくても日常の小さな出来事でも。そういうことを実現する為には諦めないで思ったり想像したりすることが大切だという話を聞いたことがあります」
これは、ぜひ見習いたい。
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「もし、私がもっともっと早くそれに気がついていたら南先生も気配を察知して△5五角に気づいたような気がします。知らぬが仏とはよく言ったものです」
これは対局中のテレパシーのようなもの。
一般的なテレパシーは思っていることが伝わるものだが、将棋の場合のテレパシーは、こちらが気づいていないことは相手も気づかなくなる、という性質を持っている。
「まずい変化があるのを知っていて平静を装うのは容易にできることではありませんから」も大きな理由なのだろう。
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「△3三金と着手された直後に私が考えたことは△5五角以下の変化です。もう実戦とは無関係のことなのですが本当に危機だったかどうか確かめたかったのです」
実戦とは関係のない変化も考える、真理を探求する姿勢。
なかなかできることではない。